158.ガイド田辺城 歌の力
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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丹後田辺港。海軍田辺軍港で有名だ。
目的地はこの軍港の西、山を隔てて東側だ。
しかし…
『おや軍艦だ』
ホワイトキャッスル号を先導するかの様に、海軍の駆逐艦がこちらに敬意を表し、田辺城じゃない方の田辺港へ先導する。
そこには、海軍の数百mもある航空母艦を始め、多くの軍艦が並び、50mのホワイトキャッスル号を歓迎してくれていた。
甲板上には、海軍の皆様がズラーっと並んで敬礼をホワイトキャッスル号に捧げてくれていた。
『おお!これは有難いなあ!これもミスツカサンの心配りかな?』
『違います!違いますって!』
『そうだろうなあ。
多分このホワイトキャッスル号の航海がニュースになって、あの時動けなかった海の男達が愛に来てくれたんだろう、広島や他の時みたいになあ。
私は嬉しいよ!ミスツカサンの言う通り、同じ気持ちの男達は、動けなかったけど沢山いたんだ。
今となっては、その気持ちだけでも嬉しいよ!』
ジェフ伯は、いやキャプテンジェフは、遠い目をして微笑んだ。
巨大な空母大和みたいな船が何艘が並ぶ中を50mのホワイトキャッスルが田辺軍港に接岸し、海軍士官が乗船を求めこれを迎える。何故かまた女性士官だ。
タラップを降りると、軍楽隊が樫の心を演奏する。
海軍の主要拠点という事もあって歓迎も最大級だ。
そしてリムジンへ。
いつも思うんだけど、何で私ここにいるんだろう?
私、ただのサイタマ県民ですよ?
リムジンは山を越えて国鉄田辺駅を超え、田辺城へ。
車中、同行してくれた女性士官が英語で私に話しかけてくれた。
『動画投稿で知りました。ミストキオの解説が極めて秀逸で好評だそうです』
『いえ!私は単なる経験も無い、学生の、ガイド見習いですよ!』
するとジェフ伯が。
『違うよ!彼女は知の女神だ。
この国が誤った道を選ばず、正しい道を進んだ事を私達に教えてくれたんだ。
私達はね、只の観光旅行以上の事を、この女神から学んだんだ』
ニコニコしてる士官さんの…星と線で大尉さんかな?目が笑ってない、こっちを凄く見てる。
国鉄田辺駅は田辺城の南、三之丸跡に建っている。
田辺城が海軍の迎賓館に使われているので赤煉瓦建ての豪壮な、小さな東京駅みたいな建物になっている。
その駅前ロータリー、を通過して二之丸へ。二層櫓と白壁が並ぶに二之丸南面が車列を歓迎する。
単層と二層櫓が固める旧大手門を通過する。
そこからUターンする様に本丸南面に向かうと、そこには古風な三層の天守が。
リムジンから降りる。
『田辺城は…』
一緒だった大尉さんも凄く聞き入っている。
『14世紀から室町幕府の重臣として伝統を誇る細川氏の子孫、昨日見学した宮津城を築いた細川藤孝が丹後の本拠地として築きました。
当初は先ほど通過した旧大手を正面とした南向きの城でした。
その後大坂の乱で豊臣軍に包囲された際、落城の危機を朝廷に対し伝えました。
古今和歌集を伝授する証書とともに、歌を伝えました。
「いにしへも 今もかはらぬ世の中に こころの種を残す言の葉」
これは古今和歌集の解釈を伝授する文化人としての血統である自分が死んだら文化が途絶える、万一の場合はこの証書を後世に残して欲しいという嘆願でした。
朝廷は藤孝の死を恐れ、包囲軍を撤退させる詔勅を発し、細川氏は危機を脱しました』
一同がイマイチピンと来ない顔をしている。
サンドラが質問した。
『コキンワカシューって何?』
そうだよねー。
『古今和歌集は、10世紀初頭に天皇の指示で優れた和歌を集めた物で、日本文化の国家事業です。
集められた和歌は、日本人の教養として現在にまで教え伝えられる民族の文学です。
古今伝授はその解釈を許された文化人に与えられたもので、戦乱で失われてはならない物だったのです』
『そんな古い物なの?』
『古いものですが、今でも愛されていますよ。子供達でも正月には百人一首というカルタ遊びでその歌を学び、覚えます』
『ナーサリーライムじゃなくて、カンダベリー物語を今の子供達が遊びで覚えている様なものなのだろうか?』
いや知りませんよジョン卿。カンタベリー物語か…こういう時自分の無知が恨めしいなあ。
『ラテン語のグレゴリオがカルタになって子供達が暗礁している、そんな感じ?違いますねえ』
『そんなの大学生の教養じゃないか!』
あー。わかんないや。
一行は二之丸御殿で一服。
田辺鎮守府の海将の表敬訪問を受ける。
やはり、英国領だったピーコックの人々を救助した事への賛辞と、日本が動けなかった事の無念の報せであった。
『日本の立場は、ガイドのミストキオ・ツカサンから詳しい説明を受けて、充分に理解しています』
『ツカサン?』
やめてージェフ伯!日本の偉い人の前でニックネームヤメテー!
なんか偉い人が二人でニコニコしてるしー!
軍楽隊が見送る中、ホワイトキャッスル号は田辺を後にした。
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※丹後田辺城の地は、明治に紀伊田辺と区別するために田辺城の雅号に因んで舞鶴に改称させられましたが、この世界ではそういった改称はなされず江戸期の名が各地に伝わってます。
時サンの歴史改変でいち早く空母と攻撃原潜を開発して「大和」の名も戦艦ではなく空母になっています。大和や武蔵は太平洋側に配備されているので日本海側は紀伊とか尾張とかです。
※現在ではすべての堀が埋め立てられ石垣も失われ、本丸周辺に二条城を模した模擬櫓と模擬門が建つ田辺城跡。
本丸に発掘調査から復元された小ぶり天守台があり、その規模から高層の天守は無かったという説もありますが、天正期の事、三層程度の天守はあったと思われます。
その復元図も余湖くん様以外あまりしっかりしたものが無く、改めて市井の研究家の底時からを実感する次第です。
なお国鉄もといJRの駅は実際は二之丸・三之丸を袈裟懸けに通過しています。
http://mizuki.my.coocan.jp/kyoto/maidurusi.htm
※田辺城包囲戦は実際は関ケ原の合戦前夜です。この時の戦功で細川藤孝・忠興親子は九州中津・小倉へ栄転するので、歴史として色々こんがらがっています。ガラシャ夫人玉子が大坂屋敷を自爆させ切腹したのも関ケ原前夜です。
細川氏栄転後に入封した京極氏、その後の牧野氏によって城は改築され拡張されますが、その途中で天守は失われたみたいで、現存する絵図には描かれていません。
もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。