182.ガイド田中城・駿府城1 白く?輝くゴージャス天守!
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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わたわたわたしたしたしたちはちは…「次は~終点~遠州田中~」舌噛んだー!
わひゃひしゃひは相良を発って遠州田中へ。
…何というか、微妙な駅前。駅ビルは建っているけどその先が東海道の宿場町、藤枝宿の頃を忍ばせる古い旅籠と、フツーの民家や商店が入り乱れた感じかな?
その間の道の奥に大手の楼門が見える。
「この田中城は例によって武田と徳川の争いの地で、駿府城に隠居した家康の出城として、鷹狩のための御殿が築かれ、それが近世城郭に発展した城です。
元が館だったので天守は無く、御殿の一隅に三層の楼閣が建っていて、それが象徴的な建物でした」
「ここはかなりショボいわねえ」
反論できない…
「でもねえ、歴史上重要な場所なのよ」
「何々?また女城主でもいたの?」
母が食いつく。
「違います。天下の徳川家康がこの地で倒れたのです」
「謀反?!」
母のテンションが上がる!
「この御殿で食べ過ぎた天ぷらで腹痛を起し、それが原因で死んだのよ」
「な~んだ」
あれ?反応薄いなあ。
結局チョっと本丸御殿を見学…やっぱり将軍の御殿だけあってプチ豪華!
日本好きな海外の要人を迎える、迎賓館という程の公的な施設ではないけど必要に応じて公的に使われる宿泊、饗宴施設になるみたい。
御殿の「御亭」と呼ばれる三層楼に登ると、田中城のまあるいまあるいまんまるい縄張が良く…って程じゃないけど何となく見える。
そしてその外側だけでなく、内側までもが、学校か田んぼ…。
建物の中の説明図と見比べて母がボヤく。
「もっと高けりゃいいのにねえ」
「見ての通りこの辺りは低質地で20世紀も終わりに近い今でも田んぼなのよ。
立派な天守建てたら沈むかもねえ」「あらそうなの」
でもこの田園風景を眺めて
「お父さんなら何かヘンな話を聞かせてくれたかもねえ」
と呟く母。
「多分、徳川家康の鷹狩御殿の話とか知ってるかも。
東京の環七の葛西交差点って、こんな御殿と四角い城があった、とか聞いた事あるよ?」
「そーなの?!」
「案内士するんで改めて調べたらね、葛西城ってのがあったのよ。都心の交差点に」
都心、じゃないか。
「あらー勿体ないわねー」
「後はヨーロッパのお城と比べて、同心円状の城が発達しなかった理由とかも延々と話すかもね」
「そんな話も…した様な~しなかった様な~」
「お父さん結構歴史マニアねえ」
いやお母さんの方が付き合い長いでしょうが?
そんな歴史マニアのお父さん、今夜には東京で待ってる。…かも。
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遠州田中から焼津へ、そして海を眺めて東海の要、駿府へ。
「あー、あれね?屋根が光ってるけど、黒いの?」
市内のビルの谷間に、銀の甍に黒い壁の天守と、それに従う櫓や壁が見える。
駅前で海鮮を頂き、市電…じゃなかった駿府鉄道市内線で大手門へ。
城は周囲を高層ビルで囲まれたため、余り良く見えないのが残念だ。
「なんかお城が見え易くするためビルは建てちゃ駄目!とか法律が必要ねえ」
「地方都市とかだと、そういう条例あるけど…流石に県庁所在地だと厳しいかもね」
高層ビルの県庁の谷間を潜ると、駿府城の三之丸を囲う外堀と大手門が待ち構える。
桝形を囲むコの字型の構えから、更に左に折れて多門櫓が伸びている。。
その内側は三之丸で、右手の御殿跡には旧駿府県庁が帝冠様式で建っている。今では博物館だ。
その向こう、中堀に守られた二之丸の南面は、これまた長大な多門櫓が囲んで守っている。
二之丸東南隅にL字型の大規模な巽櫓、西側の二之丸御門の先には坤櫓、いずれも初層は同寸の内部二重、その上に三重目を載せた名古屋城の櫓に似た造りの重厚な櫓が建っている。
そして、その向こうには、白く輝く瓦、最上層だけは緑青の屋根の天守が。
「駿府城は14世紀から東海の守護大名今川家の屋敷がありました。
しかしこの地を制した徳川家康によって、16世紀末に天守を持つ近世城郭に改修されました。
