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216.ガイド仙台城 東北の独眼竜、天守を上げず

※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。


******


 新幹線でアっという間に仙台。

 流石大都会。今までとは違う人の多さに妙に落ち着く。

 駅前は城まで一直線の繁華街が伸び、途中に二層櫓の様な巨大な商店が交差点を囲む様に建っている。


 赤煉瓦造り洋館風の仙台駅。

 近年解体移築された木造駅舎のイメージを守って拡大した新築のものだ。

 そして駅前ロータリーの先には、百貨店や銀行のビルを囲む様に、江戸時代の商店をイメージした二階建て白亜海鼠壁の商店が並び、新旧の時代を融合させた街並を作っている。


 途中まで歩いて行く。さっき見えた二層櫓が囲む交差点だ。


「仙台は戦国大名のラストランナーと例えられる伊達政宗に開かれた町で、現在では東北地方の中心地となっています。

 駅から城まで続く大手へ向かう大町通、そして東北を縦断する奥州街道が交差する、あの大きな櫓の形の商店が囲む交差点、芭蕉の辻を中心に発展しています」


 巨大な二層櫓群は、その棟の左右に鯱ならぬ龍を乗せている。なかなか見たこと無い姿だ。

 何て言うか、豪気だね!


「この櫓は仙台藩が築き、その1階を有力な商店に貸して店舗にしたもので、ここに店を構えるのが市内の商人のステータスでした。

 江戸期を通じ、この櫓の維持管理は仙台藩によって成されました。


 現在は道路拡張のため今の場所まで曳家され保存され、昔と変わらず仙台の顔として交差点を通る人々を見つめています」

 今では地銀、共済組合などの店舗になっている。


 芭蕉の辻から城までは市電で向かう。


******


 電車が広瀬川に向かうと、正面にトンネルが見え…

 トンネルの上に巨大な、金の装飾を散りばめた楼門が見え、更に左手の山上には。

「清水寺?」

「秀吉の大坂城本丸御殿カナ?」

 そうだよね。そう思うよねー。でもここはスーのガイドにまかせよう。

 仙台の町の顔、芭蕉が辻をキッチリ案内できてたし。

 ただ、普段のスーを見てると、ガイドしてる時の上品なお嬢様っぽい振舞が…振舞が…

 これ以上言うまい。


 市電は大手門前で止まり、右折して仙台師団の敷地に向かった。


「仙台城は17世紀初頭に、60万石の太守伊達政宗によって築かれました。

 仙台は海路に陸路、交通の要衝として優れた地で、本丸に選ばれた青葉山は天然の要害でした。

 ただ、当初は青葉山の本丸を中心に構成された仙台城ですが、城下町との往来に不便を感じた二代藩主忠宗により広大な二の丸御殿が造営され、二重の城として現在までその姿を伝えています」


「毎日山登りは嫌よネー」

「あそこまで登るのかあ~」

 山上には三層櫓が並んでいる。


******


 巨大な二の丸大手門。


「この大手門は名護屋城大手門を模したものと言い伝えられてきましたが、現在では金具の文様から二の丸拡張の際築かれたものと推測されています。

 門柱上端や梁の金銅金具、桐の紋に菊の紋が派手に施され、壮麗な門として姫路城菱の紋と並び称されます」

 脇に二層の櫓を従えた威容は国内でも随一のものだろうね。


 そしてその内側には、狭い堀を挟んだ向こうに二の丸詰の門、そして壮大な二の丸御殿。

 現在は表向きが残され、仙台博物館となっている。

 奥向きは解体され各地の寺の本堂などに再利用されており、その跡地には煉瓦造りの仙台師団司令部と、今なお東北を守っている師団の兵舎が広がっている。

 公開されている旧師団司令部以外は機密のため部外者立ち入り禁止だ。


 二の丸御殿は実に壮大で豪華。

 床もよく磨かれて鏡の様。ミニスカートだったらまずかったかも。

 流石全国屈指の雄藩の御殿、名古屋城や二条城に匹敵する御殿だわ。


 各室内には藩政の歩みや軍の近代化を示す資料が展示されている。

 この辺も全国各地で似た様なものだが…


 特大の船の模型。

「伊達政宗は一大名としては例外的ともいえる、直接ヨーロッパに使節を派遣した最初の大名でした。

 臣下の支倉常長を蒸気船サン・ファン・バウティスタ号に乗せ、南蛮征伐の際と同じファラオ運河を使った航路でスペイン国王フェリペ三世の元へ派遣し、日本への敵対行動を止めれば交易すると親書を送りました。

