213.ガイド山形城 壮大な五層天守、厳しい財政!
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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またしても新幹線でも在来線でも変わらない時間なんで十数分の道を奥羽本線で進む一行。
そもそも地方整備新幹線は在来線の上を走ってるだけなんで懸かる時間が同じなのもそらそうだ。
でも東京まで、東京から乗り換えなしで一直線で行けるのは絶対効果あるよね。
「もうそろそろ見えるかな?」
「お!あれか?」
「見えなかったヨー!」
そらそうだ。城に向かってほぼ一直線に進む奥羽本線、駅近くの高架だとビルが邪魔して見えないので、その手前の高架でしか天守を拝むことができない。
と言ってる間に山形駅。
「「「ほえ~」」」
流石に駅のロータリー手前の高架歩道からだと東大手門の向こうに本丸御殿の甍も、五層天守もバッチリ見える。
なお、東側には三の丸大手があったので、枡形門を遠くから見た。
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「「「ほえ~」」」
二の丸を囲む中堀も立派だった。
「出羽の牙城山形城は、16世紀末に徳川家と対立した上杉家を討伐した最上義光が50万石超の太守として入場して築きました。
しかし出羽の太守も義光亡き跡二代目が急死、三代目の争いを幕府が咎め改易され、家康の忠臣で知られ伏見城防衛、大坂城攻めで活躍した鳥居元忠の子忠政が入封し、城を改築しました。
更にその後は幕府で失脚した大名が左遷される地となり、石高も減る一方で城の修繕もままならぬ有様。
見かねた会津藩松平氏の建白で軍政の近代化が図られ、19世紀初頭から後の会津連隊、山形連隊となる精鋭部隊が生まれました」
「「「オ"オ"~~~!!!」」」うわ、歓声!それに続いて拍手喝采?!
陸軍さん達が見に来てたー!
「司ンやるねー、地元の軍人さん囲ってるぞー!」
「負けたネー!G.I.ラバー、ツカサンネー!」
待てミキ、なんだそのG.I.ナントカって!
「ツカサン?あの世紀末観光案内女王?」
「英国貴族も東亜女傑も顎で動かす眼鏡っ子クイーン?」
「199X年お嫁さんにしたいけどしたら怖いNO.1?」
後ろの陸軍さん達!何言ってだコイツ?!
お嫁さんにしたいけどしたら怖いってどんなニッチな指標だよコラ?!
「「「ブフーっ!!!」」」
笑うなー飴ズー!
えーいここは!
「三十六計逃げるに如かずでおじゃる!」
長大な東大手門をダッシュで潜った!
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内側から見ても、東大手門、長え~。
そして反対側、本丸の深い堀に枡形の高石垣、そして長大な一文字門の櫓門。
やっぱ奥羽の太守だな。改易されたけど。
「行くよ~」
「「「お、おう」」」
この巨大な一文字門を過ぎると…
巨大な本丸御殿である。
そして五層の大天守である。
層塔式で、破風の無い、シンプルな天守だ。
その最頂部の妻板には、五三の桐と、軒瓦は金瓦。
「あのさー司ン、山形藩って最後は10万石まで落ちたんだよな?」
「そう。もう城の維持も限界ってところで大政奉還。
城の維持費も藩軍の負担も新政府に放り投げてみんなウハウハ言ったよ!ハヤシもあるでよ!」
「やっぱ大名にとってさ、城の維持って大変な負担だったんだろうなー」
「ヨーロッパの貴族だって自分の城売ったりしてんじゃん。
物は作れば後は壊れるだけなのよ」
昔、お父さんが作ったプラモデルを壊しちゃった時、お父さんが許してくれたけど。
悲しそうに言ったのを思い出した。
「だから修理して塗り直してな。
そうしたら物の命が長生きするんだよ」
この目の前のシンプルな五層天守も、少ない収入の中から修理されたのだろうね。
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天守の最上層から見ると、高層ビルの間に三の丸惣堀の土塁に植えられた木々が見える。
その途切れ々の緑の線が、城の境界を明らかにしてくれる。
広いなー。
「名古屋城とか姫路城並みに広いよね」とスー。
この三の丸の広さは全国屈指とか。
天守を降りると、改めて思うのは飾りの無さ。
これで破風を配したら江戸城天守か二条城天守かって美しさもあるんだろうけど、金瓦と五三の桐に特化した思い切り。
「では二の丸外周を行きましょうか」
本丸の要所も、二の丸の要所も二層櫓でしっかり固められている。
どの櫓も土塁の上ではなく、白壁の内側に建っていて、外から見るとパっと見三層に見える。
あれだ。関東の古河城とか川越城とかと同じだ。
やっぱ東の城だなあ~。
西大手門の脇に、城下を睨む様に四層っぽく見える三層櫓が、天守より装飾豊かに千鳥破風を重ねて聳えている。
「あの天守が江戸期に焼けたり維持できなくて解体されたら、この三層櫓が天守の代わりになってたかもしれません」
「それは無いでしょ?城は藩だけじゃなくて日本の国家予算で維持されたんだし」
ラン。それは私達が知ってる歴史だけの話なんだよ。
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※この物語の山形駅も、現実の駅とは違い東大手門と三の丸外堀の中間地点位、奥羽本線が三の丸を貫く形で走っています。
※東北の巨城の一つ、山形城。
しかし、劇中では堂々たる天守が描かれますが、実際は本丸ではなく二の丸に三層櫓があった程度でした。
その復元図が下記の通りです。
https://zyousai.sakura.ne.jp/mysite1/yamagata/yamagata-fukugenzu.html
この外側を、城下を守る三の丸の惣堀が巡っていました。
現在でも各地にその痕跡が残っている様です。
※山形城に天守があった?!というのはあくまでこの世界のフィクションです。
しかし、鶴岡藩には山形藩の作事に係わった一門の絵図として「謎の」天守建地割(設計図)が残っていて、これを山形城天守計画図とみる事も出来る…
そんな考証をしたサイトが下記にあります。
敢えて城の名前の部分を破って、判らなくしてある辺りに複雑な事情を感じます。
http://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=456049
※関ケ原の戦いが無かったので鳥居元忠は戦死しませんでしたが流石に80まで長生きできませんでした、残念。
子の忠政も50過ぎで移封ですもんねえ。
尚、山形藩は現実の幕末では5万石まで落ちました。五層天守なんて倒壊するレベルですね。
※山形城本丸は明治に入って軍隊誘致のため破壊され二の丸と均一に埋め立てられました。その後野球場やテニスコートが作られました。
駿府城と同じですね。
現在山形市は山形城本丸の塁線復元と本丸御殿復元に取り掛かり、一文字門の石垣と高麗門復元を完了しましたが、一文字門の櫓門と本丸御殿は色々滞っています。
なんでも本丸御殿は発掘調査したけど絵図の残る御殿の地層は失われ、掘ってたら絵図の無い最上家の御殿の側溝が出てきて関係者が頭抱えたとか。
ガンガレ!復元超ガンガレ!あと二の丸三階櫓復元も是非!
もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。




