208.江戸幕府のメリークリスマス
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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島原の乱も程無く鎮圧され、加担しに来たポルトガル・スペイン船も殲滅した。
これで幕府も安心だあ!
とは言うものの、戦いは私の歴史よりも小規模だったとは言え、多くの百姓が死に、或いは刑死した。
私の歴史の様に原城の本丸枡形が老若男女の死体で埋まる事は無かったが。
散々やらかした松倉氏の後に入封した高力忠房さんは、領の立て直しに必死だった。
どこまでキリシタンを警戒し、どの程度で領民の主張を受け入れるか。
特に問題なのが、乱に加担しなかった切支丹だ。
「で、私ですかぁ?」
心の傷を抱えた4人目の幼い妻を3人の妻に預け、島原城に飛んできた。
「この度の乱を早急に鎮め、民と領への災いは元より、南蛮の侵入をも防ぎ得たのは護児院殿の采配とお聞き及び致し云々」
国持大名ながらも無官の私に礼を尽くすのは、流石仏高力と言われた岩槻藩主、祖父高力清長の教えを受けた人格者ならではだ。
できる事なら、父の薫陶を受けたかっただろうけど。
「今、領内は(史実に比べりゃ)危機的な状況ではありません。
当面は~…乱の被害を受けずに済んだ地から数年限りで負担して貰い、その後税を軽減。
その間に荒れた地を手当てする、というのは如何でしょう?」
「乱で人が死に絶えた地を、どうすべきか…腹案がお在りでしょうか?」
「摂津守のお考えなさる、流人を囲う策で宜しいかと。
当面打つべき手は、民を安堵させる事」
忠房さん、摂津守は考えている。
でも難しそうだ。よし。
「いっそ、切支丹の祭りを利用しますか!」
「切支丹の?再び反乱を増長させませぬか?」
ご尤もだ。だが。
「かの乱は松倉が引き起こしたに等しい物。
幕政に取り入らんと税を上げ民を苛めたが故。
これを内乱の嚆矢たらんと企んだは耶蘇会共と豊臣崩れの浪人共。
切支丹は弾圧された故力に訴え、利用されたに過ぎない。
ならばいっそ切支丹の祭りを藩で仕切り、冬を越す施しを成されては如何かと。
無論、説法に擾乱を煽るが如き物があれば即座に正すべき」
摂津守、更に難しい顔を顰める。
「その儀直ちに計り難く、日を改めて相談願う」
「師走二十四日の日没が、その聖誕祭です」
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人が居なくなった村はまだ新たな開拓者を迎えれば良い。
父が死んで母子になった村、孤児が放置された村は人心が荒れる。
この辺は今すぐ手当が要る。
乱後草の根的に孤児の支援をしていたが、冬を前にお延さん始め護児院の優れた子達を呼んで一層の手当を行いつつ、何とか来年に繋ぐ策を考えた。
早速お延さんは子達と困窮地域を巡って実地調査の結果を報告してくれた。
「時様の御考えで宜しいのではないでしょうか?」
お延さんが賛同してくれた。
「そもそも、何故聖誕祭があるのでしょうか?
辛い現世を救うキリストという人が生まれたのを祝うのでしょう。
それほど偉大な方なら、一度祝えば春までご利益もあるでしょう?」
「あー…」そうじゃないんだよね。
「キリスト教には、現生利益は全く、完全に、な・ん・に・も!
無~~~い!んですよ。」
「解っています」おあ?
「時様がいつもお話されているではありませんか。
大事なのは、この地で不安と飢えを抱えるみんなに、春までの希望を持ってもらう事でしょう。
伴天連に頼み、暖かくなるまで互いに助け合う様に説いて貰うのはどうでしょう?
春には復活祭もあるでしょう」
う~ん。
基本、私の摂津守殿への献策と同じだが、説教や来春の復活祭へ希望を繋げるのは…プラスアルファになり得るだろうか?
まあ、案ずるより産むが易しだ!