 これを慶長遣欧使節と言います。


 しかしこの試みは大坂の乱でスペインが豊臣方に肩入れしたため失敗に終わりました。

 唯、スペイン王やローマ教皇に親書を送り、日本の大名の存在をヨーロッパに印象付けたこの施設は、その後に続く日本の国際貿易のトップバッターとして参考にされ、幕府の指導の下遣欧航路が強化される元となりました」


 時サンの話だと徳川家は切支丹弾圧、スペイン・ポルトガルとの対立そして鎖国と、日本とヨーロッパが途絶する歴史に向かったそうだ。

 でも私達の歴史ではこういうチャレンジが続いて国際貿易が盛んになって、日本が絹布を大量生産して経済発展が続く、という誰がそうしたか解り易い歴史を辿ることになる。


 まあそのお陰で時サンの言う日露戦争も第二次大戦での国家滅亡も経験せずに済んだんだからヨシ!


 それにしてもサン・ファン・バウティスタ号にしろ南蛮征伐艦隊にしろ、鉄製でマストが無い煙モクモクな鉄船を見てヨーロッパの人たちは腰抜かしただろうなあ。


******


 そこから城内シャトルバスで中の門を抜け、山上の本丸へ向かうと…

「「「でか!!!」」」

 いきなり眼前に現れた高石垣。

 綺麗に切りそろえられた石が隙間なく積み上げられている。

 そしてその上には城下から見えた、勇壮な三層櫓。


 バスが石垣沿いに進むと、更に三層櫓が二基、そしてその間に階段と楼門。

 バスはそこで停車した。その先は行き止まりだ。


「「「でか~」」」

「これが本丸入り口を守る本丸詰門と、その左右を守る三層の東脇櫓、西脇櫓。

 でけえなあ…」

「スー、地が出てるよー」

「しまった。まいいや。

 この櫓と門は17世紀半ばの正保地震以降幾度か地震で倒壊や破損を繰り返しましたが、都度幕府や商人からの寄進で修復されて来ました」


 今まで上品なお嬢様ガイドしてたスーを素に戻らせる仙台城、スゴし。

 そしてシレっと素からお嬢様に戻るスーも恐ろし。


 階段を上って本丸へ…


「「「でか!!!」」」


 詰の門左手に、彫刻や金細工で飾られた唐門の御成門。


 その向こうに、本丸御殿大広間の巨大な屋根。

 その妻板に輝く、近藤金具の菊の紋と左右の桐の紋。


「こちらが、伊達政宗公が京の聚楽第を模して築いたと言われる大広間、別名千畳敷です。

 でけーな…」

 また素が出てるぞスー。

 しかし何だね、「東北に来たら二条城があった!」と言わんばかりのド迫力だ。


 右側の玄関から入ると、中も豪華だった。

 二の丸御殿以上に豪華なその内部は…

 金泥に猛獣を描いた障壁画、帝鑑図。柱や梁は黒漆で塗られ金具で飾られ、天井も二重折格子という最上の格式。


「この御殿は、天皇行幸をも視野に入れたと言われ、仙台藩が全力で飾り上げた芸術品です」

 …です。

 的確に抑えた説明、やっぱスーはスゴイな。


 今なお伊達伯爵家の行事や国際行事の迎賓館に使われるこの御殿を奥に進むと…

「「「絶景ー!!!」」」


 城下を見下ろす展望台か?っていう、これまた豪華な書院。

 高欄の下は…崖だった!