家康移封の後は例によって豊臣配下の中村家が更に天守を上げ直し、17世紀初頭にこれまた例によって中村家が山陰の米子に移封され、再び家康の城となりました。
城は天下普請で現在の姿となり、以後彼が死ぬまで隠居城となり、以後幕府の城代が置かれ直轄地となりました」
「ま、家康の城って事ね?」
「中村時代の天守ってのが気になるけどね。秀吉配下の諸大名が浜松、掛川、それに甲府に沼田と大規模な天守を上げてるのが、江戸徳川包囲網、豊臣系天守ネットワークになってるし」
「それで今の天守は?」
「最後に家康が隠居して入った時に上げられる途中で一度火事で焼けて、もう一度上げられたのが今の天守よ」
「黒いわねえ。それにキンキラで御殿みたい」
「中は豪華御殿造りよ」
「行ってみましょー!」
母、豪華なの好きだねえ。
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二之丸御門の桝形の向こう、本丸南面に玄関前御門の桝形と、それに続き、雁行する多門櫓に三基の二層櫓。
どの建物も、窓の上下に長押が巡らされ、エレガント。
「名古屋城も立派だけど、ここも凄いわね~」
「何しろ家康公本人の城だしね」
「今までの海辺のお城がショボく感じるわあ」
「どんだけ格が違うと思ってんのよ…こっちは元将軍、天下人の城なのよ」
玄関前御門の桝形の向こうは、二条城みたいな金で飾られた巨大な入母屋屋根の御殿と、これまた金の車寄。
「これは名古屋城より凄いわねえ」
「将軍より偉い大御所家康公の家だからねえ」
遠侍、対面所、大広間と雁木状に並ぶ御殿も、名古屋城本丸以上に豪華だ。
将軍が儀式に使う江戸城本丸表御殿や、天皇を迎えた二条城二之丸御殿に並ぶ豪華さだ。
漆塗りの柱、金地の障壁画、極彩色の透かし彫りの欄間、黒と対比する金具。
今まで見て来た城にも将軍宿所としての豪華な飾りがあったけど、それらとは気合が違う。
「これが日本で一番偉い人の家なのねえ」
「その上に天皇陛下がおわしますんだけど…別方向でそんな感じだわあ…」
そういえば、初めて時サン達と会ったのは江戸城だったなあ…
帰ったら、色々報告に行かなくちゃ。
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※現実では東海道線藤枝駅は田中城南西遠くに位置しています。
駿遠線の駅は藤枝駅でスイッチバックして田中城北西の藤枝大手駅が終点でした。
この物語では国鉄藤枝駅は存在せず「遠州田中」駅が田中城の北西、駿遠線の終点にして田中城大手の近く、旧東海道の藤枝宿に存在しています。
そこから焼津港、そして海沿いに静岡…もとい駿府へ向かっています。
※まあるい(略)の田中城の、香川元太郎先生による復元図は下記の通り、まあるい(略)。
https://rekishi.kagawa5.jp/803-%E3%80%80%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%9F%8E/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C/
※市内を東西に走る市電…じゃない路面電車は静岡鉄道(この世界では駿府鉄道)市内線です。
現実では昭和37年に廃止されました。静岡駅から安倍川方面手前、安西まで走っていました。
※駿府城が家康の隠居城として再築され、それが工事中に焼失したその後に完成した姿は下記の通りです。
https://kojodan.jp/castle/65/photo/69131.html
※現在、三之丸が県庁や病院、市民ホールとなり、二之丸も北側石垣が地震で失われ、本丸は明治以降師団の駐屯地として石垣を崩され埋め立てられましたが、二之丸巽櫓と東御門、更に坤田倉が再建され、城っぽさを取り戻しています。
現在本丸東南部の内堀と天守台周辺が発掘され、近い将来静岡市は内堀の復元を目指しています。
中村家天守台の発掘・保存のため天守台復元は中止になったみたいですが、どうでしょう?
もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。