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174.ガイド 刈谷城・岡崎城 母無双

※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。


******


 東照大権現を後にして、地下鉄から東海道本線へ、名古屋の南、刈谷駅へ。


「建物の規模は小さいお城なんだけどね」

 と、駅と城の途中にある和風料亭へ。お目当ては三河名産のとらふぐ。

「んまああ~リッチねえ~!司ちゃん、大出世ねえ~!」

 顔が半分溶けてます、母。

 そんな母の顔を眺めつつ、出されたお酒「蓬莱泉」を頂く。

 お土産屋を紹介して貰って、家に送って貰おう。


 で、とらふぐ。おいちい。食感スッキリ。

 お父さんにも、食べて欲しかった…

 でもキャンセル料取られるくらいなら、二人で食べつくしてやる!うまうま。


******


 食ったぁ~。

 揚げ物はお土産にしてもらった。車内で頂きましょう。


 目の前に桝形の大手門。

「刈谷城は徳川家康の母、於大の方の父が築いた城で、この城から松平家へ嫁ぎました。

 17世紀初頭、後に備後福山城を築く水野勝成によって近世城郭に整備され、天守は無いながら東へ固く守り、西は逢妻側・境川を背にした強固な城を築きました」

「福山城はお父さんに連れてって貰ったけど、もっと立派なお城だったわよ?

 おっきな天守もドドーんって」


「あの城は西日本を脅かして睨みつけるための、幕府のお金と全国の大名の力でで築いた城だから」

「そーゆー政治があったのねー」

 あ。これ、多分お父さんも当時お母さんに話したの完全に忘れてるパターンだな。


 2万石の大名にしては立派な大手門を抜けると、正面に御殿。

 大手を左に、西に向かうと大きな馬出があり、その先がちっちゃな本丸と、その北をデンと占める「本城」。

 この本城の東側が、石垣で固められ、城内で一番規模が大きく立派な二層の辰巳櫓が守り、コの字型の多門櫓で固める表門、更に多門櫓で北側に長く伸び、本丸裏門までの防御壁を成している。

「昨日の工事現場みたいなお城よりは立派ねえ」

 母、やっぱり淡泊だ。


「こん位だったら埼玉にも公園として作ってくれてもいいのにねえ」

…それはアリかも。いやいや、岩槻城とか古河城とか、土の城のアイデンティティが崩壊するからヤメテ。


 本丸も本城も何もない空き地。いや、芝生の公園として子連れの家族が遊んでいる。

「司ちゃんもお父さんがよくお城公園に連れてったもんよ?

 昔の特急電車が置いてあって、二人でお客さんと車掌さんゴッコしてねえ」

 そんな事があったのか…

 場所的に多分岩槻城か関宿城だろうけど、覚えてないなあ。

 こないだ行ったのになあ。


「これからは私達が忘れる側になるんでしょうねえ…」

「ボケるには早いでしょ?」

「忘れたらまたフグ御馳走してね!」

「忘れないでね?」

 母、恐ろしい。


 でも、こんな風に家族と来ると、小さい子を連れて遊びに来る家族の風景が今までと違って見えるなあ。

「司ちゃんも早くイイ男見つけて、可愛い子産んでね?」

 それ母じゃなかったらセクハラですよイマドキは。


******


 駅に戻って、改めて北側を見ると、18世紀に日本の織物業に革命をもたらした豊田式自動織機の国営工場。

 17世紀後半から対外貿易の主力製品となった繊維業を爆発的に加速させ、近代化の原資を稼いだ主役だ。

 上州信州の絹糸と並ぶ日本の基盤産業だった聖地だ。

 その広大な工場を眺めつつ、徳川家康ゆかりの地、岡崎城へ。


******


 国鉄岡崎駅のロータリーの南西に、岡崎城の大手門がある。

 三之丸の北を固める浄瑠璃曲輪への入口だ。


 桝形の向こうにある大きな渡り櫓門が見え、その南北は二層櫓が見張っている。

 この国鉄の駅、惣構えの外に設けるかで揉めたけど、将来の利便性と城の惣構えの重要度の低下を考え大手前にしたそうな。


 その惣構、江戸城や名古屋城等に並んで全国4位の規模で、今でも堀はアチコチを橋で分断されながらも残っている…けど、全部見て回ってたらキリかないから城の中央部の観光を優先するよ。


