219.お宿は平泉温泉 ガイド盛岡城
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
******
送迎バスで無量光院の西、毛越寺の北にある平泉温泉へ。
早速ビバノンノン。
「やー、結構歩いたなー」とスー。
「猛烈ダッシュしそうな人がいたネー」とミキ。
まだ無量光院の景色の興奮冷めやらぬラン。
「これランさんや、現世に戻りなされ」とほっぺをさする。やわらかー。
頭を叩く訳に行かないからね。
「はにゃ!」埴輪の王子様かな?
「ランのガイドは結構トンがってて、気持ちが溢れ出ててよかったけど…」
と言いかけたところでスーとミキの視線が。
私も深呼吸して。
「「「溢れすぎ!!!」」」
「ヒィー!」
あ、自覚あったんだ。
******
夕食後はお部屋で反省会。
「ごめんねー!」
と頭を下げるラン。そうまでされると厳しく言えないよね。
「いや、結構心に響いたぜ。私もあの夕日には泣いたよ…」
と優しく言うスー。誰だこの慈悲深い美女?
頷くミキ。彼女はクリスチャンだから何かいい言葉が出ないんだろうなあ。
と。
「人は太陽や夜空、自然の前でネ、この世界を作った神の存在を実感するヨ。
ランの心は綺麗ネ」
…人間の知恵が及ばない世界か。彼女の信心も深いなあ。
顔を見上げたラン、泣いてた。
鼻水も垂れてた!やっぱ残念美人だー!
「私、日本に来て良かったよ~!
みんなに会えてよ"づだよ"~!」
鼻水が飛んできたー!
まあ飲め!平泉の南、一関の地酒「世嬉の一」で乾杯だ!
******
「らいだい!にほんは~!ほとけしゃまを~!大事にしろー!」
「イェスしゃまをしんじろー!」
出来上がってしまったランとミキ。なんで異教徒同士盛り上がってんだ?
しかもまだ4人で半升も空けてもいないんだが?
「どーすんだ~こいつら~」酔いながら困惑するスー。
「あんたんとこの社員でひょ~」「まだ社員じゃにぇ~」
埒が明かないでしゅにゃ~。
「も~寝るよ~」「わらひもしょ~しゅんわ~」
と離脱する私とスーに
「こりゃ~仏様を大切にしりょ~!大切にしないやちゅは死ぬべきなんじゃ~」
抱きつかれたー!これグリグリされて血まみれコチャンに!
…あ、寝た。
これ、夜中に起きてリバース一直線だな。
******
お酒が良かった所為か想定した悲劇にはならずに済んだ。
しかし私とスーはちょいとクラクラしつつ新幹線へ。
「私らがチームで同行する時は…飲酒制限すべきだな」
なんとなく飴ズのリーダーになりつつあるスーが考え込んでる。
なぜかケロっとしているランとミキ。恨むぞ。
******
新幹線は北上川の東にある盛岡駅で停車。
北欧かチロリアンかってな木造大建築を模したみたいなファサードを中央に構えた、今昔入り混じった駅を後にした。
若干の木々に囲われた、壮大な石垣の城は城下の先、北上古川を越えた先だ。
この北上古川、結構広い内堀になってる。
中央通りはその広川を越え、城の北側三の丸、銅門前を過ぎて城の東を守る中津川を越えていく。
私達は銅門から城内へ。
かつて藩政を行っていた勘定所は盛岡市庁となっている。
その南が三の丸入り口、鳩門と更に折れ連なる瓦門。
いずれも下見板張りの櫓門だが、高麗門がセットになっていない古風な物だ。
「盛岡城は豊臣秀吉の配下となった東北の大名、南部氏が築きました。
それまで盛岡県の北部、三戸にあった本拠をこの不来方に移し、盛岡と改称しました。
土塁で築かれ、天守を持っていない城が多かった東北の地に、豊臣の配下として石垣を築き天守を上げ、西国に負けない城を築き上げました」
お。九戸の乱はあっさり省略したね?直接盛岡城と関係ないからいい選択かもしれない。
三の丸から南に連なる二の丸へ、車門を入って進むと正面に表御殿。
「こちらは二の丸御殿、ではありません。表御殿です。
かつては本丸に本丸御殿、そして勘定所の西に下屋敷と言われた藩主御殿がありましたが、これらは城内に統合され、本丸と二の丸で表向き、奥向きに機能を分けそれらは渡り廊下で繋がれました。
盛岡城は御殿の奥向きが維持管理されている数少ない城ですので、その珍しい構造を見て行きましょう」
表御殿は南部藩の治世を展示している。
