153.ガイド松江城 天守台イズ フォーリンダウン
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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米子城を出発したホワイトキャッスル号は西へ、松江へと進む。
中江大橋を潜り、大橋川を進み宍道湖方面へ。
大型船が侵入できないくにびき道路手前の桟橋で下船。
『ここからは市内観光船でご案内します』
予約していた屋形船みたいな遊覧船に乗り換え、市内へ。
出雲県の県庁所在地とはいえ、萩程ではないけど古い建物が残る城下町の堀、というか京橋川をのんびり船は進む。
あ、温泉宿もあるんだ。この辺は古代海水、塩化物温泉だろうなあ。
『これは、アレだな』
とジェフ氏が船内を見て言う。
『紳士淑女の皆様、橋を通過します。頭を低くして下さい』と船頭さんが英語で言う。
随分観光の現場にも英語が普及している。
すると、屋形船の天井が下がって来た!
『やはりあの橋を潜る仕掛けだ』
市内の超低い橋を、天井が低くなった船がスルっと潜る。
うはー!面白い!動画で見たけど、これテーマパークっぽくていいなー!
『うはー!面白いなあ!』
ジェフ伯と心の声がシンクロしたよ。
白壁や下見板の家々の間を潜る様に、ここに住む人達の生活の間をお邪魔するかの様に船は街から城へ。
石橋だったり、昔ながらの木の橋だったり。
結構頭スレスレな小さい橋の下を潜ったりして船は進む。
眼の前に、松江城三之丸の多門櫓というか長屋が見える。
その内側にかつては松江藩の御殿があったが今は出雲県庁が、神社建築を模して建てられている。
中はコンピュータやらストレージやらがひしめく電子の県庁だが、外見は神社だ。
そして木橋を幾つか潜り、二層の南櫓と二基の平櫓が見下ろす、横矢掛の石垣の下、大手門前の船着き場へ。
二之丸下段ともいう「馬溜」という一画は、大手門の楼門へ向かう広大な桝形。
『松江城は、豊臣臣下だった堀尾吉晴が17世紀初頭に築いた城です。堀尾氏は三代で断絶し、17世紀中ごろには松平氏が治めました』
『多いねえ。子が無く松平や池田パターン』
『戦国大名は織田、豊臣、徳川の目まぐるしく変わる政治の中で、落ち着いて子孫を残せなかったのか、はたまた生まれた子供が都合よく夭折したのか…それは歴史研究家の論じるべきテリトリーです。
でも全部その後を徳川政権に近い者達が占めて行ったのは…少々恐怖を感じます』
世の中が落ち着いてたら、あの加藤清正なんて何人でも子供作りそうでコワイ。
大手門を超えるとかつて米蔵が並んでいた、今は市民公園。GWって事もあって家族連れが遊んでる。
そしてその公園の奥には噴水のある整えられたお花畑、そして洋館。ここだけちょっぴりベルサイユ?
偽洋風の興雲閣だ。
『こちらは明治天皇行幸に備えながらお迎えすることが無かった迎賓館です。
その後皇太子時代の大正天皇をお迎えする事になり、今でも色々な行事に活用されています』
『宮殿と天守…日本だな』
『はい。日本、結構何でもアリです』
いいなあ。天守と宮殿に見守られて遊ぶ子供達。
天守も宮殿無いサイタマ県民には贅沢な世界ですわあ。でも関宿城とか忍城には連れてってもらったかな?宮殿みたいなお花畑や噴水があった緑地公園にも連れてってもらった。
お父さんありがとう。
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二之丸下段から二之丸へ。御殿を見物、御殿の最奥にある銀閣みたいな二層の月見楼で一服。
そこから眺める本丸は…
石垣で固められた本丸の塁上、櫓門の一ノ門と、左右三基の二層櫓、そしてその間を連結する多門櫓でギッチリ固められている!
