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177.ガイド浜松城 豊臣製徳川風天守?

※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。


******


 三州吉田から新幹線で一駅、浜松へ。

 駅前に、デデーン!と聳える、四層の立派な純白の天守。

 壁が白い。オマケに屋根も白い!というか金属の瓦だ。金沢城と同じ鉛瓦か。


「今度は立派な天守があるお城ねえ!」

「ここも徳川の聖地ですから」


 例によって駅前ロータリーの向こうに外堀と大手門。これまた立派な白亜の渡り櫓門。

 東側から遠州鉄道の赤い電車が出発している。


 その手前にある遠鉄百貨店で、お昼は名物鰻丼を頂いた。

「各地の名物グルメ旅行なんて贅沢だわ~!

 司ちゃんホント出世したわねー!」

 母、アゲアゲである。


 そして大手門の内側は、これまた家臣屋敷から連隊の敷地へ。

 既に市街地へと変貌しているのも他の城と同じ。


 その先100m程で御殿のある二之丸へ。水堀の先、薬医門の二之丸表門の奥に唐破風の車寄せから入る二之丸御殿が広がっている。


 流石に名古屋での国際行事で宿所に使われる事も無く、かつての藩主の居住スペースである奥向きは解体され、表御殿と台所部分が残されている。


「江戸時代を通じ、多くの幕閣を輩出した出世城として知られる浜松城は、徳川家康が人生で最も長く住んだ城でもあります。

 今川配下の飯尾氏の曳馬城を攻略した家康が拡大し、武田信玄と決戦を行った三方ヶ原の戦いではここが徳川の本拠でした。


 家康の江戸移封の際、豊臣配下の堀尾吉晴が近世城郭に改修し、現在の天守の前身を挙げましたが出雲松江に移封され、ここ浜松城天守を参考に下見板張りの松江城天守を上げました。


 逆に徳川配下となった浜松城では、櫓や門等の改築が行われ、すごく白く輝く現在の姿となりました」

「意趣返しって奴かしら?」「その通りね」


******


 二之丸の西、一段高い地に石垣で固められた本丸がある。二層の菱櫓が見張り番の様に二之丸から本丸へ向かう道を見下ろしている。そして左隣に鉄門。

 本丸にはこれまた例によって御成御殿。近代化以降は皇族の宿所になって維持されている。

 唯、小ぶりな本丸の敷地な所為か、御殿も小ぶりだ。豪華だけど。


 そして、浜松のシンボル、白亜4層の天守。

 本丸より更に一段高い天守曲輪の石垣の上に櫓門が建ち、その中に付け櫓を左右に伴い聳えている。


「これが豊臣配下の堀尾吉晴が築き、後に松平家始め譜代の城主が改装した天守です。

 下見板張りに突上げ窓だったものを白亜の壁に鐙窓、そして窓の上下に長押という徳川スタイルに改めました。


 更に、比翼千鳥破風を追加し、最上層も内縁化し、軒唐破風を追加して、望楼式天守を無理やり層塔式天守に近づけた様な改装まで行いました。


 仕上げに、かつて大坂城西の丸に上げた4層の天守を解体した際生じた鉛瓦をこの地に移して葺き替え、純白の天守に仕立て直しました。

 家康の執念を感じるかの改装です」


「執念よねえ…」


 歴史に疎い母も少々呆れた様だ。


******


 天守曲輪の埋門から城の北側に出て、古城と呼ばれる北東の曲輪群へ向かう。

 と言っても、水堀に囲まれ、土塁で4つの円の様に区切られた、今となっては芝生の広場である。


「浜松城は前身を曳馬城と言って、この一画はその中世の城の遺構が残る貴重な場所です」

「公園じゃないの?」「城です」

 まあ、知らない人が見たらそう思うよね。


「そして、ここはかつて女城主の悲劇の舞台でした」

「何々?ここにも女城主がいたの?」

 岩村城以来の喰い付きである。


「飯尾氏最後の城主、飯尾連竜が今川に謀殺され、後を預かった未亡人お田鶴の方です。

 徳川家康は助命のため和睦と開城を説得しましたが、お田鶴の方はこれに従わず、侍女を引き連れ最後まで戦って全員死んだと言われています。

 戦国の生んだ悲劇の女城主の一人です」


「そんな話が後どれだけあるのかしらねえ」

 母は悲し気に聞いて来た。


「最大の悲劇は豊臣家を破滅に導いた淀君です。城主は息子ですけど息子も言いなりでしたしね。

 他には細川ガラシャ玉子夫人も侍女を従えて壮絶な自爆を遂げています。屋敷ですけど。

 後は、徳川の忠臣で彦根藩の開祖井伊直政の育ての母直虎等は未婚のまま自領を守り続け、養子を立派に育てた英傑と言われています」


「女も色々あるものねえ」

 そうよ。現代は平和で気楽なのよ。それがいいんだって。


******


 帰りは、曳馬城跡の少し東を走る、赤い遠州鉄道に一駅だけ乗って浜松駅まで戻り、国鉄で掛川へ。

 鰻食べた腹ごなし、もう一丁!


******


※浜松駅も実際とこの話では位置が違っています。また遠州鉄道も高架化されていません。現在廃線となった支線については司ンが意識しておらず、どうなっているか不明ですがきっとルートを変えて走っている事でしょう。


※浜松城の復元図は、本丸部分の想像図が下記の通り。

 天守は、秀吉の家康包囲網の一つである甲府城天守同様いつの間にかなくなった様です。

https://chihirog.com/hamamatsujo/

 家康時代と星尾氏時代を比較したCGもあります。

https://www.youtube.com/watch?v=tQGV2vis6OA

 今では似ても似つかない、丸岡城を参考に城戸久博士が設計した、市民の寄付で建てられた二層の小規模な模擬天守が上げられています。


※勿論、松平氏が白亜層塔式に改装した云々は丸々フィクションですので、悪しからず。

 史実は、「いつの間にかなくなった」です。


※もう少しズームアウトした復元図がなかったので、縄張図を代わりに。

 お田鶴の方の悲劇の舞台となった曳馬城は、絵図右上北東部の小さい4つの円が描かれた部分です。

https://blog.kojodan.jp/entry/2022/11/02/100000

 お田鶴の方の別名を冠した椿姫観音という小さい地蔵堂の様な祠は、浜松城の東にあります。

 もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。

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