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211.ガイド米沢城 為せば成る

※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。


******


「おはよー。週間予報ど~?」

 目が覚めたら最初にコレを。

 長期予報で目星を付け宿を抑えた。

 そして日々変わる予報とにらめっこ。


 飴ズも私も、週間予報チャートに予定各地の動向を記入する。

「青森がやや下り坂?他は北海道も含めて問題なし、かな?」

「とりあえず今晩の蔵王行きの国道457号線は大丈夫だぞ」

「よし、じゃあ昼にチェックして、危なさそうなら新幹線で遠回りしよう」


 その後は、温泉と朝食バイキングでご機嫌な私達。

 安達太良温泉から送迎バスで二本松駅へ。そして在来線と新幹線を乗り継いで、米沢へ。


******


 米沢城を囲む三重の方形の堀、これに城下の東を流れる最上川を加えると東は四重の堀に守られている。

 三の丸外堀前にある駅。東口が商店街行きだ。

 そして官公庁がある西口、三の丸は元藩軍の練兵場、その後見事に市街地になってて今に至る。

 どこも同じだね。

 西口のテラスから城方面を見ると、木々の中に三層櫓が二つ聳えているのが分かる。


 三重の方形の堀を過ぎると、二の丸大手門。下見板張り、長大な渡櫓門だ。

 その枡形の内側には博物館、学校、かつての御殿を移築した観光センター。

 そして、上杉伯爵の御屋敷もある。19世紀末に造営されたものだ。


「え~と。ここ米沢城は、東北の英雄伊達政宗が生まれた城でした。

 その後東北を豊臣秀吉の采配で上杉謙信の親類、景勝が会津に入り、120万石の領主となり、その部下の居城となりました。

 凄いですネー!豊臣の時代は、百万石の大名がケッコーいて、そういう有力者が五大老って国を仕切ってたんですヨー!」


 フレンドリーだね。そして…そうだよね。織田、豊臣、徳川の支配体制を大雑把にでも説明しないとね。

 直江兼続をスルーしたのはある意味解り易くていいかも…いいのか?


 あとボディーランゲージが凄い。あれ私がクネクネってやったら気持ち悪かろう。

 ランもスーもちょっと笑いを我慢して見ている。

 おや?周りの人がなんかやってきて携帯構えてる。


「あ、写真はダメねー!これお仕事の自主トレだから、撮らないで、ネ?」

 うわ!ブリっこポーズ!

 周りの皆さんはニコニコ、いやデレデレしつつ携帯をひっこめた。

 何て紳士なんだ!お年寄りばっかだけど。


「でもネ、豊臣末期の16世紀末に、景勝は徳川氏の勢力拡大に異を唱え、このため徳川家の勘気に触れちゃって、結局30万石まで減らされてこのお城に引っ越して来ました。

 以後現在までこの地は上杉の殿様、今では伯爵の土地として栄えています。

 それでは本丸へ向かいましょう!」


「なんという掴みパフォーマンス!

 これ旦那はメロメロ、奥様イライラでツアークラッシャーにならないかな?」

「お前が言うなし」

「え?スーあんた読心術のエスパー?」

「口から洩れてたっての」


 しまった。


******


 二の丸大手前の小規模な馬出と、立派な櫓門を渡った北は二の丸御殿。


 大政奉還後には米沢市役所として使われ、内部を洋風に改装された御殿だ。

 今では三の丸の洋風建築、内部は現代のIT設備に守ら~れた~市庁舎に役目を譲って、迎賓館になっている。


 そしてほぼ方形の本丸の北側。


「こちらに見えますのが、米沢城のシンボル、東北と西北、二基の御三階櫓です。

 米沢城は東日本の城らしく、高い石垣や高い櫓を持たなくて、土塁を中心に築かれています。

 天守も豊臣臣下で西国から来た大名でなければ、こうして三階櫓を上げる程度でした。

 同じ日本でも東と西の違いってあるもんですネ?」


「う~ん。あざとカワイイ。これは私には無理だわ」

「同感だな」

「また口に出てた?」なんてこったい。


「三階櫓。下見板張り、杮葺き。

 初層は棟側両隅に、二層は中央に出窓を配す。

 出窓には切妻破風が載る。

 出窓に開けられた窓は二層目が華頭窓。三層の窓は連格子と、デザインも拘っている。

 東西で同じデザインだ。

 小柄でも綺麗に見せよう、堂々と見せようという意地を感じるね」


「そういう説明をすればいいのネ?」

「また口に出てたかー」


******


 再び二の丸御殿のあたりに戻り、本丸の東に開いた太鼓門の枡形を潜り、本丸御殿へ。

 こちらは歴史博物館だ。


「この本丸御殿を使った歴史博物館では、戦国を生き抜いた上杉景勝の苦闘の歴史に!

 三代目が子供もいないまま突然死んでお家断絶の危機を救った保科正之の活躍!

 そして!かのケネディ大統領が尊敬したって言うチューコーのソ!