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そして本丸一ノ門の前で。
『松江城は地味で穏やかな印象だったが、こうして見ると改めてがっちりした要塞だな!』
ジェフ伯の御尤もな意見にジョン卿が頷く。
『天守単体で見ると、何となく長閑な景色です。しかし実はその前面、というか本丸南面は荒神櫓、武具櫓、弓櫓等6基の二層櫓を多門櫓で連結した、姫路城の様な強固な連立式天守にも近い、極めて実戦的な要塞なのです』
『なんでまたこんな平和な場所のお城がこんなバーサーカーみたいなお城なのよ?』
呆れて怯えた様にバージニア子爵夫人が言う。
『あーそれはね、南蛮征伐でポルトガルやスペインと戦った時に台湾やフィリピンに日本の大名が城を築いた。その経験が日本の本土に反映されたんだよ』
日本の城の縄張に詳しいジョン卿がアシストしてくれた!サンクス!
『ジョン卿の説明は実に的確です。
しかしこの城を築いた堀尾氏は南蛮征伐に参加しておらず、強固な構えは他の城に倣った可能性があります。
山陽の支城だった櫛崎城や亀居城の様な、山と山麓の平地と港を囲む築城術は、正に対ポルトガル・スペイン戦争の戦訓に従ったものです』
『日本って国は、やっぱり恐ろしいわねえ』
そう言われると何とも、でも世界を謀略で何度も籠絡した英国貴族に言われたくないよー。
等と言いつつ、本丸へ。
穏やかな表情の五層の天守。
下見板張りながら、三層目が白壁で真ん中に華頭窓を配し、そこだけオシャレ。
最上層は望楼を内側に取り込んだ形式だけど、不思議と頭でっかちには見えない。
『山陰屈指の五層天守である松江城天守は元々白い天守で、飾りの破風も多く、今よりもっとオシャレな天守でしたが、18世紀半ばの修理で現在の姿に落ち着きました』
『ほう、そんな改修もあるんだなあ』
ジェフ卿が興味深げに頷く。
内部に入ると。
『あら、井戸だわ』
サンドラが気が付いた。
『この天守は地階に井戸を持つ、天守だけでも籠城する構想がある物でした。
各階には畳敷きの部屋もあり、居住性を考慮した珍しい天守です』
『昨晩泊まった米子城は最近の改築だったけど、こっちは昔から泊まれたのねえ』
そうなんですよ。
城泊は、城の歴史に新しいページを加える事になるかもしれません。
天守から宍道湖を眺める。
宍道湖の北岸をレトロな小さい電車が走っている。松江と出雲大社を結ぶ一畑鉄道だ。
出雲大社。縁結びの神様を参拝したかったけど今回はお預けだ。
『うん。この合わせ柱には創意工夫を感じるね』
と日本建築に詳しいジェフ卿。
天守の柱は、複数の松の木を鉄の帯で締め付け組み合わせた合わせ柱だ。
そこを指摘するのは、…うん。マニアだ。
『はい。日本は元々森林資源に富んだ国でしたが、16世紀には巨大な建築を支える巨木は失われていました。そのためこうした合わせ柱が使われる様になりました。
層塔式天守も、巨大な心柱を使わず、小さい柱で耐震性を高める工夫の中で生み出された物で、この松江城天守も各層を互い違いに貫通する柱が使われていて層塔式天守への発展の過程を見せています』
『そんな昔から天然資源の枯渇が問題になっていたのね』
バージニア子爵夫人が悲し気に言う。そうなんですよ。
天守を降りた私達は、本丸の東西南面を多門櫓で結んだ塁線を見物した。
『ヨーシ競争ダーッ!』
あれ?あ…空耳だ。何となく、ダーッと走っていく毘姐姐と子供達が居た様な気がする。
大坂城本丸とか行ったら、エラい事になるだろうなあ…
『なあに?なんか面白い事あったの?』
思い出し笑いしてるとサンドラが聞いて来た。
『前に案内した方で、こういう長く繋がった櫓群があると子供みたいに猛ダッシュする、凄いおばあ様がいたのよ』
『おばあ様って…』サンドラが呆れた。そうだよねー呆れるよねー。
『もしかして、お爺様の知り合いだったりして』
ゲ。そういや領民救助の時訴えてきた徐姉妹の中に毘姐姐もいたんだろうなあ。
『いまでも山やら超高層ビルの外周をダッシュしてるかも知れませんねー』
