240.ガイド飛騨高山城 天守か御殿か?2
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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飛騨高山の街に着いた私達。
目の前には丘の上に石垣が、下見板張りの塀と平櫓が連なる。
それらは瓦葺ではなく、冬の零下に備えた杮葺き。全体に質素で柔らかな印象が漂う。
「高山城は、16世紀終わりに飛騨の国を平定した越前大野城主、金森長近が引っ越してきて築いた城デス!
街の南に、松倉城がありますネ?最初あそこに引っ越してきて、松倉城に石垣や天守を立てつつ、この宮川と江名子川に挟まれた城山に高山城を築いたのデス。
金森さん、スゴいですネー」
スゴイデスネー。
「高山城は城山の南に本丸、そこから北に向けて二の丸、三の丸を置きます。
でも大手門は一番南に向いていて、二の丸側が搦手なんですよ、ヘンですネー」
ヘンデスネー。
「じゃあ、二の丸から搦手を通って、本丸へ向かいまショー!」
ショー!
ミキ。ノリがアイドルである。
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昔ながらの武家屋敷の並ぶ、二の丸桜門への坂道。
二の丸の石垣の上には炭蔵、荷造蔵等「櫓」と言わない櫓が建ち並び、高麗門の桜門を守る。
桜門の先の石垣を左手に折れ、楼門の中門へ、その内側が二の丸だ。
「二の丸は西側の御殿と、北側の庭樹院殿屋敷の二つの区画に分かれます。
庭樹院殿は五代藩主頼業の妻で、六代頼旹の母です。17世紀末、しかし頼旹の代で金森家は出羽上山城へ移封されてしまいます。
それから高山城は幕府の城代が置かれ、天領となりまシタ」
「って事は、何かやらかしたか、それとも幕府が抑えたかったオイシイものがあったかだね」とラン。
「ピンポーン!どっちもデース!
頼旹は五代将軍綱吉の側用人に起用されながら気に入られませんでしたし、この飛騨には神岡鉱山の銅や亜鉛の資源がありまシタ!
これを幕府が横取りしたお陰で金森家はビンボーになっちゃいまシタ~」
ミキの芝居がかった説明、オモシロ。
「神岡鉱山って…」
「ソーデース!2000年に閉鎖される予定のハイパーカミオカンデが、廃坑となった神岡鉱山の地下に半世紀前に建設されまシタ!」
「で、何なのそのハイパーカミオカンデって?」
と、想定質問をかます。
「ハーイ、エ~と…ソウソウ、
元々神岡鉱山が廃止された後の地下に、宇宙から飛んでくるニュートリノを観測するとか、10の30乗とかかかる陽子崩壊って現象を観測するための実験装置…だったっけ?それが80年前。
で、30年前に3代目のハイパーカミオカンデが作られて、え~…チェレンコフ光の観測と、あとなんだっけ?」
「CP対称性の破れ、って覚えたけど、正直わかんねえなあ」
スーが嘆く。
「私もー。高山とか白川郷とか行ったら出てくる話題だから調べたんだけどね」
この辺、文系には辛いよ。多分1年しない内に忘れる。
「いやいや、その名前が出るだけでもいいんじゃないかな?」
時サンが褒めてくれた。やったぜ!
「優しい…」
コラ、ミキ。話を元に戻せ。
「そうネ。幕府の天領になった高山は穏やかに発展し、今でもノンビリとした風情を伝えていマース!」
改易の話から物理学の話に飛んじゃったよ。
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で、そういった先端科学の施設があるもんだからこの高山城は。
「この玄関門から入った二の丸御殿、そしてさっきお話した庭樹院殿御殿、そして山上の本丸御殿と天守は、物理学の国際会議の時には迎賓館として宿泊施設になりマスヨ。
海外の科学者には大人気だそうデス!特に本丸は!」
そうでしょうそうでしょう。
二の丸御殿は半洋風に改装され、遠侍はホテルのロビーの様にフロントがある。
床も畳ではなくカーペットに改装されていた。
大広間は格調高い会議室や大食堂になる。
台所は、調理ホール、中奥が客室だ。
で、本丸へ。途中、中段屋敷という小御殿があって、ここも小ぢんまり感を求める学者には人気だそうな。雨の日とか不便でしょ?
