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232.ガイド高田城 悲劇とやらかしの藩主達

※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。


******


 高田の駐屯地は、高田城の外堀の南側に位置していた。

 師団司令部は大手門脇にあり、旧藩の役所であったが今はレトロな煉瓦建築だ。

 そこに、例によって有志の将兵が歓迎のため集結している。

 新発田、福島、そして高田と陸軍管理の城が続くなあ。長岡は陸海共同管理だったし。

「まあ、英国貴族に海の女傑達と一緒でもなければ、こんな歓迎を受ける事もないでしょうね」とスーに言ったら。

「ヤメロー、それフラグってヤツだぞ?」だと。

「その内、時尾さんだけでも歓迎式典する様になるかもしれませんよ?

 これだけ大変な人達を集めていらっしゃった力のある方なんですから」と中尉さん。

「ほれ見ろ」とスー。まさかそんな。


******


 土塁の城ながら大手門は門の両脇を高く囲い、厳重さを感じさせた。

 さっきまで乱暴な口調だったスーがキリっと表情を改め、案内を始めた。


『高田城は、豊臣政権で堀氏が支配した越後に、徳川の命によって入封した家康6男、松平忠輝の命によって福島城に替わる越後支配の拠点として築かれました。


 この築城は忠輝の妻、五郎八いろは姫の父である伊達政宗を筆頭に、米沢の上杉家、松本の小笠原家等の外様大名13家が動員され、わずか4ケ月で完成しました。

 この強引な築城の裏には、大坂の乱を予見した徳川政権による、外様大名の体力削減、加賀前田藩への牽制、北国街道の制圧、そして佐渡金山統治等様々な目的があったと考えられます』


 大手門を抜けた一行は柳橋門から二の丸に入る。すると、目の前には、初層が下見板張り、それより上は白亜の三層櫓。

初層に出窓とその上に切妻破風、最上層には軒唐破風と、江戸城の三層櫓を縮小した様な小柄ながら洒落た層塔式の三層櫓だ。

 各層の窓の上に長押が巡り、三層目は白亜の真壁造りだ。


『当初、高田城は石垣で天守台を築き、その上に三層の天守を上げる予定でしたが、大坂の乱に間に合わせるためこの三層櫓を代用としました。

 この櫓は同時に本丸へ渡る極楽橋とその先、本城御門を守る着見櫓としても機能していました』


 さて、ここでも

「すみません、記念写真を…」来た。

 若い兵隊さんへのちょっとした慰問だと割り切ろう。

 止めに入ろうとする中尉さんを制して、撮影会。


「私だったら絶対イヤだな~」と、呆れる案内の中尉さん。

「アノ娘達も、解った上デ、応じているのですヨ。健気ナLadiesデス!』

 キャプテンがフォローしてくれた。何か恥ずかしい。


******


 本丸へ内堀を渡る極楽橋の先には、左右に高い土塁と、その上の平櫓、真ん中の高麗門、蹴上門。土塁と門の間の斜面にも下見板張りの塀。

 威圧感があるファサードを越えると、枡形の右手に楼門の本城御門。

 佐倉城の楼門とよく似ている。


 そして本丸御殿へ。

 天下普請の御殿は広大で、豪華だった。

 徳川の権威を感じるに充分なものだ。


『当初、堀家に替わって入封した松平忠輝は75万石の太守でした。

 しかし大坂の乱で幾つかの命令違反を起こしたとされ、二代将軍秀忠の命で改易され、子は待遇に怒り放火し自害。

 忠輝本人も飛騨高山城、諏訪高島城へ配流され90過ぎの長寿で死亡しました。

 どうも生まれてこの方、特異な風貌だった所為か家康に遠ざけられ、家康の死に際にも合わせて貰えなかったそうです』


 スーは、さっき福島城でのランの解説に一手加えて説明した。


『そんな悲劇もあったものだなあ』

『これは伝承です。一説では忠輝が伊達政宗に感化され対外貿易に乗り出した対抗措置、とも言われています』

『そっちもまた厳しい話だ』


『福島城での堀家の騒動と、過酷なまでの忠輝改易。

 ここはそれ程幕府が統治力を強めたい程重要な場所だった、という事かも知れません。

 その後稲葉氏、戸田氏等が交代し榊原氏で高田藩は解散しますが、ここもやらかし大名の墓場みたいな扱いで、75万石から始まった高田藩は最後には10万石にまで落ち込みました。

 最後の榊原氏の治世は落ち着き、近代化を無難に推し進めたおかげで、今の軍都高田があると言えるでしょう』


 お、係員の軍人さんが頻りに頷いている。


『その榊原氏は何をやらかしたのかな?』

 珍しく時サンが質問する。これはテストだな。

『なんでも江戸で評判のオイラン、高尾太夫を高額で身請けしたのが幕府の勘気に触ったとか』

『オイランか。何故オイランと言うのでしたでしょう…』バージニア夫人の質問に、

『狐と違って、人間を化かすのに「尾」が「要らん」からですよ』

『まあ!』夫人はコロコロ笑った。

『いろいろな説はあり、これは俗説ですよ』

 また高尾太夫か。伊達騒動でも出たな、と思い出す。

 本当に尾が要らない様だなあ。


******


 小ぶりな三層櫓は南面以外が解放され…と言っても狭いー!

 交代交代で高田平野や遠く妙高山を眺める。


 そして一同は駐屯地の将校と談笑しつつ、大手門の西にある国鉄高田駅へと向かった。

 大手門から見送る兵隊さんが私達案内組を見送る目が、なぜか強い熱気を帯びていた。

 思わず笑顔で返したら、更に皆さん姿勢を正した。オゥ…


******


※越後の国府、高田城。

 その縄張り等は下記のブログに詳しく説明されています。

https://ameblo.jp/idryou/entry-12714484628.html

 春日山城、福島城と併せた紹介CGは下記の通りです。

https://www.youtube.com/watch?v=-GDB0pxnGBc


※現在高田公園で桜の木に囲まれてイマイチよく見えない復元御三階櫓。

 小柄ながら内装は木材で覆われ、外装も真壁造り、柱や梁を漆塗りにしていて中々珍しい外観に仕上がっていますが、どうも徳川の城らしくない。望楼式だし。


「本丸御殿絵図」に従った復元らしいのですが、他にも江戸城の三層櫓を彷彿とさせる絵図もあり、本作ではその記述に従って層塔式に描いています。


 譜代の城にありがちな「天守は江戸城富士見櫓に似ている」との伝承がここにもあり、今の復元三階櫓を見ると「どこをどう見たら富士見櫓なのか?」と思ってしまったのも一因です。

 もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。

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