甲冑とかも多数収められ、防犯に目を配る係員も配置されている。
お疲れ様です。
大広間で一休みし、更に奥へ。
「二の丸と本丸は、一つの丘を東西で堀を穿って分断していましたが、両者を渡り廊下でつないで中奥御殿に向かいます。
なおこの堀は城の東西をつなぐ通路でもあり、この様な構造は彦根城と並ぶ造りとなっています」
彦根城程キルゾーンになってないけどね。
…いや、一部壁が削られ、本丸北面を眺められる場所から見ると、キルゾーンだ。
北面は多門櫓で固められ、その真ん中を廊下橋が貫いているが、東側は二層櫓が睨んでいる。
******
本丸内は、中奥の御殿が多門櫓間近まで迫っていた。
「当初ここに本丸御殿がありました。
しかし江戸期に年々拡張され中奥、そして大奥御殿となり、更に大奥は二階建てとなりました。
しまいには本丸西の石垣の外側に三階建ての聖長楼という建物まで設けられ、世にも珍しい三階御殿、しかも城の石垣を越えてしまう建築が誕生したのです」
中奥御殿の先には、確かに二階建て御殿がひしめいていた。
その所為で天守が見えない…
二階御殿の中でも眺望の良い一角に登ると。
「赤いネ」
「赤いね」
赤瓦葺きの天守が、最上層に華頭窓を連ねて聳えていた。
御殿は銅板葺き。これは近代に維持費を浮かせるための改築で、元は杮葺きだったそうな。
天守の東に、二層目の窓の両側に戸袋を付けた望楼風の櫓も見える。
その初層は御殿に廊下が伸びている。月見櫓みたいな遊興の施設だ。
そしてさっきスーが説明してくれた聖長楼は内側からじゃその奇景は拝めない。
「じゃ天守行きましょ」
******
川に挟まれ、北側に三の丸から本丸まで中心部が一直線に並んだ城の全容が見下ろせる。
南側の腰曲輪である馬場も、櫓が東西を固める。
東側はL字型に窪み敵に横矢を掛ける二層櫓、西側は大きめの平櫓だ。
「当初、二の丸、三の丸は本丸北面を守る二重の馬出と構想されました。
平和になった江戸時代に、巨大な御殿を連ねる様になるとは考えられなかった様です」
だよね。
天守を降り、問題の聖長楼へ。
和風旅館みたいな居住施設を眺め、1階から降りると。
「石垣にへばり付いてるヨー!!」
「これは…仙台城とは違った何かがある…あ!上野駅だ!」
「有難みねーなー!」あ、スーが素を出した。
「これが本丸御殿奥向きを拡張しまくった挙句石垣の外にはみ出した聖長楼だよ!
他じゃ見られねえからよく見とけー!なさいな…オホホ」
あ、またお淑やかに戻った、つもりでいるな。遅いけど。
******
天守から見た馬場の西端、大きな平櫓の先吹上門から階段を降りると。
「すごい石垣だね~」
「迫力あるネ!」
「主要部全てを石垣で固めた盛岡城ですが、江戸期を通じ何度も修理され、その都度技術が向上しています。
しかし江戸城や大坂城の様な布積みにはならず、打ち込み接と言われる野性的な趣を今に伝えています。
赤く華頭窓が並ぶ天守、建ち並び石垣からはみ出す御殿、そして壮麗な石垣。
これらが盛岡城の魅力です」
おー!綺麗にまとめたなあ~。
そのまま私達は中心部の西側、腰曲輪から壮大な石垣を眺め、櫓門も高麗門もない土塁だけの枡形門から盛岡県庁前に出て、バスで駅に戻った。
******
※平泉の街並の中の温泉宿はと言うと、「武蔵坊」という日帰り温泉併設の宿があります。残念ですが私が行ったときには満室で予約できませんでした。
※盛岡駅舎は戦後に建て替えられるまでの二代目木造駅舎をモデルにしています。
※盛岡城中心部の復元模型下記を参照願います。
https://kojodan.jp/castle/36/photo/234577.html
復元CGは下記を参照願います。
https://8787pc.com/%E7%9B%9B%E5%B2%A1%E5%9F%8E.html
※聖長楼の画像は、香川元太郎先生の小さい復元図しかありませんでした。
https://rekishi.kagawa5.jp/135-%e7%9b%9b%e5%b2%a1%e5%9f%8e/%e5%b2%a9%e6%89%8b%e7%9c%8c/
もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。




