144.ガイド岩国城 ダブル南蛮天守支城
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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これ、事前に雅姐姐と各地の基地が連絡し合ってるのかな?
単に尼崎での一件が広まって各地で似た様な動きが出ているって事?
今度は日本空軍のランチが岩国沖まで送迎に来て、リムジンで錦帯橋前まで送ってくれた。
『これは、あの男の差し金かな?』
『いえ、単純に伯爵への歓迎の意ではないでしょうか?』スットボケー。
昨晩の話を聞いて、共産虐殺から難民を救助した謎の英雄、という話を知った。
ジェフ伯の辞表は受理されず、その替り英雄的行為は公的記録から抹消され、救助された難民は自主的に周辺国へ脱出した事にされた。
しかしその実態は日本から船団を率いたとある財閥の御曹司、実はあの女海賊のパトロン?と共に密かに噂レベルで流布し、知られざる偉人として尊敬されている。
その上、元海将で伯爵、更にアジアにもネットワークを持つ海運会社会長やIT企業の長と、日本文化に特化した豪華メガヨット旅行。
だから歴史の裏事情を知っている日本の軍人が色々ジェフ伯一行を歓迎したがるのも、自然だよねー。
…ところで「財閥の御曹司」以外なんか私の知ってる人じゃね?!世間って狭いねえ。
じゃなくて。私何やってんだー?!スゲー人達と係ってない?
待て!慌てるな!これは時サンの計略だ!
…気にするの止め。あー錦帯橋だー。ここから天守見えたら壮観なのになー。
見えても小さいかな?
木を伐採した山頂部、遠く見える石垣や白く伸びる壁、そして点の様な櫓を見ながらそう思う。
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一行は。急勾配にアワアワ言いながら錦帯橋を渡り、「御土居」に入る。
東南に桝形の櫓門を構え、外郭左右の端に二層の櫓を構える。
岩国城の山麓を守る立派な曲輪である、けど。
この一画の名前は「御土居」。ほぼ陣屋扱いだ。
『岩国城は、戦国末期の諸大名の不幸を象徴する城です。
かつて西日本を制覇し、織田・豊臣政権に従い、広島城を居城とした毛利家。
この城はその家臣、吉川広家によって17世紀初頭に築かれました。
しかし毛利家は昨日説明した通り、徳川幕府により萩へ追放されます。
幕府と毛利家の間で調停を行った吉川広家は、毛利家から裏切り者と逆恨みされたのです』
『毛利はミリオン・ゴクからクォーターに削り取られたのだったね』
ジョン卿、詳しい。
『吉川家は岩国城を7年で完成させ、独立した藩となったのですが、毛利はこれを支城に過ぎないと訴えました。
そして徳川もこの忠誠心ある部下を危険と看做し、岩国城の山頂部を接収し、山麓部分を『御土居』として藩庁に認めました。
徳川の計略で愚かな主は忠臣を失い、忠臣は城を失ったのです』
『パワーゲームはこっちもそっちも恐ろしいねえ』
昨晩のプレゼンで自信を持ったのか、アラン君が会話に参加して来る。いいね!
