244.ガイド小牧山城 学び舎の城
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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バスコンは犬山から南へ走る。時サンの子供達に会いに。
時サンの子供達。護児学院の生徒達の事だ。
時サンの護児学院は埼玉にある時サンの家の隣、だけじゃ無い。
全国各地に、遺棄児、放棄児、孤児を保護して教育している。
他にも貧困層で成績優秀な子、外国から亡命して就学を希望している子。
そういう子供から私達と変わらない年の若者まで、その人となりを見極めて就学支援をしている。
勿論未来を見通せる時サンの子だ。卒院生の大部分が世の中のために頑張って、後輩のために寄進を代々続けている。
「護児学院の子達って、どんな子だろ?」とラン。
「卒業した子は皆スゴい人達ヨ?スーのオバ…オネーサン達」
ミキの目が一瞬生気を失ったゾ?
「もそうだし、お延さん達だって卒業生デショ?」
「ふう。そうだよ。
USの圧力でメガバンクが合併しようとした時に、不良債権処理やシステム統一に反対した大手都銀を倒産させたシンクタンクとか」
何それ?
「日本の戦闘機開発にUSがねじ込もうとした時、東側にUS兵器の弱点を暴露して各国の購入計画を頓挫させた研究会とか」
知らないよそんなの?!
「公表されてないけど、姐姐達が『あの子達よくやったねー、流石我が後輩』とか言ってたぞ?」
流石天下三代を争わせることなく操った時サンの教え子だ…
行くなんて言わなきゃよかったよー!!
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41号バイパスを南下すると、小高い丘。
その中腹には石垣や壁、そして頂上に三層の天守。
小牧山城だ。
「久しぶりねー。皆元気かなー?」
「4半年振りネ!」
ん?
「ねえ時サン、全国に護児学院っていくつあるの?」
「樺太から沖縄まで27ケ所だよ?」
…年4回27ケ所廻って一泊はしている?って事は1年の1/3近く巡回してる?
「考えるだけ無駄かな?」
「難しく考える事はないよ」
「いや超難しすぎだって!」
バスコンは大手門を通り過ぎ、結構ものものしいゲートを通って、駐車場へ。
大手前では何だか数人が守衛に殴りかかっていて、守衛さんが警棒で殴り返していた。
物騒だな。
「あれはね、子供がいたら手当がもらえるからって、虐待してた子供を取り返しに来た親だよ。裁判所から接近禁止命令でてるのにね」
「うわ、鬼畜外道…」
確かに子供を返してほしいというより、児童手当という蜘蛛の糸に群がる地獄の亡者の顔つきだ。
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再び楼門。外はあんなんだから内側から見上げる。
外から打撲音とか絶叫とか聞こえるが気にしない。
「これ、規模は小さいけど安土城の大手門と同じよね」
とつぶやくと。
「じゃあね、オホン」とお玉ちゃん。
「小牧山城は、16世紀半ばに織田信長公が築かれた、天守や石垣で固められた曲輪を持ち、城下町の防御まで計画した、初期近世城郭の一つです。
信長公は岐阜城へお越しになられた時、この城を解体して移築しました。
その後、諸国の戦で親を亡くした子供達が集められ、16世紀末に信長公の許しを得て廃城前の小牧山城を復元して護児院として完成しました。
それまで護児院は安土、京、大坂にありましたが、有力大名のしつこい勧誘とか、敵対大名の攻撃とかを受けて、ここに逃げてきたそうです。
でもその所為で、それまで各地の護児院から教育や治療を受けていた大名が困り果て、朝廷に訴える騒ぎになったそうですが、結局元に戻りませんでした。
それ以後、護児院に迷惑を掛ける大名はいなくなったそうで、困った大名の元へはここから教育や治療に優れた子供達が通う様になり、その子達は再び各地に護児院を開いてもっと多くの子供達を教え育てたそうでーす!」
ソウデースカー。何気に要人の健康を人質に取ってんじゃん。
飴ズを見ると、全員魂の抜けた目をしていた。
歴史の深淵を見ちまったか…
そして同時に深淵から見られちまった様だな。
「小牧山には、かつては山の中腹は無数の武家屋敷がありました。
でも今は学校に運動場、寮、そして歴史博物館として復元された御殿があり、山頂の天守ともども広く公開され、地元の遠足や社会見学の名所となっています。
外国からも見学に来る学校もあるんですよー!」
流石時サンの学校だな。
でもそういう時はアレ、どうすんの?
