164.ガイド上田城 真田の金ピカ三層天守
今夜不在のため早々にUPします。明日もその予定です。
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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ゴキゲン、というか久々に人間らしい表情の父に驚きつつ、信越本線で次の駅の上田へ。
荷物をロッカーに入れようとしたら
「いいのよ!持って歩けばタダなんだから!」
母、貧乏性。
タクシーを捕まえようとしたら
「いいのよ!そんな贅沢は!歩けばタダなんだから!」
母、貧乏性。
「ウッキー!そんなんじゃ疲れがたまって最後はバタンキューだよ!
疲れるために旅行に来たんじゃないんだからさー!」
無理やりスーツケースをロッカーに叩き込んでタクシーに両親を乗せた。
向かうは駅の西側にある、上田城。
駅には鎧姿のイケメン男子、イケオジとかのアニメ絵が。あ~、これ次グラのお土産にしよう。
上田駅は三之丸大手の東にあり、その内側が市の施設や学校、そして市庁になってる堀に囲まれた御殿跡。そして。
「ここが天下の徳川家康を手玉に取った真田昌幸の城、上田城だーッ!」
二之丸東門で、何故か父が偉そうに宣言する。
ま、確かに三方を、そして中堀に面した左右を多門櫓で固められた虎口は凄い。
そして金に輝く軒丸瓦も凄い。
って言っても今時本物の金箔なんかする訳無くて、全部塗料なんだけどね。
台風とかで剥がれて堀に捨て流すだけだし。
でもキンキラだ。オマケに本物の金箔より長持ちで台風にも強い。お得だね!
二之丸東面は土塁の上に下見板張りの壁が伸びて、左右遠くに長い多門櫓を伴った、望楼式の二層櫓が構えている。
そして本丸。
内堀の伸びる先の北西隅には、四層?三層四重の堂々とした望楼式天守が、これまた金箔瓦(塗装)を輝かせて建っている。
「あれが上田城天守。昌幸の子信之が上げた沼田城の五層天守に比べると小規模だが、あれが武田の忠臣として徳川家康を翻弄した真田の誉れだー!」
…う~ん。ウザい。
いや、父方のルーツ信州を誇るのはいいんだけど、ウザい。
これ観光客相手にやったら、ガイド馘だな。
地元の誇りとウザさって紙一重だなあ。他山の石として有難く胆に銘じます、お父さん。
「ま結局上田も沼田も江戸時代に徳川にかっ攫われたけどな…」オウフ。
上田城本丸は数基の望楼式二層櫓と東西の桝形門に固く守られている。
まだ天守も櫓も無く、井楼櫓と板葺き御殿の中世城郭だった頃からよく戦った歴戦の城だ。
だが一番アレなのは~。
時サンが言う「関ケ原の合戦」で真田昌幸・信繁親子が徳川秀忠の大軍勢を翻弄して、関ケ原の本戦に遅刻させたって大快挙がこの世界には存在しない事だー!
その所為で真田親子は蟄居、父は死んで子信繁が大坂の乱、もとい「大坂の陣」で徳川相手に激闘したという、男の子大好きなバトルロワイヤルも漏れなく無くなっております。
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本丸を囲う二層櫓の入母屋を見ると、大和郡山城を思い出すなあ。初層がドッシリ、二層が小さくスタイリッシュ。
桝形の正面を渡る東虎口の渡り櫓を潜り、本丸御殿へ。
質実剛健だった真田家っぽく、小さい。バトル向きな真田っぽい御殿だ。
今でも仙石氏当主が真田家当主を迎えて武者行進とかイベントしてる見たいだ。
でもその奥にある天守は真田っぽくないな。
いや?豊臣恩顧の大名ならむしろ五層天守を上げてもいいんじゃないかな?子の信之の沼田城みたいに。
いやいや、もしかしたら既に天守の戦術的な無意味さに気付いていたとか?その辺豪華な城に頓着がない東の人の発想だな。
「コリャ司、何考えてんだ?」
「え~とね。天守の金瓦が質実剛健な真田っぽくないかな~って」
「うん。まあ豊臣配下って宣伝効果もあるんだろうけど、司の言う事も腑に落ちる。
流石スーパー世紀末ガイドだな」
「何それ!」人の称号を勝手に増やすなやー!
