138.ガイド広島城1 山陽の牙城
本日は夜間不在のため早めのUPとなります。悪しからず。
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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人生初の告白がロマンの欠片も無い物だった事に凹んでる間に夜は明けた。
あれ?凹んだ割にグッスリ寝たなあ。まいいや。
『おはようごさいますキャプテンジェフ!』
『お、おうミスツカサン。昨夜は、その』
『ご心配をおかけしました。豪華なベッドでよく寝られました』
ま、犬にかまれそうになった程度に思っておこう。
あ、サンドラも来た。
『無理してない?ツカサン?』
『ありがとねサンドラ。あ、おはようございますミスタアラン』
『あ、お、おはよう』
まあ、昨日の今日だし仕方ない。
『やはり君は凄いな。尊敬すべきレディだ』
『皆様には旅を楽しんで頂く。これが私の務めです。
気分を切り替えていきましょう!』
『有難うミスツカサン。わかったか?アラン!』
船室から起きてきたアラン君も、昨日の一転して頭を下げた。
『わかりました、伯爵。昨夜の非礼をお詫びします、ミストキオ』
『許します。それと』
お?アラン君一々ビビらんでくれるかな?
『ツカサンでいいですよ?』
あ、逃げた。
と思ったらサンドラに捕まって席についた。
あんたにゃ勿体ない良い娘なんだから大事にしなさいよ?
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「おや?軍艦だ」
ホワイトキャッスル号に、旭日旗を掲げたボートが接舷した。
海軍さんがタラップを登ってくる。
『呉鎮守府所属、海軍大尉如月渚!元HM海軍少将ピーコック伯爵ジェフ・ジョア閣下をお迎えに上がりました!』
あ、ウェーブ(女性軍人)さんだ。
『ご苦労』
…もうこれ国家行事になってない?
あ、ジョン卿も敬礼してる。夫人たちも深く礼を捧げている。
いや前の徐姉妹の時もあちこちのお城のもてなしがフツーじゃなかったの変だなって思ってたけど、とうとう海軍さんが来ちゃったよ!
『当方の勝手な申し出を受け入れて頂き、感謝します』
『こっちこそ、多忙な中余計な手間をとらせて済まない』
あー。打診があって、ジェフ伯は承知したのね。知らねーよそんな遣り取り!
お?ウェーブが私に向かってきた。
「『案内士になろう!』社の案内士さん、時尾司さんですね?」
「はっはいい!」うわ!女性ながら鍛え上げられたイケメンって感じ!
「御社から連絡は行って居ると思いますが、ここと広島城の往復は海軍が責任を持ってご案内します」
聞いてないよー!許さんぞヤーティンっっ!
「皆さまの行動に支障をきたす事が無い様充分に注意しますので、移動以外は予定通りでお願いします」
「はっはい!こちらこそ不束者ですが!宜しくお願いしますっ!!」
何だよ不束者って!
あ、ちょっと噴いた!恥ずかしいーっ!
「では、閣下ご一行の案内を宜しくお願いします」
笑顔で敬礼された!
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一行は海軍のボート、ランチって言うのか?に乗って太田川、いや今では水害防止のための巨大な分水路が西側に出来て、市内を流れるのは旧太田川なんだけど、それを北上する。
ボートは背が低い。市内の橋が船を通す事を考えてないからだな。
T字型の特徴ある相生橋を通った先が広島城だ。
そしてここは。
橋の北にある西の丸には、川岸に12棟もの同じ作りの二層櫓がカーブを描いて並んでいる。
『広島城には何回か来たが、これは壮観だ。日本の城には違った角度にも魅力がある!』
興奮するジェフ伯一行。
その内側にはマンション街がチラっと見えるが、風景に配慮してか奥まって建っている。
この西の丸の一番西側に張り出した部分に門がある。
『広島城にも水門はあるのかね?』
『『は』』あ、如月大尉と被った。
ジェフ伯は私に質問したみたいなので、大尉が私に言葉を譲る。
『はい、ここにある腕木門が急太田川への出口でした。
ここから入れば西の丸、そして本丸を東西南の三方を護る三之丸に入ります。
この二重櫓は一時荒廃し解体も検討されましたが、広島の水辺の景色を護るため市民と海軍の献金で維持されたものです、そうですね?如月大尉?』
イケメン女子の大尉に言葉を渡す。
『御評価頂き恐縮です。広島城は呉の軍人にとっても誇りです』
うん、言葉のリレーは上手くバトンパス出来た。
『貴方達に敬意を表する』
ジェフ卿のお褒めの言葉も頂けたし!
海軍のランチは腕木門に接舷し、一行を降ろした…ら!
門の向こうにリムジンがー!そして軍楽隊がー!
