170.サイド時サンち 諏訪湖花火大会
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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今私達は諏訪の町はずれ、造成中の住宅街にバスコンを停めている。
ここは護児学院出資の保育施設の建設予定地だ。
一応、造成地の工事の監督さんに休憩する許可を頂き、「泥棒とか何かあっても責任取れないよ」と有難く黙認頂いた。
シャンパーニュのマグナムボトルを贈ったら「酒は真澄じゃなきゃあ」と有難い評価を頂いた。
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「司ン、親孝行できてて何よりだねえ」
「御両親も、うれしそーだったねー」
お次とお玉の言う通り、時尾一家はガイドのお株を父親に奪われつつも親子で楽しい旅を進めていた。
唯、残念なのは。
「時様、そろそろ始まりますよ!」
湖上に一本の火の手が昇って行く。それは散華し、大輪の花となった。
そして響く爆発音。
「ターマヤー!」「なあに?」「チガイマスー!」
お玉、ナイスボケだ。
今日は昭和某年、お盆の土曜。
諏訪湖花火大会の日だ。
麓の方では道々に、公園に、市民が光の祭典を楽しみに出てきている。
だが街燈も無い、未完成の造成地にまで足を延ばす人は流石にいない。
この時代の真澄特級酒を頂きながら、次々打ち上げられる花火を満喫できた。
「時様だったら湖畔の特等席も取れたでしょうけど…こういう所がお好きですよねえ」
お延さんにも真澄を注ぐ。
「子供の頃、ここら辺に出来る親戚の家の居間からあの花火を見たんだよ。
だから私にはここが特等席だ。付き合わせちゃったね」
「さっきも聞いた。私達にも、ここが特等席だよ」
珍しくお次がすり寄って甘えてきた。君もどうぞ。
「ツカサンもハナビ、パパとママと一緒に見られたらいいのにネ」
「20世紀末になると難しいな。21世紀に入ると地獄の混雑覚悟だね。
まあ、父方の親類の家に行けば、湖畔にビルが建ち並ばない限り大丈夫かもなあ。
今の旅行はお盆前だから、残念だったろうなあ」
「まだまだご両親もお元気ですし、本気で休みを取れば行けると思いますよ?」
「それより、御両親はもっと他の所に行きたがるかも知れないしね」
「イスパーニャならギャイ(ガイド)するネ!」
「またグラちゃんとイスパーニャ行きたい!フィデワ食べたーい!」
「じゃあ明日お玉にフィデワ作るヨー!」
「おいしそー!じゃ私カニ汁作る!」
「オー…今はベラノ(夏)よ」
「そーだった!」
おう。お玉が凹んだ。
「ジャコ(雑魚)のから揚げとかどうかしら?」
「それいー!おいしそー!」
ナイスアシストだ、流石長姉お延さん。
明日は色々美味そうだ。白ワインか、やっぱり真澄か。
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「おー!」「キャー!」「すごー!」「綺麗ですねえ!」
国内最大級の花火の多さ、技の巧みさについ声が出る。
長年連れ添った…色々時間をスっ飛ばしたり戻ったりしたんで正確には何年だか解らないが、瑞々しいままの笑顔を輝かせる妻達の姿に、酒も進む。
まさかの偶然で知り合った若き才媛の活躍を応援して…ってこれも何十回目か解らないけど、やっぱりそんな女性たちを応援する時の妻達は、輝いている。
信長公以来続けられてきた護児学院が、死の運命にあった子供達を僅かながら無理やり引っ張り出して幸せな人生を歩む手助けをして4世紀半弱。
時々出会う、そういった歴史無理やり改変と関係なく出会った、その時代に生きてその時代で生を全うする人。
妻達からしてみたら、何か自分達とは違う、彼女達の時代で人生を全うする人を、やっぱり応援したいんだろうなあ。
不思議な様な、腑に落ちる様な。
「「「「うわー!」」」」
「お、ナイアガラだ!」
湖上に光の滝が降り注ぐ。
「いつ見ても、凄いですねえ」
「昔あれの小さいの、時様やってくれたよねー」
「お庭に縄を張って、手持ち花火を沢山吊るして。手伝っていた時は何をやっているか解りませんでしたわ」
「あれすごかったー」
「ハポンの花火、イスパーニャを思い出すヨ…」
花火は16世紀後半には日本でもヨーロッパでも宗教行事で使われていたしなあ。
「今でもあちこちの護児院でやってますよね、かんたんナイアガラ」
美女が満面の笑顔で言う。
「みんな楽しんでくれてるかな」「「「モチロン!!!」」」
誤植がなくてよかった、じゃない。みんなも楽しんでくれていたみたいでよかった。
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一際盛大な連続打ち上げが終わり、遠くに終了を告げるアナウンスがかすかに聞こえて来る。
「終わっちゃいましたね」
お延さんが体を寄せて話しかけてくれる。
「淋しいよね」
お次さんもひっつく。
「淋しくないよ?」「ナイヨー!」
ニッコニコのグラ玉。
何か組み立てて…かんたんナイアガラだ。
「イグニシオン(点火)!」
バスコンの前の、小さな空間に、小さなナイアガラが降り注ぐ。
「はあ~」
「やるじゃん」
「えへへー」
「マラビヨソ(マーベラス)!」
おお、ちゃんとバケツに水を…どこで用意したんだ?
