168.ガイド高島城 湖岸は遠くなりにけり
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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松本から下諏訪まで30分程度。諏訪というと上諏訪が中心なんだけど、今回は祖母の故郷、下諏訪へ。
駅からタクシーで諏訪大社下社秋宮へ。
諏訪大社って、上諏訪の上社と下諏訪の下社があって、夫々本宮と前宮、秋宮と春宮、全部で4つの諏訪大社があるんだよねー。
駅から数百メートルで、ちょっと古い感じの街並みを過ぎて坂道を登った先に、下社秋宮。
まずは神社、ではなくその脇にある温泉ホテル、山王閣へ荷物を置かせて頂く。
そっからタクシーで湖畔を走って、上諏訪駅方面へ。そしてその先、並木道へ。
その左右は…田んぼだ。
全国有数の観光地、温泉街の駅前なのに、田んぼだ。
タクシーは柳の並木を進むと…左右は田んぼだった。
そして道の突き当りは右折路になっていて、その先には大手門の楼門とその奥に二層の内海櫓。
大手門を入った衣之渡郭はロータリーや駐車場として拡張されている。
そこで一家下車。南の三之丸へ向かう。三之丸は市庁だ。
お。三之丸の橋の上、父が西に広がる一面の田んぼを眺めて何か考えてて何も言わないので、ガイド開始。
「日本有数の古い神社、諏訪大社を持つこの地は、代々神主の諏訪家が治めていました。
しかし豊臣政権下で秀吉配下の日根野高吉が諏訪湖の小島だった高島を拡張して難攻不落の高島城を築城しました。
湖の島を利用した高島城は、先ほど通った並木道、綱手を唯一の出入り口とし、本丸までを3つの曲輪で守る、湖上に浮かぶ浮城として堅固かつ優雅な城として知られました」
「そう!高島城は諏訪湖に浮かぶ、浮城として有名だった!だったんだが!」
父が突然言い出すや、無念そうに言う。
「川からの土砂流入で段々湖岸が沖合に向かってしまった、でしょ?」
「そうなんだよ。江戸中期には折角の空き地を埋めて市街を拡張するか開墾するかで揉めて」
「幕府に相談した諏訪の殿様が、御神酒の水田にして城の備えを保ち、諏訪大社の神酒にするという政策を打ち出したのよ!」
「それだー!」
「親子ねえ」
母が呆れた。
三之丸の南は橋を渡って二之丸。
その手前に、ちょっとした屋敷があり、「三之丸温泉」との扁額が。
「ここは少し離れた鶴島に温泉が湧き、最初は藩主用として、更に城内の武士の憩いの場として提供され、廃藩後は市民に公開される様になりました。
城内にある公衆浴場として珍しい存在です」
「でも熱いのよ」
「それがいいんじゃないか」
父よ、女性はぬるま湯の方が好きなのです。
門の無い二之丸に入ると、家老屋敷はレトロな公民館として利用されている。
大広間は劇場としても活躍してるとか。
そして、二之丸から堀を挟んだ南側には。
左に二層の角櫓、真ん中に冠木門、そして右奥には不思議な姿の、かつ優美な姿の、小さいんだけど小さく見えない三層天守。
「小規模ながらも、軒下が高く白壁も高く、更に二層目と三層目の出窓を覆う屋根が重層感を出し、三層以上の天守に見える様なデザインが施されている!
そして軽量かつ雪の季節でも割れない杮葺きの優雅なライン!
全国でも似た物が無い不思議かつ優雅なデザインの天守、それが高島城天守だ!」
ベタ褒めだよこの人。
世の中には岩国城天守って言う不思議デザインの更に上を行くものもあれば、目が点になる水戸城御三階櫓って底辺の王もいるんだよー!水戸の皆さんゴメンナサイ!
「ま、まあ、二層三層に華頭窓をアクセントにしたり、相当に凝ったデザインだよねぇ」
「だろだろ?長野人には先進気鋭の血が流れているんだ」
「その割にお父さんフツーのサラリーマンで終わりそうだけどねえ」
母、遠慮ないなあ。
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天守の窓から見る諏訪湖は、遥か数百m先にまで遠ざかっている。
しかしその手前には、青々とした稲が茂っている。
「城の防衛を意識してか、高島城の東西は田んぼ、湿地として残されている。
城から離れた地はもう市街地になっている。
田に水を張ったその時だけ、浮城が蘇るんだ」
そんな、蘇ったかつての浮城の姿も見てみたい。
本丸御殿で一息入れる。
大広間の向かいの能舞台では音楽を演奏している。心に染み入るなあ…
お茶と一緒に出された茶菓子の皿には、諏訪大社と同じ諏訪家の紋が入っている。
「日根野家も苦心してこんな城を築きながら元の諏訪氏に明け渡すとは、ついてないもんね」
「だから…」
父が得意そうに言うんで割り込んでやる
「「諏訪の殿様よい城持ちゃる、後ろ松山前は湖」」
「…その通りだ」
父が一瞬呆気にとられた。ヤッタゼ。
「一時よそ者に追われた神主一家が、万を持して故郷に帰ったら立派な城が出来てた、ってな!」
「まあ日根野家の築城も過酷を極めたから、神主の領主が戻ってメデタシメデタシ、じゃないかしら?」
城工事の分担がきつくて村全部で逃げたって話もあるしね。
「あら。神主さんが御殿様だったの?」
母、関心薄!
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本丸御殿を後にして、本丸西の川渡門から遊覧船へ。
田の間を走る水路となった、かつての湖を遊覧船が走る。
緑の絨毯となった稲の向こうに、天守に櫓、石垣と塀が並ぶ。
「また来れたなあ母さん」
「流も来ればよかったのねえ」
「次はアイツの驕りだ」
「年金少なくなるしねえ」
熟年夫婦の会話は…
世知辛い。
頑張れ弟。
「そん時は司も一緒に来てくれよ?」
「ハハ…約束できないかも」
むしろ逆にガイドとして参加するかもね。
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※司ン一家が泊まった、下社秋宮にあった国民宿舎ホテル山王閣。
長く秋宮で婚礼を挙げ山王閣で宿泊、宴会という定番コースだったのですが…2017年に敷地の賃貸契約が終わり、今や解体され駐車場になりました。
皇族も泊まった由緒ある宿で、琵琶湖を見下ろす露天温泉もあってお値段もリーズナブルだったのですが、残念です。
※浮城として有名だった高島城ですが、史実では江戸時代に東側は湖等より沼地となっていた事が絵図に記録されており、江戸後期には西側も田畑となり、現在は完全に市街地に埋没した平城となっています。
これは劇中にある川の土砂流入も一因ですが、開拓が推進された所為でもあります。
領民のため代々諏訪家が採った政策だったのですが、その所為で湖の面積が減少し、昭和には洪水等も引き起こす一因となってしまいました。
その後、水門等を整備して水位調整・洪水対策をしています。
なお、劇中の御神酒云々は全くのフィクションです。
下記の復元図は毎度使わせて頂きましてありがとうございます、の余湖くん様の作図で、城の四方が陸地化した状態を描いています。
http://yogokun.my.coocan.jp/takasima.htm
※本丸御殿の能舞台は、上諏訪から下諏訪側に向かった途中にある温泉寺に移築されています。
※「諏訪の殿様よい城持ちゃる、後ろ松山前は湖」の俗謡は、領地を失って戻って見たら高島城が出来ていたという諏訪氏のラッキーを讃えたものです。
もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。