 大手の先の遠くには、小高い丘の上に二層櫓に囲まれて三層のドッシリした天守が聳えている。


「岡崎城は徳川家康が生まれた地として有名です。

 15世紀の前半に松平家が勃興しこの地を治めましたが、家康の父が死ぬと今川家の支城となり、桶狭間で今川が破れると家康はこの地を奪回します。

 後に徳川家が江戸へ転封されると秀吉配下の田中家が城を近世化し、更に17世紀初頭に徳川の勢力が拡大すると腹心の本多家が入り、以後数十年を掛けて天守はじめ現在の岡崎城を完成させました」


「行ったり来たりねえ」

「それだけ奪い合う価値のある場所だったって事よ。高速も結構渋滞するしね」

 10年以上前に開通した第二東名が出来ても尚盆暮れ正月は渋滞のメッカだし。


 大手南の備前曲輪を左に曲がると三之丸へ。

 この辺はかつて武家屋敷が、近代化後には兵舎があったが、いまでは例によって市庁や学校だ。

 しかし道の行く手を阻む土塁や堀は良く残っていて、樹木も剪定されて歴史空間はよく保存されている。

 土塁とかが木々に覆われていたら、遠目には只の森になっちゃうしね。


 三日月堀の馬出を超えると、二之丸七間門の櫓門。

 お父さんがいたら「三日月堀が!」ってはしゃいでたろうなあ。

 仕事、上手く行ってるかなあ。


******


 七間門の内側、二之丸は御殿が広がる。

 名古屋で国際会議が行われた際の迎賓館に、徳川公爵家の行事に、果ては市民の歴史祭や映画のロケにも使われている。

 家康が生まれた時の御殿じゃないけど、細かい事は気にしないのが映画界である。

 観光の宣伝にもなるしね。


 半洋風、床張りに改装された大広間で寛ぎ、抹茶を頂く。

 格子天井から吊るされるシャンデリアがちょっと浮いているが、これも時代の足跡かな?


******


 本丸の周囲は小さい曲輪に囲まれて、しかも鉢巻土居(上下の端が石垣で、中腹が土塁の城壁。皇居西側が好例)で、何となく中世っぽさが感じられる。


 櫓等も壁や三之丸の櫓や門は白壁、二之丸以内の櫓や門は下層が下見板張りで上層が白壁と、なんというか統一感がない辺りも地味さを感じる。


 内堀は二重の空堀。

 二之丸から本丸北の小さい持仏堂曲輪へ、そこから東に回り込む。


 上下同規模、重箱造りの辰巳櫓が見下ろす本丸門を入り、三層の大天守と、その左右に二層の井戸櫓、天守付櫓が連なる。

 天守は下見板張りだけど二層目の入母屋破風が白壁で、連結する井戸櫓が構成の増築か白壁なので、これも統一感がないなあ。妙な迫力はあるけど。


 本丸には天守群と先ほどの辰巳櫓の他、やはり重箱作りで二層目が高欄になっている珍しい外観の月見櫓があり、これはL字型に二層の多門櫓が繋がっていて更に珍しい形になっている。