「ありがとう、お延さんに来てもらった甲斐があったよ」
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摂津守殿とこの案を纏め、幕府に奏上したところ、当然ながら難色を示された。
「フェリペの顎野郎もそろそろクタバりまっせ」
「いっそローマから枢機卿呼んで切支丹を任せ、それでもそいつがドジかましたら死海経由で地中海直行で沿岸ボコるぜって脅しますか?」
等と老中に吹き込んで、
「とりあえず今年だけよ、あと耶蘇会無しで」
とOKを貰った。
よし、やるか。
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古刹の和尚が言った。
「伴天連の祭りに付き合う謂れは無い」
それはそうだ。
有馬氏の治世では寺領を荒らされ、過激な信徒には寺を壊されたりした。
関白秀吉の命で私の知っている歴史程の乱暴狼藉は取り締まられたが、被害はゼロじゃない。
だが!そこは。
「飢えるやも知れぬ民がため、鐘の一つでも突いて頂ければ」
と金子をサーっと出す。
正直乱後で社寺も物入りだ。
和尚はスっと、引田天功ばりに金子を懐に収めた。
「では…24日に、気が向いたら鐘を打つ。大晦日の夜と正月に餅か粥を煮て振舞う」
「よしなに」
暫くして、この物分かりの良い和尚が言った。
「何故この様な無駄な事をなされるか。
お殿様が直接振舞えば宜しい物を。
切支丹の祭り等を使えば、あの忌々しい、女子供も皆殺しにした戦いの種を再び撒く様なものではあるまいか」
ご尤もである。
「そう思われるなら、正月の振舞いに注力されれば、伴天連の生誕祭より寺の雑煮が美味いと尊ばれるでしょう」
「ぐぬぬ」
和尚の競争心に火が付いたかな?
私の歴史の通りであればあんなコメディで終わらなかっただろうが、まあトントンで話は進んだ。
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そして年を終わす、師走の24日。
南国にしては寒いこの夕暮れ、島原城三の丸の篤志の屋敷へ、戦死者の死体を片付け終わった原城の三の丸兵舎へ、日野江城の御殿へ。
護児院は各地に毛皮の外套を大量に貸し出した。
切支丹の農夫が藩や幕府城代の兵の見守る中集まった。
その時、祈祷の会場に仮設された、乱で破壊された天主堂の鐘が槌で叩かれ。寒空に響いた。
大きな鐘と、小さな鐘が鳴り響いた。
オルガンが喜びの即興曲を奏で響かせた。
呼応するかの様に、遠くでお寺の鐘が鳴り響いた
この地の人達が心を一つに、飢える事無く病む事無く、春を迎えてほしいと祈った。
この世に神がいても何一つ為されない事を、私達が成し遂げる決意を固くして祈った。
神なんて、何もしないのだ。
大切なのは、人の心と行いだ。
「牧人、羊を守れるその宵」
日本語で切支丹の村人が歌い始める。
この辺は私もこっそり協力した。
「喜び讃えよ、主イェスは生まれぬ」
入祭の歌を、信徒が、合唱指導を受けた子供達の聖歌隊が歌う。
たっての希望とあり、新たに妻にしたお玉ちゃんも、グラシアも歌っている。
何気に、5人揃ってミサに授かるのは初めてだ。
各地に派遣された、イエズス会に替わってローマの教区の司祭が侍者の少年を従えて祭壇に向かい、開祭の祈祷を捧げる。
それに続いて歌唱が始まる。
「キリエ・レイソン(主よ憐れみ給え)」「クリステ・レイソン(キリスト憐れみ給え)」
祈祷に続き、歌唱が続く。
「グロリア・イン・エクシェルシスデオ(天のいと高き所には神に栄光)」
司祭が歌い上げる。
オルガンが一際大きな音で続く。
会場の村人は、むせび泣いている。
「エト・イン・テラ・パクス・ホニブス、ボネ、ヴォルン、タティス(地には善意の人に平和在れ)」
鳴き声を含んだ合唱が、無学な筈の百姓から、地球の反対側では権威あるラテン語で歌われる。
教区の司祭が驚きの表情で会衆を見ている。
「クム、サンクトゥ、スピリトゥス、イン、グロリアディ、パトリス(聖霊と共に、父なる神の栄光の内に)、アーメン」
司祭は驚きつつ、涙を流し、会衆を見ている。
そしてクリスマスミサは続く。
旧約聖書の朗読に続き、司祭が不慣れな日本語で福音書の生誕を読み上げる。
「今宵イエズス・キリストは生まれた。そして十字架で死して復活し、私達に魂の不滅を証ししました」
「キリストの教えは、悪しき王に利用され、人を救う事でなく、人の命を奪く事に使われました。
人が集まる教会は、完全ではなく、過ちを犯します」
「神の前に、人の命が平和と幸福の内に全うされる様に私は祈り、そうなる様に行います。
皆も、互いに祈りなさい。そして助け合う様、行いなさい。
今日は、神が御子を罪深い私達のために、生贄として使わして下さった恵の日です。
皆の日々に恵みがある様に私は祈り、行います」
司祭は祈りと行いを三度言った。
