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238.ガイド福井城 前田包囲網?

※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。


******


 小松城下での車中泊の翌朝。

 バスコンのキッチンで軽い朝食を済ませる。

 久々のバスコンモーニング、去年の年末年始に行った関東ツアーを思い出す。

「思い出すネー」「ねー」ミキとお玉ちゃんが同じことを考えていた。


 豪華なフェリーやメガヨットの朝食もステキだったけど、こうしてみんなで囲んで食べるトーストやベーコンも、なぜかとっても美味しい。


 バスコンは北陸自動車道を南下。北陸新幹線が並走するのが見える。

 そして街へ、駅前地下駐車場へ。


 なんかヨーロッパの大聖堂みたいな印象の福井駅。イギリスの自然博物館を模して、恐竜化石の国である事を主張してるとか。

 その大聖堂っぽい駅前に、ご当地で発見されたフクイなんとか…何だったっけ?マズいなあ。

 まあそんな恐竜の像が立っていて、アカデミックな雰囲気を演出している。


 お、ランが説明を始めた。

「福井、ここから東へ行った勝山には、恐竜時代の地層が露出しているボーンヘッドとい呼ばれる地層があり、19世紀以来化石の発掘が行われています。

 駅前に立つフクイラプトルは肉食恐竜で、福井固有の種族としてこの地の名前を冠しています。

 勝山には恐竜博物館があり、子供や家族連れの人気スポットになっていまーす!

 そして!」


 ランが反対側に手を向けると。

 駅前の国道の向こう、広大な百間堀の先に、石垣と白壁、そして4基の二層櫓が並んでいる。


「徳川家康の縄張りで知られる北陸の砦、福井城です。

 足羽川と荒川を外堀に利用し、4重の堀で囲まれた越前の巨城でした。

 現在、駅拡大に伴い中の馬場の堀は埋め立てられていますが、大部分の堀は保存されています」


******


 一行は百閒堀を渡り外郭の港御門へ、さらに保存区画である三の丸南端、下乗門へ。


 外曲輪は堀や門が残っていても内部は市庁や県庁、電電公社なんかのビルが立ち並ぶ。

 しかし三の丸以内は公園として整備されていて、のんびりした空気が溢れている。

 本当は城代屋敷や蔵が並んでいたんだけど、近代化の際に色々な施設に移築再利用されている。

 更に二の丸太鼓門を潜る。


「福井城は江戸時代以前は北ノ庄城と呼ばれ、織田政権の武将、柴田勝家の城でした。

 しかし柴田家に子が無く断絶した際、徳川家康の次男であり、結城家に養子に出された結城秀康がこの地に封ぜられ、家康自らの縄張りと天下普請で改築され、今の姿となっています」


 内堀の北には、四層五重、白亜の天守が聳えている。

「柴田家の北ノ庄城天守は相当な高層建築だったのか無理な建築だったのか、天下普請の際には存続が危ぶまれて今の層塔式天守に建て替えられています」


 と、お延さんが言った。

「安土城も姿こそ昔のまま変わりませんが、中は相当に改められているそうな。

 魔人の城も、換骨奪胎で生きながらえている有様ですもの。無理せず建て替えるのもありでしょう」

 久々にお延さんの吐き出す毒舌を聞いた。

 二の丸には、その旧天守の模型が建っていたけど…四層七重って相当無茶な建築だこれ。


******


「この地を治めた結城秀康は、家康の次男とは言え、当時の家康の正室、後に信長の命で処刑される築山殿の子ではなく、まだ妾と認められていなかった女中の子です。

 そのため徳川の子として認められず、浜松城から追放された上で生まれた不遇の子でした。

 しかしその人となりは武将たるに相応しく、二代将軍秀忠も兄として尊敬し、幕府も福井藩を特別扱いとする程のものでした」


 目の前にそびえる雄大な天守や、本丸塁上のこれまた天守並みのサイズの三層櫓を眺めると、徳川の城だーって圧倒される。


 そして巽、坤の三層櫓に挟まれた本丸大手、瓦門の先には、左手入母屋の大屋根を南に向け、その手前に玄関を設けた本丸御殿。

 右手の巨大な切妻屋根は台所だ。


 中は将軍家を招くことも念頭に置かれた、徳川スタイルの豪壮な御殿。

「これはさあ、金沢城に先に行くのと、こっち先に来るのとどっちがいいもんかねえ」

 というスーの悩み。そう悩むのも解るけど。


「それ言ったら北側も高岡城とか高田城とか色々立派な城があるから、悩むだけ無駄かもね。

 徳川対外様、っていう図式で数を絞って案内するなら…それでも私達が来たルートでいいんじゃない?

