82.ガイド前橋城・沼田城 やっぱり五層天守
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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バスコンは国道を進み、大河利根川を渡り、前橋城へ。
二之丸前の駐車場を下車すると、まあなんだ。
ここも公園っぽいねえ。
櫓門ですら無い木戸を潜り、長方形っぽい本丸の東と南を逆L字型に囲む二之丸へ、そして眺めるのは、三層の天守。なんだけど。
「戦国時代は上杉謙信が支配し、北条氏や武田信玄と戦いを繰り広げた頃からこの前橋、当時の呼び名で厩橋は重要な地でした。
この地の城が近世化したのは17世紀に入って徳川一派の酒井氏が大改修を行った時でした。
しかし外堀として背にした利根川は大変な暴れ川で、城は100年に亘って洪水によって削り取られ、本丸まで崩れ去るまでになりました。
更に江戸を水害から守り、太平洋との水利を図る大工事『利根川の東遷』への出費も重なり、藩主は幾度も転封を願い出てついに18世紀中期には城は放置される事になりました。」
「利根川の東遷って何?」
「この川は元々江戸、東京に流れてたんだけど、凄く氾濫して江戸は激しい洪水が起きてたのよ。それを佐倉県の北端で太平洋に流れる川に繋げて洪水を防いだのよ」
「ほぇ~!始皇帝みたい!」
「規模が違うけどね」
「凄いね司さん、この城の話から利根川の話まで繋げられるとは」
「この後関宿城に行くじゃないですか、それなら必須の話題かな~って」
「お城を捨てる程の洪水と言うのも大変ですけど、川の流れを変えてしまうのも凄いですねえ」
「お延さんだって琵琶湖運河見たじゃないですか」
「あら!そうでしたね」
「そんでなんでまたここにお城が出来たの?」
「そうだった…城が無くなった後、領民から城の復帰を願う声が高まって、更に利根川の治水工事が行われて洪水が弱まり、更に幕末で万一江戸が対外戦争の戦場になった際の避難地として19世紀半ばに、日本式の城最後の築城として前橋城は復興されました。
元の場所が浸食されたため別の城として築かれ、シンボルとして御三階櫓を廃城前の資料から再築したりもしました」
「それがアレって訳かあ」
「本丸には、川越城と双子の様に似た御殿が建てられました」
本丸で巨大な唐破風の玄関を見ると
「おお、ホントだあ」と一同。
そして…すでに近代軍を想定したのか広大な敷地に自動車部隊があったけど今は県庁になってる。その駐屯地も高崎に統合され、残った空間が今の市庁舎等に使われている。
ここは割とこじんまりした本丸のみ残った感じなのですぐに出発してしまった。
玉グラコンビは天守をチャチャっとスケッチしてましたけど。
うますぎる饅頭もないしね。
もし、江戸初期の城が残っていたら違ったんだろうけど…
火事や地震も怖いけど、何気に土地そのものがなくなる水害の恐ろしさを間接的に見た気がするわぁ…
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高速を更に北に行けば、新潟県との県境に近い沼田市。
そう、有名な戦国大名真田家の地。
関東でも随分北の方だ。うっすら雪景色ですらある。
「こりゃここでチェーン履かないとなあ」
時サン、ホンットお手数おかけします!!
遠くから、雪を被った白く輝く五層…六層?の天守が見える。
おかしいな、五層の筈…あ!一番下は白壁かあ!
「ここ沼田も上杉や北条、武田との戦場でした。
上杉配下の真田昌幸、有名な真田信繁の父ががこの地を一旦奪いますが、その後織田も交え複雑な戦いが続き、昌幸は徳川にも北条にも負けませんでした。
この争いは小田原征伐にまで及び、北条家が去った後に信繁の兄信之によって17世紀頭に今の五層天守を持った城が完成します。
その後昌幸信繁親子は豊臣臣下となり上田に、一方信之は徳川に付き敵対しつつ真田の血脈を守りました。
大坂の乱に義が無いと見た信繁は石田の誘いに動かず、信之は病身の自分に替り子を徳川攻城軍へ派遣、加増され松代へ転封となりました。
その後真田家は松代藩と沼田藩に別れ、沼田藩真田家は四代で改易されました。
信之創建の五層の大天守が今尚北関東の地を守っています」
バスコンは水堀を跨ぐ道路を超え、三之丸駐車場へ。その隣には立派な楼門の溜門が聳えていた。
そこから幾度も鈎の手に三の門、二の門と楼門を潜ると。
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「きれー!」
空堀の向こうに、屋根に雪を乗せた白亜の天守。
青空の下に光り輝いている。
日が短くなって、少し赤くなっている。
雪の天守を眺めるのって、中々無かったなあ。感激!