「司ちゃんも色々考える様になったのね。私は早く温泉に入りたいわ?」
お母さん観光楽しまなさすぎ?
お城に来たら天守に登ろう。
城の北側を信越本線と新幹線の高架、そして山際に上信越高速が横たわる。
そして南側、本丸櫓のすぐ下は…崖!
ここからは見えないけど石垣と、崖!
尼が淵と呼ばれる、断崖絶壁。これも上田城の強さの秘訣です。
何も建物のない中州を挟んで、千曲川の本流があり、市街地が南に広がる。
渋谷とか行った時見た電車が西に向かって走ってる。
「ねえお父さん、もしここで真田と徳川が戦っていたら…」
「真田が勝つ!」
「そうしたら、大坂が勝って、日本の半分はポルトガルとスペインに盗られちゃうよ?」
「そんな事は豊臣が許さない!」
「そっか…」
戦いに目が奪われると、戦略が見えなくなるもんなのねえ。
時サンの知ってる真田の戦いも、何となく。
日本の未来よりも、目の前の合戦の勝利に飢えていた気がする。
さもなきゃ余程徳川絶対殺すマンだったんだろうねえ。
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二之丸の西に小泉曲輪ってのがあるけど、これは
「これは上田城の前身、小泉城のあった辺りだ!長い歴史の証人と言えよう!」
…私は大人だ。私は大人だ。ウザさに耐えよう。
そこから尼が淵、上田城南側にある千曲川から別れた支流に下りる。
「うをあ~!」
「これが上田城の鉄壁だー!」
確かにこの崖は昇るったって昇れない。昇る途中で家から討たれる。
何となく下側の石垣が綺麗に積まれている様に見えるのは、江戸時代に入ってからの造営だからかな?
「上田城は規模こそ小さいが、この天然の要害を取り入れた鉄壁の要塞なのだー!わっはっはー!」
「お父さん楽しそう」
「バカなんじゃない?」
あれだ。男はいくつになっても子供なんだ。
何となく時サンと会わせたら怖いなーって思った。
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※この物語で描かれている上田城は、現在に残る、真田家の上田城を徹底的に破壊した跡に築かれた仙石氏の上田城ではありません。
この世界では、大坂の乱の時「秀頼・石田の大坂方に義無し」と見た真田本家は江戸期にも存続し、豊臣臣下の金瓦を輝かせた天守も破却されずに20世紀末まで存在していたりするのです。
従って現存するあの下見板張りのドッシリした二層櫓ではなく、より小規模な、大和郡山城二層櫓みたいなものと三層四重の天守が残されているのです。
※山鹿素行の記録では真田家の上田城に「天守も無いのによう頑張りやがる」と書かれていて、上田城に天守は無いと思われていました。
徳川政権は兎に角城の天守を嫌っている様で、何かにつけて「この城に天守は無い」と記録を連発しまくってますが、発掘調査や新資料の発見で上田城にも金瓦が発見されていて、天守が存在した可能性が高まっています。
徳川としては、城といい天守といい、天下偃武にとって邪魔者だったんでしょうね。
「田舎のヤンキーが粋がって無駄なモン建てんな!俺だってそんなん要らねえ!駿府城は丸焼けして清々したぜ!それよりグルメだグルメ!」とか家康は思ってたりして。
※18世紀から全国に鉄道が普及したこの異世界。信越本線も新幹線も現在の路線、尼が淵を走るのではなく、城の北側を走っています。
なお、千曲川を渡っていく渋谷で見た電車、上田電鉄別所線で活躍する元東急の払い下げ車両です。
もしかしたら日本最初期のステンレス車両、5200系だったかも知れません。
千曲川を跨ぐ鉄橋は2019年の台風で流失し、21年に復旧したという歴史もあります。
もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。