あ。あっちに小川があるな。流石護児学院の教師達だ。
お玉が笑顔いっぱいに言う。
「埼玉に帰ったら、今年もこれみんなとやろうね!」
「ああ。今日は練習って事だ、大成功だぞ?」
「やったー!」「ビエネッチョ(よくやった)!」
ハイタッチするふたり。
「ハハハ」「うふふ」つられて笑うお次にお延。
じゃあ、片付けしますか。お玉とグラシアは先にお風呂入りなさい。
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「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…」
バスコンのリビングで、私の世界で存在した太平洋戦争終結を描いた映画を眺めつつ、感慨に浸っていた。
4人も付き合ってくれている。毎年すまないね。
この諏訪湖の花火大会、私が生まれた時代では8月15日、終戦の日に固定されていた。
近代戦の定義、戦争犯罪の定義が数年で大きく変わったWW2で、ジェノサイドされた日本がジェノサイドした国として糾弾された。
日本は圧倒的な暴力を前に敗北し、せめてもの仇討ちとばかりに「平和主義」というUSへの抵抗を試みた。貴様等侵略国家の尖兵にはならないぞ、という決意だ。
結局経済奴隷となり自治は許されない奴隷国家となったが、戦争がなかったお蔭で世界有数の経済発展を生み出した。
この世界は、幸いにして日本が負ける戦争に粋がって突っ込まない様にちょっかいかけてるので、日本は17世紀以降緩やかな右肩上がりの発展を遂げ、世界の一流未満二流以上国家の地位を維持している。
そんな平和な日本にあっても、やはり元の世界の記憶は消えない。
生きながら焼かれた無辜の市民や、無能な軍命で飢えと病の地獄に死んだ兵の記憶は消えない。
他の国には、私みたいな別世界に飛んで行って自国を悲劇から救った同類はいないのだろうか。
私は数千年の放浪の中で、そういう同類に会った事も聞いた事も無い。
もしそういう同類が居たとして、彼等は悲劇を救えたのだろうか。
居て欲しいし、救えて欲しい。
今、目の前にいる4人は殺されていた。
だから、私の同類には目の前の人達を救って欲しい。
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「ただ、それだけ」
終戦を描いた長い映画が終わって、長いクレジットと、クロージングとは思えない激情が滾る音楽が奏でられる。
そして、平和を告げる鐘の音と、監督のクレジット。
思わず拍手。
「何時見てもカンビオ(変)」
「ちょっとヘン」
「確かに」
「あ~、すまん」
でも画面に向かって拍手するのは習い性なんだよ、スマン。
「オタクだなあ」
お次、君に言われたくないぞ。
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翌朝、現場監督に真澄の一升瓶を贈って満面の笑顔で見送られ、諏訪を、昭和を後にした。
「司ン、富豪じゃないレベルの、海外の富裕層達向けの企画も確実にこなしてそうだねえ」
お次、鋭い。
「だよね。親孝行旅行といいつつ、2週間程度のバカンスの内1週間をそこそこリーズナブルかつ贅沢にこなせるルートを模索してるみたいだ。無自覚かもしれないけどね」
「ちょっと私達でも手が届きそうな、ですね?」
「延姉。私達が手を伸ばせば「戦艦大和」で世界旅行出来ちまうぞぉ?」
「お次、そんな事しませんよ!」
「うひはは!」
「司ンは、御両親の孝行に、多くの人を気軽に案内できるモデルケースも考えてルートや宿を選んでるんじゃないかな、って思うわ。
親孝行と言いつつ、自分の選んだ宿の評価を親に頼んでいるんだろうね。
勿論ガッカリさせないラインや楽しさを込めつつ。
ある意味、親に甘えているのかもねー」
よく見てるなあお次。
「すごいしっかり者だよねー。お嫁に来ないかなー」
余計な事言うなお次。
それにお嫁って誰のだよ。君のお嫁じゃないだろなあ?
「司ンに身の回りのお世話して欲しーなー」
「自分の事は自分でなさい!」
もっと言ってやってお延さん!
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※花火。近世の嚆矢の地フィレンツェで14世紀にはじまり、16世紀のイギリスでは国家行事に使われました。
日本では15世紀に中国から伝えられ、16世紀末に大友家が切支丹行事に活用してました。
※昭和24年から始まる諏訪湖花火大会は、毎年8月15日固定です。