「ほえ~!ここゴザイショみたいに立派ネー!」
「やっぱ天守はデカイのがいいネー!」
「これは西側の影響なのか?」
「真田自体は豊臣配下なんで、西日本の影響を受けた城です。ただ、天守や石垣を持つのは中心部だけでそれ以外は土塁の城でもあります」
本丸内堀を前にして、表門の楼門、右手に五層の天守、左手に三層櫓を眺めつつ。
あ~、何か本格的に日本の城ー!って城の眺めだわ~って思ってしまった。
白亜の天守は、桁側(最上層が妻板側じゃない方)の派風が下から比翼千鳥破風、千鳥破風、比翼千鳥破風。
妻側が千鳥破風、比翼千鳥破風、千鳥破風とまあ装飾満載、しかも最上層は高欄。
初層から最上層までの逓減率、小さくなる割合が規則正しい層塔式天守なのでこの破風は江戸城等と同じ完全な飾り。
高欄も古式を演出したものだろうか。
堂々とした、見事なまでの天守オブ天守って感じの建築だわ。
何となくこの三層櫓、門、五層天守の並びって九州で見た感じの…ん~。
「柳川城」
「そうだそれそれ!って、人の心を読むなー!」
時サン、エスパーかよ。
「内堀が空堀なのが大分印象違うけどね」
それもそうだね。しかも雪景色だし。
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本丸御殿は真田人気か、真田家をメインにした博物館になっていた。
その後の藩主の本多氏とか黒田氏とか土岐氏とかはオマケ程度だ。
やっぱり関東の強豪を跳ね除け続けたバトルジャンキー真田の名は強いね。
もし彼らが大坂の乱で徳川・秀松軍と戦ったらヤバかったんじゃないかな?
…いや、秀松と戦う理由がないな。
むしろ信繁が大坂城に乗り込んで淀君の首を取ったか…
それも石田三成と仲良かったから有り得ないか。
戦国末期の日本、ホントに安定の鉄板で江戸時代に移って行ったんだなあ。
さて、では立派な天守へ!
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天守から眺める谷川岳はすっかり雪景色だった。
城内を見下ろすと、確かに本丸以外は土の城、って感じだった。
「お堀と川が繋がってるね」
とラン。
「あそこの門から堀に出て、川まで船で行けるんだよ」
と本丸西側、二層の乾櫓と並ぶ水の手門を指す。
本丸西の緑に覆われた断崖を下った先の水堀は、その北を流れる薄根川に向かい、さらに西を流れる利根川に出る。
「船がお城に出入りするのは珍しいネ」
「そうでもないよ。
昔は馬車より船の方が大量に高速に荷物を運べたから、川を使った水運は高速道路みたいなもんだったのよ。
お城にとって川や湖、海に直結する水運は強さの要だったよ」
琵琶湖から運河、巨椋池を経て淀川から大阪湾、そして瀬戸内への航路を見た私は力説した。
「お~、近京坂を一緒に旅しただけあんなあ司ン」
「また船の旅もしたいよねー」「ネー」
「そうだね。船なら時サンものんびりお酒飲んで旅できるしね」
「ほほぉ~」「「ホホォ~」」「やめい!」
次グラ玉のヘンな薄笑いにチョップをお見舞いだ!
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※元和期と幕末の両前橋城を両方紹介しているページは意外と少なく、例によって余湖くん様のページから。
前橋城を紹介するページの大部分は幕末期の平面図のみを紹介しているため、殆ど例の無い元和の復元図は珍しい物です。マニア魂に思わず頭が下がります。
http://yogoazusa.my.coocan.jp/maebasi.htm
※実際は再興前橋城にどんな建物があったか不明です。
江戸初期の前橋城の建築も不明ですが例によって江戸城富士見櫓に似てたみたいな話を元にした復元案があり、それにならって何回か前の午年に描いたのが下の絵です。
https://www.pixiv.net/artworks/110673417
※この物語では、幕末の日本は既に戦車とトラックの軍になっているので、今更17世紀ヨーロッパの稜堡式城郭なんて考えはなく、シン・前橋城は本丸御殿と御三階櫓以外は何というか…小さい駐屯地でした。
前橋市民の皆様、スンマセン。
尚、反乱で城地が削り取られ、場所も不明だった旧前橋城。大手門の石垣が発掘されたとか。今後の旧状復元の足掛かりになればいいですねえ。
※真田氏の近世城郭その2、沼田城の復元図は下記の通り。
例によって余湖くん様の作品です。ホントにありがたや、ありがたやです。城好き絵描きの大先輩様々です。
天守と三重櫓は西国風ですが、その他は河岸段丘を利用した関東の城、ですね。
http://yogoazusa.my.coocan.jp/numata.htm
※天守は「正保城絵図」では白亜に描かれていますが、多くの復元案は下見板張りになっています。本作では逆張りして白亜にしてます。
もちろん、史実ではこんな立派な天守を持つ城が許される筈も無く、17世紀終盤に真田家改易と同時に破却され、以降は三之丸跡に新築された陣屋が沼田藩の政庁となります。
下図は城郭復元図の大家、香川元太郎先生の作品で、かつて「名城の『天守』総覧」に掲載された図です。本書には先生による東日本や九州の天守の詳細かつ壮大な復元図が描かれています。
近畿は…近畿は…orz
https://twitter.com/mazegenta/status/801950353017081856
※沼田城といえば信之の留守を預かった妻、徳川忠臣本多忠勝の娘小松姫。関ケ原の戦いで東西に分かれた義父、昌幸が沼田城に立ち寄ろうとしたのを完全武装で拒否したという逸話があります、関ケ原の戦いが存在する現実では。
それが無いこの物語では、小松姫の雄姿は拝めませんでした。残念。
もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。