 上杉鷹山について説明していまース!見て行って下さいネー!」


 なんか右へ左へ揺れながら説明するミキ。こういう手もありか~。


 ちょっと悔しいんで意地悪してやれ。

「はーい!上杉鷹山って何した人なんですか?」


 その瞬間、周囲のお客さんの刺す様な視線が集まった!

 ご年配の方が多いかな?かなりコワい。


「知ってるクセにー!」とミキ。

「てか外国のお客さんだと知らない人の方が多いでしょ?」

「司ンの言う通りだ、予行演習と思って答えなよ」


「ハーイ。上杉鷹山、治憲は18世紀後半に藩主として改革に取り組んだ名君でした。

 元々上杉は120万石、スタッフもたくさん雇っていました。

 でも米沢では10%近くに減らされ、それでもスタッフを解雇せず養いました。

 そのため米沢藩は万年赤字だったのデス。

 更に18世紀半ばで起きた宝暦の飢饉では8千人近い餓死者を出してしまったのネ」


 うお!スラスラ出てくるな!


「18世紀に藩主になった治憲は、倹約で出費を抑えて、産業で収入を増やして、学校を作った立派な藩主サマね!」

 周りの人たちが頷く。地元民か!


「自分も一生質素に暮らしたそうネ。そのお陰で18世紀末の天明の大飢饉では死者が半分に抑えられたそうヨ!何千人の人を救った偉い人ネ!」

 周りの人たちが頷く。地元民だ!


「藩の政治を行う時の教訓も残したヨ。

 国は子孫に伝える物、領民は国に属すもの、領主の物じゃない。

 国も領民も領主のためにあるんじゃなくて、領主が国と領民のために働け。

 デモクラシックだよネ!」


 拍手が起きた!ミキが照れた!「ドモドモ~」愛想を振りまいてる!

 ミキ!恐ろしい子!

 私は白目になっちまったよ!。


「え~そして、戦国の英雄、武田信玄の言葉を伝えたのが、

 為せば成る。為さねば成らぬ何事も。

 成らぬは人の、為さざるなりけり。

 この言葉を広めた、努力の人でした。

 本人も生涯、質素に暮らした、聖人の様な人でした。オシマイ」とお辞儀した。


 再び喝采が起きた!恐ろしい子!

 そう、あの根性ロボットの歌の元ネタは上杉鷹山で、更にその元ネタは武田信玄だったのだ!

 ライバルの上杉さんでも敵のいいところは学ぶんだ…


******


 私達は地元民に包囲されそうになったミキを拉致して御三階櫓へ。

 御三階櫓からの景色は、平地なんでそんな感動的な景色ではないけど…

 感動した!さっきの名演説には感動した!


「凄かったねミキ!どーしたの一体?」

「あのね、今日周りにいた人、休みの日じゃないしお年寄りだからこの辺の住民でしょ?

 だから地元のヒーローを讃えたら嬉しいかな?ってネ」


 なんという空気を読むパワー!


「みんな喜んでくれたカナ?」

「ああ!お前の目論見大成功だぞミキ!」

「あのあざとさ、真似できないよー!」

 もう脱帽ものだ。スーも喜んでる。


「あたしだけ置いてかれるよー!」

 泣きそうになるラン。


「いやいや、ランには得意分野がある。

 さっきの鷹山公の話もランがやったら仏法説話みたいな有難さが出るだろうしな。

 平泉二寺は頼んだぞ?」

 ナイスフォローだスー。


 するとランが輝く笑顔になり、叫んだ

「仏の道を諭すぞー!」

…そこまで宗教的になりすぎんなて。


******


その帰り道、駅の反対側に寄って最上川に近い小嶋総本店の銘酒「東光」を醸した蔵を博物館にした「酒造資料館 東光の酒蔵」に寄って、父と時サンへの土産を発注し、私達の道中の酒も買った。

 次は上山だ、温泉の町だ。温泉行かないけどね。


******


※実際のJR米沢駅は、米沢城から最上川をはさんだ中洲の真ん中にあり、ちょっと遠くになります。


※米沢城の御三階櫓、鳥観図のCGは、ちっちゃいですが下記サイトで。

https://8787pc.com/%E7%B1%B3%E6%B2%A2%E5%9F%8E.html


 本丸、二の丸の縄張りは、正保城絵図に名所を乗せた下記のサイトに掲載された図の通りです。

https://wp.mikeforce.net/castles/2020/04/%E7%B1%B3%E6%B2%A2%E5%9F%8E-%E2%88%92-yonezawa-castle.html


※上杉鷹山は新渡戸稲造の「武士道」で海外に紹介されました。

 鷹山公を尊敬したというのはケネディと言われていますが、実はセオドア・ルーズベルトだった様です。


※「酒造資料館 東光の酒蔵」については下記の通り。

 最近スーパーなどでよく見ますが、リーズナブルで美味しい、いい酒です。

https://www.sake-toko.co.jp/sakagura/

 もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。

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