『しかし錦帯橋の建設と維持、再建に象徴される吉川家の統治は岩国の領民に愛され、今でも吉川家の城として市民から愛されています』
そしてロープウェイで山上へ。
『この川を船で遡る事は出来ないのか?!』
『無理ですよキャプテン!』
途中何段も堰があるし、ボートでそれを遡るのは無理ですって。
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ロープウェイは城の南東、切通しと呼ばれる空堀の手前まで伸びている。
その向こうは二之丸南端の、二つの黒い二層櫓が並んで城に向かう者を威圧する。。
その南側にある大手門は城下を見下ろす櫓門で、二之丸の入口だ。その右手が高麗門で仕切られた本丸下。
そして出迎えるこれまた黒い三層櫓の脇に本丸正門の櫓門が立ちはだかる。
三層の本丸隅櫓の奥には二層の東櫓櫓が控え、更に本丸北に連なる北の丸入口、御本門を護る二層櫓も見える。
山城にしては厳重で大した威容だけど、本丸を護るものじゃないよね。
『昨日の亀居城の方が余程殺意を感じるね』
とは縄張を見下ろす鳥観図が大好きなジョン卿。
『本丸入口は確かに堅固だがあのUターンキリングゾーンの様な殺意は感じないね』
そして本丸に入ると…
『これは面白いわね』『見たこと無い格好だ』
出来立てカップルが仲良く声を合わせる、チッ。
そう。岩国城天守のヘンテコな「南蛮造り」。
下見板張りの一層、二層。その上に乗る三層、更に三層上部が下部の上に張り出し、その中央に華頭窓を設けている。そこまでが巨大な下部の櫓。
その上に乗る四層目の望楼が、これも上部が下部より張り出した姿。
左右に多門櫓を従え、左手南方に二層の兼重櫓を付属させている。
『ここまで面白い天守はあれだ!…四国の、高松城だ』
『その通りです。
九州の小倉城に始まったと言われる、最上層の望楼を雨戸で囲い、そのため下の階より大きく張り出した、スペインの城のタワーの様な姿を『南蛮造り』と呼びます。
高松城天守は初層が天守台から張り出し最上層を南蛮造りにして変化に富んだ意匠を演出しています。
この岩国城は、途中の層と最上層で二重の南蛮造りを重ねた、高松城天守に勝るとも劣らない、凝りに凝った意匠の天守です』
『色々な城で色々な建物が工夫されているものね』
『日本全国築城ラッシュでしたので、個性で勝負する者もありました。
最終的に、システマチックな層塔式天守に集約されていきますが』
メアリ夫人の感想に答えた。
『そして最後は四角いビルになってしまうのね。文明が進化し過ぎるのも面白くないものね』
それは日本も同じです。丹下健三とか黒川紀章を除けば。
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中に入ると、思いっきり廊下が歪んでる。
天守台が台形、二層に繋がる内部が長方形になっている。
『この辺は、岡山城天守程じゃないけど同じ事情なんだな』
『はい。苦労の跡が伺えます』
最上層、壁に納められた内縁から眺望を楽しむ。
天守から眺める西側は山陽道。眼下に搦手の曲輪と櫓、兵の番所が見える。
本丸と合わせて三段の固い構えだ。
東側は…海を背に空軍機が離発着訓練してる。
広島と言いここと言い、戦国から今まで400年、国を守る土地なんだなあ。
『ここはヘンな奴には宿泊されられないな!』
『国防丸見えですからね』
とジェフ伯に応えると、お?
最新式の、プロペラが上向きから前向きに変わる変形飛行機ナントカジャイロってのが離陸したよ?左右に丸い筒が付いてるのがポイントかな?
あ、本丸に見慣れた一行が入って来た。二人ダッシュで場所を探してスケッチし出した。
ヤッホー、私だよー。気付いてくれたみたい。
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そして西側、搦手へ。休憩所で缶コーヒーを飲んで天守を見上げると、やっぱスゴいインパクトあるなあ。
『この城を幕府に盗られてしまったキッカワは、悔しかっただろうか。安心しただろうか』
『戦国末期の豊臣政権は、安定した国を目指して徳川への交代を行っていました。
吉川広家もそれを理解して、主人である毛利家を守ったのでしょう。
もしかしたら、主人の存続を確認して安心したのかも知れませんね』
歴史の彼方の人の、本当の気持ちなど解らないけど。
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※劇中にもある通り、日本で最も奇妙でカッコイイ外見の天守を持つ岩国城。そして忠臣吉川広家の悲劇と更に錦帯橋がセットになって戦国絵巻を楽しめる観光地ですが、意外と城の構造の資料は少なく、本丸周辺の櫓や門については例によって余湖さん様の復元図以外ありませんでした。
平成に入って発掘調査や石垣の復元が進められ、櫓配置や本丸正門等が現在の想定復元図と違っている部分はありますが、この創作パワーにはホントに頭下がります。
http://yogokun.my.coocan.jp/iwakuni.htm
平面縄張図はこちら。
https://www.hb.pei.jp/shiro/suo/iwakuni-jyo/m_nawabarizu.jpg
※個性的過ぎる岩国城天守、錦帯橋とセットの観光資源とするために、本来の城の防衛線である西側から移動して城下から見える東側に復元されています。本来の天守台も復元されていますので、訪問の際にはしっかり見ておきたいものです。
四重目の華頭窓は絵図に記載がないので正確な復元かは解りませんが、重要なオシャレポイントだと思います。
※7年をかけて完成した岩国城、劇中では他の支城同様幕府の出張所にされてしまいましたが、実際は破却されています。
上記の縄張図の通り、本来の防御区画は西側、山陽道を向いていたため、西側が相当破壊されています。
もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。