さらにその外側にも群衆が!更にマンション?団地の窓から多くの人が見守ってるし!
『アジアの恩人たる海の先輩に対し、歓迎の意を表したく用意しました』
如月大尉が案内する。
『退役した老人に対するご配慮、感謝します』
これに答えたジェフ伯が敬礼を交わすと、演奏が始まった!
『統べよブリタニア、海を統べよ、兄弟は奴隷とならない!』
海軍軍歌にして愛国歌でもあるルール・ブリタニアが演奏された。
先に樫の心が下津井の小学生に演奏されちゃったので別の曲にしたんだな?
一行はリムジンに迎えられ、西の丸を後にした。
車内からも聞こえる歓声に、只のガイドである私はもの凄い場違い感を受ける。
リムジンは三之丸南面、二層櫓と平櫓が交互に並ぶ中堀を眺め、中央の南御門の櫓門を超え、本丸南の馬出である二之丸の入口、表御門前で下車した。
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皆が下車したのでガイド開始だ。
『近代から現在に至って陸海軍の要衝となる軍都広島、既に軍事基地としての機能は失っていても心の象徴として広島城は愛し続けられています。
16世紀中ごろに山陰山陽を支配した毛利元就の孫、毛利輝元が16世紀末に太田川の中州に築いたのが始まりです。
平面構成を京の聚楽第に倣い築きました』
道中、私は立ち止まって案内する。
南御門から本丸南面の馬出になっている小さな二之丸を曲がって大規模な中御門の櫓門へ。
『その後福島正則が改修、その際幕府に無断で強化したとの理由で追放され、徳川家の部下浅野家が広島を領有する事になりました。以後200年、浅野家は火災や水害から広島城と広島の町を護り、明治に陸軍に城を引き継ぎました』
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本丸は上下二段になっていて、石垣に固められた本丸上段の、桝形状の冠木門を入る。
その先には巨大な唐破風、本丸御殿玄関があった。
同行する如月大尉が目で「ここから私が」という感じで挨拶した。
『ピーコック伯爵、本丸御殿でお寛ぎ下さい。案内します』
如月大尉が先導する。
本丸大広間は、徳川や豊臣の城に匹敵する豪華さだった。
金の障壁画に黒漆塗りの柱に梁、そして格天井。要所を絞める金細工の金具。
『この奥に、かつて日露開戦寸前となった際明治天皇陛下が鎮座遊ばされました大本営があります。
外交努力により日露開戦は避けられましたが、天皇陛下をお迎えしたこの地にとって忘れ得ない栄誉となっています』
軍人さんが言うと、私なんかより言葉が重いなあ…
『キャプテン如月。あなたは日本とロシアが戦うべきだったと思わないかね?』
何聞いてんですか伯爵!
『思いません。戦えば勝っても負けても日本は異常事態に陥りました』
即答したよイケメン女子のキャプテン!
『何故そう思うかな?』
『ロシアと戦争になれば、国力に差がある日本には大打撃となります。
負ければ日本の土地の一部を失います。その場合は戦わないという選択肢は無かったと思います。
しかし勝っても革命直前のロマノフ王朝には賠償金も払わないでしょう。戦い損です。
そのため、日本は極力戦いを避け、アメリカのユダヤ資本と協力してロシアを恫喝するだけにしたのです』
『恫喝だけかな?』
ジェフ伯の意地悪な質問には如月大尉は応えない。
シベリア鉄道へ直接的間接的なサボタージュを繰り返し、極東派兵を不可能にしたとか。
ロシア革命を煽り、周辺国との抗争に力を分散させた、ロシア海軍内で衝突事故が多発したとか噂では聞きますけどね。
『有難う』
あっさりジェフ伯は質問を切り上げた。
その時私は妙な違和感を感じた。
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※中国の覇者毛利家の巨城、広島城の復元CGは下記の通りです。
https://8787pc.com/%E4%B8%AD%E3%83%BB%E5%9B%9B%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%9F%8E.html
※現在では中心部の本丸と、その南馬出である二之丸だけが残っていますが、この物語では全域の堀と石垣が残り、三之丸と西側外曲輪(西の丸とも「大手」とも言う)の旧太田川沿いの櫓群が残されている様です。
なお、三之丸以下の塁線は、櫓台は石垣、白壁部分は石垣ではなく土塁だった模様です。
この独特な防塁は正保城絵図の他各種の絵図、そして尾張藩主徳川慶勝が長州征伐の際撮影した写真でその姿が記録されています。
※この物語では存続している櫓群ですが、実際は修築等が厖大な金食い虫なので明治に速攻で破却されています。豪壮な本丸御殿は鎮守府が設置された後明治6年に失火で焼失しています。
もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。