145.ガイドザビエル記念聖堂 ここがそれ??
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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岩国を出たヨットは18ノット、時速30kmくらいで南へ、屋代島の西を抜け防府港へ。
その間に洋上でランチ。海鮮うまうま。
グラ玉もうまうましてるかな?
そこからはまたまた防府基地から空軍の歓迎があり、内陸にある山口市、その真ん中までリムジンで。
『ここが、それ?』
思わず口にしたのはバージニア子爵夫人。
そこにあったのは、飾り気のない、壁というかパネルで囲われた聖堂、そして鉄骨の鐘楼。
一目でわかる、仮聖堂だ。
『こちらを予約した際ご説明した通り、先日漏電で焼失した聖堂の再築がまだ始まっていない為、信徒の皆さんはこちらで礼拝を行っています』
『先日って…1992年?もう10年近く経つじゃない。何でまだ再建できていないの?
もしかして資金が足りないの?』
『はい。焼失直後多くの寄付が寄せられ復興計画が始まりました。
しかし数年前、復興計画が好評されて多くの寄付が引き上げられたのです』
仮聖堂の一画に、三角形の屋根と二本の尖塔を持った聖堂の模型が置かれていた。
その隣に、焼失した旧聖堂の復元模型も置かれていた。
旧聖堂は、1950年代に、ザビエルの故郷の城をイメージして建てられた、左右に尖塔を持つ伝統的な威厳ある物だった。
『こっちが元の聖堂で、これが…まるでニューワールドのメガチャーチねぇ』
嫌悪感を含んだ表情でバージニア子爵夫人が言う。
『復興計画中にこの設計図が公開されました。
その際寄付者から何故焼失前の姿にしないかとの疑問が出ました』
『それで何と?』メアリ伯爵夫人も残念そうに聞く。
『教会は新しくなければならない、と。
これは1962年の第二バチカン公会議で打ち出された、現代に相応しい教会へ変化する、という方針に則った物です』
『教会の権威には、伝統性も含まれると思うわ』
メアリ伯爵夫人の言う事も尤もだ。しかし。
『この決定により従来ラテン語で行われていた礼拝が各国語で許される様になり、聖書の解釈についても継続的な論議が行われる様になりました。
聖堂建築も、旧来の十字型配置から楕円形の劇場型の設計、音響効果や祭壇と信徒の距離を近付けたものへと変化しつつあります。
この計画もその流れの一つです。
しかし伯爵夫人の仰る通り、伝統性を無闇に否定する事もまた信徒には受け入れられないものです。
例えば、先日完成した東京四谷のイグナチオ教会は円筒形の劇場型聖堂で再建されました。
日本のカテドラル(司教座)である東京目白の聖マリア大聖堂もまた前衛的な近代建築です。
どちらが神の家、地上を旅する貴方の教会に相応しい物か、それは各地の教会ごとに判断すべきでしょう』
まあ私は、折角元々古い物があったって言うんならそれを受け継ぐべきだと思うけどね。
『ミスツカサン、貴女はどちら?』
ついにメアリ伯爵夫人までンが付いた!
『まあ私は、折角元々古い物があったと言うのならそれを受け継ぐべきだと思います』
思ったまんま答えた。
『普通そうよね』
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私達に気が付いた、というかいきなり空軍のリムジンがやって来た事に驚いた神父様が一行に応じ、祝福を与えてくれた。
カトリックと国教会という区分はあってもプロテスタントよりは教義は似てるし。
『何故日本はキリスト教国にならなかったのですか?』
バージニア子爵夫人が単刀直入に神父様に聞いた!
すると神父様は流暢なクイーンズで応えた。
『いくつか理由は考えられます。
これは私の考えですが、三つ理由があると思います。
一つは戦国時代にポルトガルが布教を侵略の武器にした事。
一つは敗北したポルトガルとスペインが、江戸時代に長く許された布教に消極的だった事。
最後に、日本人には独自の宗教観、生死観があり、キリスト教の訴える死者の復活が魅力的に思われなかった事』
神父様は穏やかに話してくれた。
『戦国時代に戦乱が蔓延した当時、日本の人々は死んだら天国へ行けるという教えに魅力を感じたそうですが、本当にそうかどうかは不明です。
日本人は元々死んだら極楽浄土へ行く、または魂が故郷の子孫を見守る、そういう思想がありました。
これらは全く別の考えですが、日本人の中では長く共存していたのです。
この日本人の精神性の高さを、他でもない聖フランシスコ・ザビエルが記録しています。
日本の中で、唯一の神と復活を唱えるキリスト教を理解させるには、私達は努力不足だったのでは。そう反省します』
いえいえそれ以前に侵略の道具にした時点で3アウトゲームセットですよ、と私は心の中で突っ込んだ。
最後に神父様は使徒行録1章を英語で朗読して下さり、一行は神父様に深く礼を言って仮聖堂を後にした。
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帰りの車内で、メアリ伯爵夫人が私に言った。
『日曜じゃないから御ミサに授かれなかったのは残念だけど、神父様の祝福は受けれられたわ。
ありがとうね、ミスツカサン』
ほめられた、嬉しい。
『それにしてもどっちの姿で完成するのかしらね』
そればっかりはねえ。
『神の家で祈りを捧げる信徒の納得する方で。私にはそれしか申し上げられません』
それ以上言い様がない。
『貴方は随分悟った様に言うのね』
メアリ夫人は笑顔で言う。が、目が笑ってない気がする。
『でも、ずっと神の家、という言い方をするのは良い事よ。
地上を旅する貴方教会、も祈祷文の通り。
貴方はクリスチャンじゃないでしょ?ご家族の誰かがクリスチャン?』
『え…知り合いが~』
時サンの事は誤魔化した。
ジェフ伯とジョン卿がニヤニヤしてる。バレテーラ。
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※山口のザ…もといサビエル記念聖堂は1992年の失火(一説には落雷とも。当時の目撃者がなかったため特定されていない?)の後1998年に完全な新設計で再興されています。
唯余りに前衛的な物であったため寄付者からの抗議や一部信徒や市民からの抵抗はあった様ですが、直接これを記録したものはネット上では個人ブログ以外ありませんでした。
音響効果や祭壇と信徒の距離等は、ミサ中の信徒の集中度、集中対象、集中時間等を計測して設計に反映させたみたいで、劇場型聖堂は合理的ではあるのですが。
仮に私が信徒でも「家が気に食わねえから信仰捨てる」なんて言ったら本末転倒ですしね。
でも東京カテドラルにしても小学生の時「なんじゃこりゃ?」と思いましたし、イグナチオがバリブルーン出て来そうな円筒になった時は愕然としました。
新旧聖堂の写真は下記の通りです。
https://xn--n8ja1ax8hx09vzyhxtan6s.club/2019/09/13/yamaguchi-sabieru/
※今では「サ」ビエルだそうですが、もっと正しく言ったら「ハ」ビエル。
誰かの幼児洗礼の守護聖人欄には「ザベリオ」なんて書いてありました、誰だか知らんけど。
こんなのは日本語表記の揺れの範囲内ですね。
※因みに、幕末に築かれた山口城はジェフ伯の判断でスルーとなりました。
山口氏には、旧県庁の堂々とした建物の他、五重塔を持つ瑠璃光寺等の見所もありますので、訪れた方は是非。
もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。