そして山上、太鼓櫓とつながった搦手門を入った後ろ側に、本丸御殿の玄関がある。
そして御殿の先には天守部分の望楼が…あんまりよく見えない。
てか玄関というか本丸入り口は二層櫓門って感じ。
本丸御殿の反対、東側を囲む櫓も二層多門って感じだ。
重厚な造りながらも、屋根は杮葺きでこれまた御殿風。
靴も脱がずに本丸御殿へ。そして中庭へ。
「大野城やさっき南の山の上にあった松倉城同様、この高山城の中心部も御殿と融合した天守が独特な存在です。
この近くにある小松城天守や、苗木城天守と並ぶ、日本三大珍天守、かもしれませんネ?」
三大?今5つ言ったよね?それに水戸城御三階櫓とか加えたらキリがないじゃん。
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今日も先端科学の一人者の方々が泊っているらしい本丸を堂々進むと、その先は、展望台の様な、開け放たれた高欄。
下を見ると、石垣はこの建物の内側になっている様子。
「本丸御殿は、一部が石垣の上に張り出した、掛造りになってマース。眺望バッチリですネ!
これは、居住性を重視した安土城を長近なりに解釈した拘りなのかも知れませんネ。
ここに泊まった科学者の皆様には、大好評デス!」
内側には上段や付書院があり、天井は折格子天井。ここが格式の高い場所とわかる。
それも今ではラウンジとなってテーブルが置かれている。
「チョっとモダンな装飾は、19世紀に改装されてホールになった時の物ネ。
江戸時代にシャンデリアなんてなかったしネ。
それでも外人サンには大好評ヨ!」
改装されても、全体的には落ち着いた雰囲気があり、やっぱり戦国末期の豪華さが感じられる。
「何か飲んでいくかい?」と時サン。
「時サン運転するじゃない、私達も夜までガマンするよ」
「おお、優しいねえ司ン!」
え?そうかな?エヘヘ。
この御殿の上が、天守の望楼になっている。現在はこのホールに続いていてサロンルームみたいになっている。
そこから見下ろすこの山奥の街は、長閑だった。
街並は、駅前の一角と、西側以外は赤瓦や茅葺の古い家並みが並んでいる。
全国にいくつかある、時間の止まった街だ。
「のんびりした所ですね」
お延さんが言う。
「あのお寺をお参りして、温泉入ってのんびりしたいなー」
ラン、前半は信心深いけど、後半は煩悩まみれだな。
「チャープランさんの言う通りです。
本当に、のんびりした街…」
宮川の向こうには、広大な飛騨国分寺の伽藍が。本当ならその西に国分尼寺もあったけど、今は辛うじて発掘された金堂の基壇があるだけだ。
そして、街の西南、剪定された松倉山の上に、松倉城の…天守?御殿?が聳えている。
「あそこに泊まりましょうか?」
え?
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天守を降り、本丸の周囲を廻ると、やはりというか。
石垣の上に張り出した、掛造りの御殿だった。
これは安土城というより、文禄の大坂城本丸御殿だなあ。
中は幾つかの客間に仕切られ、高欄の向こう、ガラス窓の内側では外国からのお客さんがノンビリ寛いでいた。
こういう愛され方をされるお城も、素晴らしいって思うなあ。
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※現実では金森家改易の時、石垣に至るまで徹底的に破壊されつくされた高山城。
しかしその平面図は多彩に残されていて、中には廃城を行った加賀藩の実測図まであって詳細な姿を知ることができます。立面図は無いけど。
縄張図はこちら。
https://adeac.jp/takayama-lib/viewer/mp000390-100010/39/
本丸の想定復元CGはこちら。
https://www.youtube.com/watch?v=oJq6AD1gYXo
もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。