「警察が発砲込みでお掃除してくれるよー!」
凄いな。それでもまだあんだけ湧いてくるのかあ。
「それじゃあ学校に案内しまーす!」
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山上の天守、その左脇に一直線に向かう大手道を少し上って、大きな御殿の方へ。
「御殿?学校?え?中を改造してるの?」とスー。
「そうです!外部から見学に来られた大名のため、表向きの構成は御殿の格式にしています。でも中奥は教室なんですよ?」
靴を脱いで上がった先は、質素ながらカラフルな歴史絵巻が描かれた障壁画が並んでいる。
法隆寺、大化の改新、平城京…
「これも日本の歴史を学ぶ教材なんですよ!私もこれで勉強しました」
天然痘の流行で腐った死体が重なり、その次には聖武天皇が東大寺大仏殿に祈っている姿まで描かれている。その横に医療に尽力する光明皇后…近代医療してるぞ?!
容赦ないなあ時サン。アスクレピウスの杖とか九相図とか描いてないよね?
「流石にそれは描かなかったよ」と時サン
「アンタが描いたんかい?!」思わず突っ込んだ!
「時様は何でもお上手ですよ」いえそういう問題じゃなくてですねお延さん!
「やめとけ」…はい、スーの言う通りです。
中世の農耕改革と人口増加、そして戦国、鉄砲、キリスト教の侵略と南蛮征伐。
そこでも多くの死者。奴隷として売られた人達の絵。
「これ、子供怖がりませんか?」
「怖かったよー?でもね、時様が『目を逸らさないで。よく見て考えて』って言うんです」
「まあ、理不尽な虐殺なんかより余っ程マシだろ?」
その理不尽さを知っているお次さんが、暗い目をして言う。
「こんな目に遭ってからじゃ遅いんだ。なんでこんな事が起きたか。
先に知っとくに越したことはないさ」
「その通りですね…」それしか言いようがなかった。
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「ここから先が教室です、みんなー、入って良い?」
「「「ハーイ!!!」」」
うお!中から迸る若いエナジー!!
…???中学生かな?いや、小学生くらいのもいる。
みんなノートパソコンの前に並んでいる。
全員じゃない。半分くらいはノートに向かって、いや、一部は液タブで画面に向かってる何か書いてる?
「ここでは日本と関係国の歴史を教えています。
多くの生徒はPCで勉強して、希望する生徒は古語表現や古文書の筆致を練習しています。
ここで練習にデジタル修正された古文書は国立図書館のアーカイブに記録されて世界の歴史学者に提供されるんですよー」
サレルンデスカー…って、それ最先端の試みじゃないの?え?添削?
「古文書自体はデジタルスキャナで入力されて、それをこことか全国の大学で修正してるんです」
ゴメンね、って言って10歳くらいの子がガチャガチャ打ってるPCを見たら…中世九州の荘園での人口と年代、性別構成、耕作面積…
それが原文とデジタルに画面分割されて、この子は旧字も読んでデジタルの誤変換を修正していた…この子何者?!
