表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

25/251

25.ガイド二条城 徳川幕府最初で最後の場

※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。


******


 あーまだ目がチカチカする。って位キンキラな聚楽第を後に、元来た道を堀川沿いに南下すると見えて来るお隣の城、関東人にとって見慣れた感じの徳川二条城。

 金瓦が無いのが逆に目に優しい。


「洛中4城最後は徳川将軍家が築いた二条城です。

 最初は徳川家康による、現在の二之丸に当たる方形単郭の城でした


 その後三代将軍家光の時代に、後水尾天皇の行幸を仰ぎ、徳川家と天皇家との結束を世間に知らしる舞台として西に本丸を増築し、天守も新たに新築したのが今の姿です。

 そして徳川家が近代化の務めを果たし、日本を近代国家と成長させるため天皇家に大政奉還したのもこの二条城でした。


 で…間違ってないかな?」


「何でトクガワは権力を守るためテンノーと戦わなかったのかな?」グラちゃんが聞く。

「そりゃそうで!…っと。オホン。

 日本では12世紀以降、行政は軍事政権が行いましたが、その裏付けとなる権威は、発言力も実行力も持たないエンペラー、テンノウが維持し続けました。

 それは現在でも同じです。


 天皇家が実行力を持たずに権威だけを持ち、その信任の下に政治が行われるのが日本のスタイルです。

 立憲君主制を短時間で導入出来たのは、日本が遥か昔に政治と権威を分離していたからです」


「エー!権威あったら自分で色々やりたいよネー!」「ね…って」

 お?珍しくグラと玉の息が合わない。


「日本のエンペラーは、古代から続く宗教、『神道』の神官です。

 その主な仕事は、常に日の本の皆の幸せをお祈りする事。

 政治に対してあれこれ指示する事では無いのです。


 と、日本の常識を解りやすく説明した。


「そうネー。テンノー様は、いつもニコニコで、みんな幸せになってーってしか言わないネ。

 イスパーニャとゼンゼン違う…エンビディア-ブレ(羨ましい)…」

 グラちゃんがちょっと凹んだ?


「司さん、とてもよく説明できていますよ!」

「司かっこいー!」


 魂の双子の歓声に合わせてグラちゃんもハッとして

「ハポンサイキョー!」って返してくれた。


「今のは外国の観光客に対するいい解答になるね」

「えへへ~」


 オッサンのお墨付きももらえたよ!

 さあ!二条城のガイドも頑張るよ!


******


 東大手門を潜って…おお。ここの唐門も素晴らしい。唐門の先の二之丸御殿の車寄せの欄干の極彩色も、も、唐破風の破風板の金具も素晴らしい。


 ホント戦国末期ってこんな豪華な彫刻のある建物をジャンジャン築いたんだよね。

 色々残されていて、今では世界に誇る、というか世界から観光客のお財布を呼び寄せる有難~い遺産になってくれている。

 有難う戦国末期!こんな文化財が全部焼けたり壊されたりしてたら何という国家的損失だろうか!

 私達の税金爆上げだよ!

 残っている分維持費掛かっててその税金も払ってるけどね!

 でも観光収入で還元されてきっちり減税されているからヨシ!


 二条御新造とも、聚楽第とも違う迫力ある車寄せから、巨大な屋根の「遠侍」という建物に入り、左へ左へとカギ状に曲がって大広間へ。


 徳川家が将軍を拝命し幕府を開いたのがこの大広間。

 天皇家…え~と、後水尾天皇を行幸に招いたのもここ。


 その四半世紀後。

 一度は追い払った諸外国が再度アジアに食指を伸ばし、例によって西国の大名に内通した。

 その先鞭をつけたのが、当時はそんなつもりも全くなかった新興国家のアメリカだった。

 しかしアメリカは過去を知らない分、日本に野心を燃やし、不平等条約を迫って、日本の反撃で艦隊を失った。


 この騒動の後に備えるため、幕府は日本統一軍を整え西国を鎮圧し、天皇家の元に奉還したのがここで行われた大政奉還だ。

 あ~、日本に生まれてよかった。

 アジアの他国、×××××××とか×××とか共産主義を選んだ国に産まれなくて良かった。


 なんて国際問題は放って置い大広間を見ると。


 将軍を筆頭に帝に傅く諸大名。

 世界史でも珍しい平和的な政変、「大政奉還」を再現した蝋人形を眺めつつ、更に鈎の手に進む。

 奥御殿から階段を上がり、内堀の上を通り本丸へ向かう渡り廊下へ。

「後水尾天皇もこの廊下で天守へ渡ったんだなあ」

 そう。この廊下、二階建てで、二階から外へ出ずに本丸門を渡って本丸御殿へ行ける。

 廊下も畳敷きで朱塗りの梁と豪華、本丸御殿も二之丸御殿同様に豪華。その奥から本丸の渡り廊下…多門櫓を経て、真っ白に輝く壁に緑、いや銅が酸化した緑青の瓦に金の軒瓦の、江戸城天守と同じスタイリッシュな天守に続く。

 そりゃ天皇陛下をお招きするんだし、雨風を気にしないで天守までの道作るよねえ。

 今では平民のわたしらでもその道を往来できるんだし。

 はあ…良い世の中だ。


******


 江戸城天守は外も中も巨大で、木材丸出しだったし、他のお城の天守も無骨だったなあ。

 安土城とさっきの二条御新造や二条邸、聚楽第以外は。


 でもこの二条城の天守は、江戸城の半分くらいの大きさでも中はゴージャス。

 安土城や聚楽第以上。

 流石は天皇陛下をお招きした建物だね。


 五層の窓からは東寺や西寺の五重塔、京大仏の大仏殿に次いで高いこの二条城天守、京の街が一望だ。

 さっき入った二条御新造と二条邸、んで聚楽第も見えるし、清水の舞台も見える。

 おや?この二条城のすぐ南に池があって…何か10円玉でおなじみの宇治平等院鳳凰堂を横に広げたみたいな建物がある。


「あれは神泉苑と言ってね、平安京の時代の、天皇家の別荘だった建物だよ。

 あの大きな建物は乾臨閣、元は泉の北にあったのを、南側に復元したんだ。

 日照りが続いた時、弘法大師が雨を降らせたんで竜王が住んでるなんて伝説まで生まれた所だ」


 こんな所に平安京の遺産があったとは!復元だけど。

「大政奉還の時に、天皇家の時代になったんだぞってことを宣伝するために復元したんだ」

 

 へー。どっちにしても絶景ポイントだね。


 北側には江戸城のものよりスラっとした三層櫓。

 さっきの聚楽第も個性的な三層櫓が隅を固めていたけど、横長な二階櫓の上にチョコっともう1階のっけたどっしりした感じだった。

 こういうハンサムさは無いなあ。デザインが東の人だから?

 え~と、徳川の城で天守や櫓を建てたのは…スマホで調べると。

 中井大和守正清。奈良の人?過労死?

 えっ私の幕府、ブラック過ぎ…


******


※明治維新は現実世界でも無血革命として世界でも有名?らしいですが、この世界ではもっと平和的だったみたいです。何気に黒船沈めてます。


※この世界、世界遺産の東寺だけでなく、羅城門を挟んで反対側に会った西寺も健在だったりします。


※神泉苑については次回の御講釈。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