おそらく、冬の食糧支援を以て布教の自由を認めて貰う為でもあるのだろう。
この際有難いが、宗教をプロパガンダに使う奴には引き続き注意だ。
聖変化でパンとワインを聖別し、聖体拝領へ。
「パニス、アンジェリクシス、フィト、パニスホミヌス(天使の糧は人の糧となった)」
村人たちは涙を流しながら、聖別されたパンを口に入れた。
『感謝の祭儀を終わります、行きましょう、主の平和の裡に』
『神に感謝』
最後の演奏が始まる。
「アデステ、フィデリス。レティストリウムパンテス。イン、ベトレヘム
(来たれ友よ、喜び集え、ベトレヘムへ)」
村のみんながラテン語で歌う。
ラテン語習得率、凄いなあ。
司祭は「奇跡だ…」と涙を流しながら退場していた。
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1時間以上のミサが終わり、炊き出しが始まった。
信徒だけでなく、物珍しさで集まった人達にも粥が振舞われた。
炊き出し場には高力家の対い鳩の紋が並べられた。
摂津守殿も現場を見て、特に小さい子達を撫でて、
「食べるものがなければ、お寺に行きなさい。左近大夫が馳走すると言いなさい」
と、親しげに話した。
あー。なんかこれは私も支援しないと駄目だな。
あと左近大夫殿、あんたの息子をしっかり教育してね。断絶するから。
百姓とは思えない合唱隊のコーラスが続く寒空の下。
皆が暖かい糧に預かり、生誕祭は終わった。
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幸いにして、冬の死者は抑えられ、春には移植者も訪れ、島原領は安泰した。
「神の御恵みもあったのではありませぬか?」
意地悪気にお延さんが言う。
「私の意見を聞いて下さった摂津守様の御沙汰だよ。
そして厳しい冬の間に僅かな穀物を分け合った村民、飢えた人に施した寺と教区の枢機卿。
みんな人の手によるものだよ。
乱で多くの女子供が殺されたのも、同じ人の手だ」
神はいる。
人間の心に、そして宇宙の真理として。
しかし、今、目の前で死んでいく人には、絶対に、決して何も物理的な救いを行わない。
それでも、人の行いの中に、神はいる。
極悪人の中にも、外道の中にも、神はいる。
そして、殺し合うのは人の業であり、神は弱者を決して救わない。
「願わくば…願っても仕方がないね。願わなければ始まらないけど」
「時様は信仰があるのか無いのか、判らなくなります」
「お延さんだって菩薩様と言われて…」
「生臭女犯坊共の蠢く寺には、行きたくありません」
お延さんの方が言い方キツいなあ。
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春を迎えた江戸城に、島原藩の聖誕祭とその後の沙汰が伝えられ、閣議は僅かに揉めた。
「あの大乱の後に切支丹共を増長させる様な沙汰などあってはならぬ!」
「結果が大事である。あの大乱後に多くの餓死者を出すこと無く、藩主導で助け合ったとは今後の統治にも良い影響も期待出来よう」
まあどっちも尤もだ。
結局。
将軍に挨拶に登城した異母兄弟の保科正之に相談され、
「切支丹も仏門も問わず、越冬に際し蓄えを行い門徒に互助を説くべし」
と決められ、聖誕祭ミサ云々については有耶無耶のままとなった。
この辺、昨年中に起きた白石一揆への厳しい沙汰(訴え出た義民36名全員磔)に思うところがあっての事かも知れない。
そしてこの指針が後に起こる飢饉への備えとなったのは、これも天の導きであろうか。
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等と思い出しつつ、私達は今年も教会に来ている。
希望する子供達を引率して。
現代にアップデートする教会という事で、もうラテン語の歌唱は無い。
「喜び讃えよ、主イェスは生まれぬ」
貧しい馬舎に生まれた御子を讃える三人の博士と羊飼い達。
聖母マリアは、生まれたばかりの子の運命を知って悲しげだ。
「さあ!ウチに帰って子供達とパーティーだ!」
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※主の生誕、おめでとうございます。
戦国史とキリスト教の関係は、拙作では及びもつかないものがあったと思います。
仏教にない生死観への憧れや未知の文化への憧れ、そして南蛮貿易という魅力もあって複雑な感情の上に成り立っていたのかも知れません。
そんな切支丹の大名や農民はどんな気持ちでクリスマスや復活祭を迎えたのでしょうか。
※保科正之云々、当時山形藩主で幕閣でもなかった彼の発言はあくまで将軍への助言に過ぎませんが、丁度会津城の話を書いているせいか、締めに登場頂くことになりました。
もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。