『そりゃ元気なおばあ様もいたもんねえ』
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『へぶしっ!』
シンガポールの超高層ビル建築現場の天辺で、現場で指示取って走り回ってる60代とは思えない筋肉美魔女がくしゃみした。
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『しかし何故この本丸の廻廊は北東で途絶えているのかな?』
うわあジョン卿、その話題に触れて欲しくなかった。
でも答えなければ。
『え~と。日本には人柱伝説というのがありまして。
松江城築城の際、どうしてもこの北東隅の天守台、日本では鬼門という縁起の良くない場所が崩落し続けました。
そこで祭りの際一番踊りの上手い娘を捕らえて生き埋めにして完成させたという伝説があります』
『レディ・リー!』
バージニア子爵夫人が言った。
ああ、イギリスで人柱と言えばロンドン橋か。ナーサリー・ライムだなあ。
調べておいてよかった。
『この話が本当かどうか。別の伝説では城主の知人であった僧侶が自ら人柱を申し出た、というものもあります』
『どこの国も、残酷な話はあるものね…』
日本には、と言わなかった辺り、この優しい心の夫人は決してレイシストではないなと感じる。
『日本各地の城で東北に特別な配慮をする建物がありますが、この城も特にこの部分にはタブーを感じていたのでしょう』
『それ、コイズミヤクモのお話でしょ?』おお食いつくなサンドラ。
『はい。この後、パトリック・ハーンの住んだ家にも行きます』
『キャ!ちょっと怖いわ!』可愛い声を上げるメアリ伯爵夫人。
『とてものんびりとした、落ち着いた庭園の様な、小さな家ですよ』
『モンスターが出て来そうよ!』
出ませんって。
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※今では山陰唯一の現存天守を持つ松江城。
その往時の姿と、縄張図は下記サイトを参照願います。
http://blogyang1954.blog.fc2.com/blog-entry-1540.html
※興雲閣は、現実では二之丸にありますが、御殿が破壊されなかったこの世界では米蔵跡に建っています。
※堀尾吉晴。史実では関ケ原合戦の前に東軍へ参加しながらも家康の命で自領へ戻る途中、加賀井重望と口論になり負傷しながらもソイツをブチ殺し、子の忠氏が活躍して松江藩を築いたそうだけど。
関ケ原参陣の前夜の決起集会で、ホントは堀尾忠氏が自領を献上するって決起を促すアイデアを山内一豊に漏らしてしまい、一豊に出し抜かれてしまった、と新井白石が記録して司馬遼太郎が自作に書いています。トホホ。
※ナーサリー・ライム。日本ではアメリカ開拓民による「マザーグース」と言われる事がありますが、母国UKでは単に「ナーサリー・ライム(童謡)」と呼ばれます。
レディ・リーはロンドン橋の古いバージョン(18世紀)に登場する名前で、各節の最後も「マイフェアレディ」ではなく「陽気なお嬢様と」となっています。
ガイドさんは色々な知識が求められますが、外国人相手だと向こうの常識知っててナンボみたいなところが人気を分ける秘訣になる様です。
あとネイディブな会話とか各地での飲食店情報に、お得な移動手段=割引チケットとか。
司ンガンバレー。
※みんな大好きラフカディオ・ハーン。
でもラフカディオって実はミドルネームで、ファーストネームは聖人パトリックから取ったものだったそうで。
本人がキリスト教が嫌いでミドルネームを名乗ったそうな。
日本ではファミリーネームが訛ってヘルンと呼ばれてたとか。
ギリシャ人、ではなくイギリス領イオニア諸島出身だったのね。
※一畑電車。乗りたかった!一畑ホテルには泊まった!でも電車乗りたかった!以上!
もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。