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218.ガイド中尊寺・無量光院 残念美人、涙の合掌

※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。


******


 バスは次いで中尊寺、平泉の町の北へと向かい、参道入り口の駐車場で下車。

「ここからは、親から貰った二本の脚が頼りだよー!仏の世界に進むべし!」

「こらラン、案内士はお客様御一行の健康状態にも気を使って速度と時間を調節するもんだぞ!」

 んていうか、もうすっかりスーがランの上司みたいだ。


「えー?だってお釈迦様が…」

「お客様がお釈迦になっちまうよ!」

 何だこの仏コント。


「まーラン、マイペースで行こうよ。仏の教えは足早に逃げやしないでしょ?」

 と声をかけ、参道を上る。


******


「結構、上る、なー」

 バス停があった駐車場からは、結構な上り坂と、馬の背の様な長い参道。

 そこをひたすら進む。

「これ、初詣、とかだったら、大変だろネー」

「あんまり、考えたく、ないよ、それ」


 先頭は妙に張り切っているラン。

 そして私達は金堂へ。ご本尊様は釈迦如来像だ。


「中尊寺は、奥州藤原氏が最初に建立した寺です。

 そもそもは9世紀に開かれたものの当時は荒廃していました。


 前九年、後三年の易で多くの人を殺し、自らも妻子を失った藤原清衡が、平和を願い死者を供養するため再興したものです。

 ここ、金堂にはプッタ・チャオ、釈迦如来像が坐しまして、法要を行っています。

 藤原氏滅亡後14世紀の火災で失われたものを17世紀に仙台藩が復興したもので、建築そのものは新しめですが、今でも平和を思う祈りの心は変わりません」


 よし、信心がいい感じに働いているぞ、その調子で行ってみよう。


******


 金色堂…うわ本当に金色だ。

 ガラスの堂で覆われた小さいながら絶大な存在感を放ち輝いているお堂。

 そのガラス堂の中に入ると…黄金の洪水!


「この金色堂は、奥州藤原家の霊廟として初代清衡が10年以上の歳月を費やして建立しました。

 現在、この中尊寺に12世紀から残っている唯一の建物です。


 阿弥陀如来像を中心に地蔵菩薩、二天像等が配置されていますが、これは創建時からのものではなく後年に移されてきたものと言われています。


 そして周囲の装飾には金だけでなく螺鈿も施され、建物全てが芸術工芸品となっています。

 これらは奥州藤原家の繁栄を支えた東北で採取された砂金を惜しみなく使ったものです。


 仏様の坐します中央、須弥壇の下に三代の当主の遺体と無念の内に敗死した四代泰衡の首が収められています」


 う~ん、栄枯盛衰だなあ。

 このお堂だけでも残ってよかった。


******


 ガラスの覆堂が出来るまで風雪から金色堂を守った前代覆堂が金色堂の先にあり、その次は釈迦堂。


「釈迦堂には百一体の金色の釈迦像が並ぶ盛観を誇るお堂です。

 京に藤原道長が建立した法成寺の釈迦堂に倣ったと言われます。凄いです…」

 と、ランは説明を終えると合掌して拝む。


 更に多宝塔…ならぬ多宝寺。塔ではなくお堂だ。

「この多宝寺こそ、中尊寺の中心を成す存在です。先ほどの釈迦堂と、釈迦の法華経を信奉する多宝如来、更にこちらにも釈迦如来を置く中尊寺は、阿弥陀如来の救いを求めるだけでなく、お釈迦様の救いこそ強く求める寺だったのです」


 力と熱の籠った案内はすでに説法の域に入らんとしていた。

 後ろの方でご老人がランに向かって合掌してるし。


 そして最後に訪れるのは、中央部が二階建てになっている…様に見える二階大堂。

「こちらが高さ9mにも及ぶ阿弥陀如来立像です。

 このお堂、名前は二階となっていますが、実は一階建てです。

 この大きな阿弥陀様を収めるため、中央部を高くして二階の様に見せているのです」

 そうそう。左右には3m程度の阿弥陀像が並んでいる。


「中尊寺を見た畜生源頼朝はその豪華さに恐れをなしたと言い、特に二階大堂の壮大さに倣い鎌倉に永福寺を建立したと言われていますが、そちらは再興されること無く今に至っています。」

 そしてまた合掌して礼。

 さっきよりこれに動きを合わせている人が増えてる。


******


 中尊寺参りを終えた私達は、金色堂の裏からバスで駅へ。


 駐車場の手前に池がある。

「この池は、かつて初代清衡が浄土式の堂を建てようとしましたが、何らかの理由で中止された跡地です。

 実現していれば毛越寺の様な伽藍がここに建立されたでしょう」


 そうしたら中尊寺だけで極楽のテーマパークができるなあ。

 清衡はそういう世界をここに作りたかったんだろうなあ…


******


 駅に向かうバスは、途中で線路を渡って東側へ。


 そこには…更なる極楽浄土があった。

「はう~!平等院鳳凰堂ー!」

 狂喜するラン。

 やはり残念美人だなー。信心篤いのはいいことなんだろうけどね。


 東門から見た無量光院は、鳳凰堂…とは違って手前の中島に前段となる建物が建ち、ちと印象が違うなあ。


 しかし13世紀の交通も不便だったこの地に、こんな…感じの寺院を幾つも建立し、にぎわった町を開いた奥州藤原氏、凄し。


「無量光院は二代…ああ!陽が沈む!」

 ランは、本堂に向かい、合掌してフリーズしてしまった。


 夕日が沈む。本堂の後ろの山に。

「ホントだ…」「キレーイ」

「あ…」

 山の際、夕日が強く輝く。

 金色の光が私達を照らす。


「スカウディ…」

 ランは涙を流していた。

 赤く染まった世界で、手を合わせて。

 私達も手を合わせて、西に向かって祈った。


 陽は沈み、建物がライトアップされた。

「これも…中々…」

 スーが溜息を吐いた。

 本堂が闇の中に照らし出され、これも極楽浄土の姿の様だ。

「よかったね、ラン」

「私、この景色も忘れられないよ~」

 感極まって泣いていた。


 ガイドすんの途中で投げ出していたけど。まあ、あとで注意すればいっか。


******


※中尊寺の最盛期の復元図はネット上にはありませんでした。

 多くのサイトの情報を合体させた記述になっていますが、その基礎となるのは「吾妻鏡」収録の「寺塔已下注文」という鎌倉幕府の命令で中尊寺が提出した伽藍の報告書です。

 二階大堂の復元模型は写真がありましたので下記を参照願います。

 金色堂のガラスの覆堂は実在しません、ファンタジーです。

http://hirotabi.web.fc2.com/hiraizumi-tono1.html


※無量光院の復元模型です。毛越寺の円隆寺の模型も並んで掲載されていて、浄土建築ながら微妙に違う両者の差が比較できます。

http://www.hiraizumi2011.jp/resthouse/hiraizumibunkashikan2013.html

 もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。

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