「こちらが、天守の無い仙台城を象徴する建物、掛造りです。

 城下から見て、清水の舞台の様に見えたのが、この書院です」


「スゴい建物ネー!」

「天守は無いけど、色々驚かされるお城だよね」

 ミキとランの言う通りだ。


「一説には伊達政宗は江戸城より天守の部材を下賜され、これで仙台城に天守を上げる様言われましたがそれを断り、この御殿の部材にしたと伝わります。


 太平の世を迎えつつある時に、自藩の威風を過剰に演出する天守を上げず、風雅な掛造りを城下から見える場所に築いた事で徳川家に遠慮し、忠誠を示したと言われます」


「う~ん。

 折角政宗がそこまで配慮したのに。起きちゃったか、伊達騒動」

「やっぱ三代、四代って危ないものなのネ」

 ランとミキが頷く。


「それでも身を切り敵を斬りお家を守る英傑がいて、社会は守られたんだよ。

 日本ってヤバい時には、そういう人が現れるんだよなー」

 スーが、まるで自分の国にはいなかった、と言わんばかりの辛い表情で言った。


 大陸の各王朝末期が、アレだもんなあ。社会崩壊、大量殺戮、歴史断絶。


 眼下に広がる平和な町を眺めつつ、先人の努力に感謝した。


******


 豪壮な御殿を後にして、本丸の端、南西の…

 草が刈られた小高い丘に向かう。

 天守台、だ。


「現在、仙台城には天守は一度も上げられていません。

 しかし、ここに天守台があり、その外側には建物こそありませんが西の丸という小さな曲輪があります。


 更に南には竜の口渓谷という断崖絶壁があります。


 もしかしたら伊達政宗には西南方面に向けて天守を置き、西南を守る構想があったのかも知れません」


 確かに豪壮華麗な仙台城、西南部は山地であるとは言え中世城郭の様な様子だ。


「 しかし、徳川家から下賜された天守用材を天守に使わなかった事を考えると、政宗公はその瞬間瞬間で時世に適した判断を行い、その一方で先を見通して慎重に事を構えたのかも知れません」


 そして、石垣すら組まれていない、唯の丘である天守台の麓に、祠があった。

 その中を覗くと…


 天守の雛型が置かれていた。

 その姿は、慶長期、家康の江戸城と似通っていた。


******


※新年おめでとうございます。

 それと同時に、現在地震・津波で避難中の方々にお見舞い申し上げます。

 どうぞご無事で過ごされる様お祈り申し上げます。


※例によって仙台駅は現実の場所から若干ずれて建てられています。

 4棟の二層櫓が交差点を囲む仙台の中心地、芭蕉の辻。

 政宗のスパイとして活躍し、この地の櫓の管理を任された虚無僧、芭蕉に因んだ場所です。

 尤も静寂を好んだ芭蕉は、町の中心であるこの地の喧騒を嫌って地方に隠居したとか。

 その芭蕉の辻の姿は下記の通りです。明治の火災と仙台空襲ですべて失われました。

https://michinoku-ja.blogspot.com/2014/12/blog-post_2.html


 やはり仙台空襲で焼失した二代目仙台駅舎の写真は下記の通りです。

https://blog.imachizu.com/entry/sendaista-history202107


※二重の中心を持つ仙台城の全体図、復元模型などは下記サイトを参照願います。

https://akiou.wordpress.com/2014/11/27/sendai-p2/


※二の丸大手門。現実では米軍の爆撃で焼失し、その後東北大学へ向かう道となっていますが、この物語では大手道の中央がトンネルとなって西へ、そして南へ向かう道になっている様です。

 なお現実でも2030年代に向けて大手門を再建する事を仙台市が発表しましたので完成が楽しみです。


※江戸城天守用材下賜と、天守台の祠の話はどこかで読んだ記憶がありますが、それらの本でも原典を示していなかったので(祠の話は古老の記憶と書かれていたかな?)、フィクションと思っていただければ。

 もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。

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