 天守からの眺望は…フツーの町だ。南に堀と乙川と、その手前に並んで映える松並木がある以外、遠くにはマンションやオフィスビルが見える街だ。


「ベランダが無いから外も見え辛いわね」

「防御施設だからねえ。あとベランダじゃなくて高欄ね」


 北東側、駅側は二層櫓や白壁の列が見えて、城下町らしい景色をしている。

 その北に東海道本線、国道一号線に東名高速かあ。ここからだとあまりよく見えないけどね。

 でも、ここも大動脈だ。京都の南、山崎はそれが一目でわかる大動脈だったけど、ここもまぎれも無い交通の要衝だ。


******


 天守を降りると石碑が。

「人の一生は重荷を負いて遠き道をゆくが如し、急ぐべからず…

 この考え方が徳川200年の緩やかな近代化と、その後の近代日本200年を築いたのね。

 アジアの他の国にそんな考えの人…タイのラーマ5世くらいかな?」

 タイの近代化と奴隷廃止を推進したアジアの偉人トップクラスの一人だ。


「偉い人は知らないけど、私ら庶民はもっと楽して生きたいわあ」

 母、家康公の遺訓台無ッシング。

 これ、お父さんが居たら絶対言ってなかったろうなあ。


******


※この世界の国鉄刈谷駅。現実では誘致運動の末城下町から離れた無人の野に建てられ、そのお蔭で物流拠点に、そして豊田式自動織機の工場になったのですが、この世界では鉄道、駅、城はセットなので、場所は今の逢妻駅の南にあります。そこから後で寄る岡崎駅は実際の物より来たにあるので東海道本線のルートも結構変わっています。


※劇中のお酒「蓬莱泉」は愛知北東にある北設楽郡の関谷醸造のお酒です。名古屋市内に直営の「SAKE BAR 圓谷まるたに」を出店しています。米蔵を改装した、行ってみたいバーです。なお「つぶらや」でも「つむらや」でもありません、「まるたに」です。

https://www.houraisen.co.jp/ja/


※亀城公園として地元に親しまれている刈谷城跡の在りし日の姿は下記サイトにまとめられています。

https://www.city.kariya.lg.jp/kankobunka/rekishibunka/rekishi/1001959/1001973.html


 コロナ前には2020年完成予定で本丸東部の表門、二層の辰巳櫓、その左右に連なる多門櫓の復元が計画されましたが現在コロナが去った後の市内再開発を見据えて計画見直し中です。

 巽櫓の復元案も下見板張りだったり軒唐破風だったりイロイロです。


※昔司ンが親に連れてってもらった、特急のある公園は、岩槻城と東武特急けごん1720系デラックスロマンスカーです。

 岩槻城の下りで、後書きにチロっと書きましたが、本編には登場していません。城の裏手、現在の城址公園にあるので案内ルートの裏側だったのです。

 司ンが完全に忘れてたって事で。


※豊田織機。現実でも刈谷駅西南側に巨大な工場を構えています。この世界では17世紀に集合式手工業、そして18世紀に機械化を果たし、輸入偏重だった対外貿易を外貨獲得の手段に変換させている…というお話です。


※現実のJR岡崎駅は、矢作橋の建設ありきだった点、軟弱地盤を避けた結果市街の遥か南の無人の地に建てられ、城下町から乙川を挟んですぐ近くにある名鉄東岡崎駅より超不便でした。

 この世界では刈谷駅から東に真直ぐ伸びるルートで城の北側、城下町のド真ん中にあります。


※東海道で名古屋城、駿府城に続く巨城、岡崎城。今ではその威容も本丸周辺しか残されておらず、しかも鬱蒼とした樹々に覆われ見えなくなってしまっていますが、往時の姿は

 縄張図が下記、

https://minkara.carview.co.jp/image.aspx?src=https%3a%2f%2fcdn.snsimg.carview.co.jp%2fminkara%2fuserstorage%2f000%2f058%2f890%2f528%2f12517ae0d7.jpg?ct=104364596d57

 本丸等の復元図が下記です。城内の八丁味噌料理店いちかわ様のサイトのまんなか位に載っています。

https://okazaki-ichikawa.jp/info/


※柳川城の下りでは歴史改変のため関ケ原の戦いが無くなって、出番なくなっちゃった田中吉政まさかのリベンジ。

 このお方、史実では秀次粛正の際にも生き残り、関ケ原では東軍に属し柳川藩主となった強運の持ち主…でしたが、二代目に嫡嗣がなく転封されてしまいました。


※明治初期の古写真等を元に復元された現在の岡崎城天守。

 元々無かった高欄を付け足したり、二層目を白壁にしたりとの改変要求に、設計した城戸久博士も無念に思う所が多かった様です。

 劇中描写した月見櫓の映っている写真もあり、そちらは割と綺麗に写っています。

 もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。

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