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他の教室では、先生らしき女性が小さい女の子を激しく叱っている。
「厳しいねえ」
「でも、しっかり叱らなきゃ駄目な子もいるよ。
あの子は放置児。他の子から奪わなきゃ生きていけないって思いこんで育ってきたの。
だからそうじゃないよって、しっかり叱って、よく出来たら褒めてあげて。
本当の親から教えて貰えなかった大切な事をここで学ぶんだよ」
「みんなちゃんと学んでいくの?」
「半分以上は立派になるよ。
でも、どうしても人に頼った生き方しかできない子も多いの」
その子達は、どうなったんだろう。
泣き出しながらも、どこか芝居じみた泣き方でこっちをチラチラ見る女の子。
大手前の亡者の様な親達といい、世の中の闇を見た気がした。
「それじゃ、天守にいこうね!」
すると、お散歩を前にした幼稚園児くらいの子供達の行列と合流した。
「玉ちゃんせんせー!」
お?子供達がお玉ちゃんを取り囲んで手をつなごうとしている。
年数回の訪問ながら人気だな。
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子供達と一緒に山頂の天守へ。小さい子には結構な運動じゃない?
4人で子供達が迷子にならない様見張りつつ大手道を昇る。って、子供の方が早い。
中腹までは土塁で囲まれていた曲輪も、上層部は石垣で固められている。
中世と近代の中間的な姿だなあ。
そして石垣と下見板張の壁と二層櫓で固められた本丸。
その中央には三層四重?岐阜城の山頂天守より少し小さい天守。
しかし中々にバランスが良い。屋根は銅板葺きでちょっとモダンな感じ?
「この天守は元々杮葺きだったけど、修理を簡単にするため銅板に変えたんですよ」
なるほど。学校って事でなるべく柔らかい感じにしたのかな?
「ねー司さん、みんなに天守についてお話してくれる?」
お玉ちゃんのイキナリの振りに「いいよ!」と答える。
事前に、「子供達に色々話してね」って言われてたもんですから。
「これから、今日学院に泊まってくれる司お姉さんが、お城の天守についてお話してくれます。
みんな、どうしてお城に天守が出来たか、よく聞いてねー!」
お玉ちゃんの先生っぷりも堂に入ったものだね。
「みなさん、こんにちは。私は旅の案内をする仕事をこれから始める、時尾司、って言います。よろしくお願いします!」
「「「よろしくお願いします!!!」」」
元気があっていいな。
そして私は、武士が権威付けのため巨大な天守を作った、という話を簡単にした。
「みんな元は貧乏でいつ死ぬか分らない、力と頭で生き抜いてきた侍でした。
だから、自分の城はお寺みたいな立派な建物ししたかったんです。
一目でこの城の持ち主は偉いんだー!って解る、立派な建物に。エッヘン!」
ちょっと威張った感じの子芝居を入れて話す。
「最初はお殿様は天守に住んでました。でも上り下りが大変で、狭かったりしました。
それで広くて大きい御殿が外に移りました。
そして天守は大きく作れる様に、まるで二階の箱を互い違いに入れる様に作って地震の揺れに強くなり…」
スーと即興で耐震構造を奇妙なパフォーマンスで再現して笑いを取ったり。
「大砲が遠くから飛んでくる時代には天守が要らなくなりました。
でも、その頃には戦うお城ではなく、町の真ん中にあるお城、その真ん中にある天守は、町の人にとってなくてはならない物になったのでした」
「じゃあ、ここの天守もなくてはならないの?」
「そうですよ。きっとみんなも大人になった時、この天守を見たらホっとするでしょうね」
「お兄ちゃんたちがそう言ってた!」
「東京や大坂で働いてるんだよ!」
「そうですかー!立派に働いてるんですね?私より先輩だなー」
「私達も、4月から働き始めるんですよ?」お、スーも話に入って来た。
そこから天守の眺望を楽しんで、あそこは何がある、名古屋はあっちだ、そう話して楽しんで下山した。
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※織田信長が尾張から美濃征服の足掛かりとした小牧山城。
発掘調査は行われているものの、創建時の全容は次々出てくる新発見のため定まっていません。
また、廃城後、小牧・長久手の戦いで徳川家康によって再利用され改修されたりもします。
なので劇中の描写は丸々空想の産物です。
信長時代の復元図は下記の通りです。曲輪の大きさや配置に誇張があります。
https://shirobito.jp/article/332
もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。