 スゴい前田VS、幕府松平包囲!網みたいな感じで」


 暫くスーは考え込んだ。そして

「それでいっか~」と振っ切った。


 本丸御殿は松平公爵家の行事でも使われているが、通常は博物館だ。

 高田城で見た、対露戦の資料なんかも展示されている。


「結城秀康公の跡は二代忠直公が継ぎ、彼もまた英邁の兵。

 大坂の乱では外堀南面を勇猛に突破する偉業を成すも!二代将軍秀忠との確執があったのか流罪となり、ここ北ノ庄は次男忠昌公が治める事と相なりました。

 この時この地を福井と改め、以後の治世の礎となりました。

 権力者との争いは、諸行無常というより誠他にありません」


 うん。諸行無常だ。

 時サンの言ってた真田信繁の百倍返しとか、私達の歴史じゃ無かったしねえ。


「そして時は19世紀。

 秀康公の英邁な血の末なのでしょうか、または敵を目前に控えた立地でしょうか。

 ロシアの脅威に戦うべきか、往なすべきか。

 国論二分の危険を前に、元福井藩主の統福井松平侯爵、春嶽公。

 対露戦を全面戦争にせず、かつ侵略意図を挫折させるため、戦いを極小化かつ効果的すべしと国内外の論を見事に纏めました。

 そして坂本龍馬の海兵隊建白を取り入れ、莫大な予算を捻出するため活躍し、見事大捷を後ろから支え切ったのでありました!」


 なんかラン、歴史講談みたいなノリになってるな。NKHみたい。


 瓦門から渡櫓に入り、多門櫓を経て三層の巽櫓へ。

 初層屋根に比翼千鳥破風を、二層目に千鳥破風を乗せ、三層目に軒唐破風を乗せた出窓を持ち、初層と二層目の窓が上下二段になっている、天守みたいな豪壮な櫓だ。


「本丸南面の巽、坤の両櫓は、築城間もなく火災で焼失しました。

 スプリンクラーの取り付けに問題あったんでしょうね。

 そのため、三層櫓に拡大されて再築されました。

 比翼千鳥破風を備えた巽櫓、唐破風を重ねた坤櫓と、その背後にそびえる四層天守は金沢を睨む幕府の要衝としての機能を充分に果たした事かと思います」


 確かに、この三層櫓から眺める本丸御殿、坤櫓、そして天守の威容は圧巻だ。


******


 そして、天守。東と南に小天守台があるが、そこに何かが建っていた記録は無いし、計画も残っていない謎の遺構が。

「徳川の天守って江戸城も大坂城も天守台があって小天守ないよネー」

 ミキの言う通り、最初から何もなかったんだろうね。


 しかし、他の徳川の天守と違って、千鳥破風ではなくもう一回り大きい入母屋屋根が、優雅さより威圧感を感じさせる。

 そして最上層が高欄。妻側には三層目に比翼千鳥破風の上に更に破風が乗る、これもあまり例の無い姿。


「美しいって言うより、マッチョな感じだなあ」

 スーの言う通りだ。バランス感覚より、威圧感重視なデザインだなあ。

「優雅な金沢城に対抗してマッチョにしたんじゃね?」

「その説もありかもねー」思わずスーに同意した…。


 なんか後ろで時サンが爆笑してる。正解なのか?


******


 天守下、山里門から廊下橋で二の丸に出る。

「徳川本気の城は、やっぱ違うわねー」

「司ンは白黒キンピカの城と、白亜の城とどっちが好きかな?」

 時サンが聞く。


「どっちも好きですよ?

 夫々に主張や工夫があるし、背負ってきた歴史があるし。

 出来上がって残されてきたものに、優劣をつけるのはどうかな、って」


「あ、いや、単純に好みの問題だけど」

 あ、良し悪しじゃないのか。


「それなら、白い方かな?

 青空や松の緑、石垣の灰色に映えて。

 城の外に桜が咲いていればなお綺麗かなあ」

「やっぱりそれが日本の原風景なのかもね」


 時サンは満足そうに頷いた。

「そろそろ桜のシーズンだしね」


 私達が社会人になる日も、それだけ近くなって来たなあ。


******


※柴田勝家の北ノ庄城天守。史実では秀吉に敗れお市の方と共に切腹し火薬に火を放って爆散したという幻の存在です。

 かつて城址南の柴田公園に想像天守の模型が建っていましたが耐久性のない期間限定の模型だったので撤去されました。

 1982年フジテレビ制作の新春ドラマスペシャル、特撮に円谷プロが参加した「戦国の女たち」(ビデオ作品)で爆発シーンが再現されていましたが、遠景だったので詳細がわからず、どんな資料に基づいたのかも不明です。

 なんとなく、豊臣家大坂城天守に似ていた記憶があります。

 もしかしたら大坂城を参考にしたのかも。

 なお大坂夏の陣は単層の櫓で豊臣親子が切腹して終わりだったので大坂城炎上シーンはありませんでした。

 あの時代。「幻の空中戦艦富嶽」とか「消えたタンカー」とか…特撮マニアは飢えていたのです。


※現在では本丸石垣と内堀のみが残された福井城の縄張りと各部の名称が下記ブログに記載されています。

http://blogyang1954.blog.fc2.com/blog-entry-1712.html


 CGによる復元は、下記の通りです。

https://8787pc.com/%E7%A6%8F%E4%BA%95%E5%9F%8E.html


※古写真や絵図に残る本丸南面の巽、坤の三層櫓。実際は17世紀半ばの火災で本丸が全焼し、天守を復元しない代わりに二層だったものを三層に拡大して再築されたものです。 

 なので、四層天守と三層櫓が並び立つ劇中の情景は…ロマンです。

 それを言ったら江戸城二の丸の三層櫓群も、明暦の大火の後のものなので。


※この世界、〇本放送協会は存在せず、国税による日本国営放送(NKH)が存在します。誰かがBBCを参照に作ったみたいで、暴虐な料金徴収はしていない様です。

 もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。

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