136.ガイド三原城 海の城に船が行く
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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福山、鞆を後にしたホワイトキャッスル号は尾道水道を通過した。
尾道大橋を潜り、離島と街を繋ぐ数多くのフェリーを横目に船は進む。
ブリッジで舵を取るキャプテンジェフはゴキゲンだ。
『海の町だな。日本では人気があるそうだか中々尋ねる事がなくてな』
と、尾道を横目に通過する。対岸は造船所がひしめいている。
インフル君が両舷に括り付けたカメラで撮影して一人で興奮してる。
尾道って映画とかでもロケ地になったり有名だしね、そっち方面の人には。
『お!あれかな?見えて来たぞ?』
船乗りさんは目が良いなあ、遥か遠くに海に突き出した下見板張りの二層櫓が見えた。
その足元には無数の船が。中にはホワイトキャッスル号と同じくらいの船も見える。
船は三原の中心地目指して進む。
『ほお!天守は無いと聞いたが、中々な眺めだな!これは感動だ!』
キャプテン、ゴキゲン!
三原港手前、城の二之丸南面、海に面した石垣には5つの二層櫓が整然と並ぶ。
その奥、三原港のすぐ後ろにも、三基の二層櫓が行列し、長い白壁と荘厳な石垣がこちらを向いている。
この「海に面して」って部分がキャプテンにとって重要なポイントなんだろうなあ。
『素晴らしいな。やはり日本の城は櫓の行列こそ素晴らしい!
ヨーロッパには無い美しさがある!』
ジョン卿もアゲアゲである。
『今回は港ではなく、二之丸東の内堀、あの一番手前にある船入櫓の奥にある船入に停泊許可を取っています。二之丸東門のすぐ外になります』
『よし!城に乗り付けるぞ!』
船は二之丸南面でUターンし、三之丸東側の外曲輪に頭を突っ込んだ。
そこから逆進して北上、堀の奥にある舟入の階段に向かう。
船入櫓のある二之丸突端部の倍の長さのホワイトキャッスルが、見事に二之丸東を逆進する。
キャプテンの表情は真剣そのもの。
もしかしたら、あの凄く狭い尼崎城に乗り付ける時はもっと厳しかったのではないだろうか?
対岸、三之丸の塁上に人だかりが出来ている。
おお、舟入に接舷したら、歓声が沸き起こった!
『どうだい!これ位できないと英国海軍は務まらないぞ!わかったかジョン!』
『サー!私は通信兵であります!』
『じゃあ日本の人々にそう伝えてくれ!帝国海軍には負けないぞってな!』
『イェッサー!』
二人とも噴き出す寸前で会話してる。軍人ジョーク、なのかな?
メアリ伯爵夫人はそんなキャプテンをウットリ見つめていた。
いい夫婦だなあ…。
サム子爵夫妻も少しの笑いと、親愛の情を込めてキャプテンを見ている。
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一行は櫓門である二之丸東門から二之丸へ。
本丸東面にも4基の二層櫓が並ぶ。
『三原城を最初に築いたのは、山陽道の覇者毛利元就の子である小早川隆景です。
しかし現在の姿に拡張したのは、先の鞆城を築いた福島正則です。
豊臣秀吉の愛弟子でもある正則は卓越した築城技術で海に面した難工事を完成させました。
その後彼は徳川幕府に追放され、三原城は広島の支城として浅野家が支配しました』
『ここでも追放劇ね…』
メアリ伯爵夫人が眉を顰める。
『どこの国にでもある事さ』
と夫人を慰めるキャプテン。
流石イケオジだ。オジサンじゃなくてオジいサンだけどカッコイイ。
そしてその先、塁線の中央にある高麗門…には向かわず、本丸南面へ。
二之丸は市庁舎…例によって明治の香り漂う偽洋風建築と、それを拡大し中身はバリバリにコンピューターに守られた新偽洋風建築が並び建っている。
『迎えの軍はないが、軍人は正門から進む物だ。ま、相手が余程の大物でない限りな』
退役軍人ながら現役だったころの血が滾るんだろうか。
左右二基の二層櫓に守られた本丸大手の櫓門を潜った先に、三原城本丸御殿の建築群が並んでいた。
一行は職員に案内され、大広間へ。
『この本丸御殿は、福島正則が京の聚楽第を参考に築いたと言われ、書院造りの初期の手法を残しています』
どの辺が、と言われるとアレですが、かつて御殿建築には「中門」と言われる張り出しがあったけど、この御殿にはその構造をにおわせる何かがあるとか。
難しいなあ。こっから先は建築史の博士号の世界だよ!
『その、ショインヅクリという宮殿の完成形が、江戸城なのかな?』
ジョン卿が鋭くも専門的な質問をブッ込んで来るし!
『はい。江戸、大坂、二条、名古屋の本丸御殿が完成形と言えます』
『徳川か。豊臣の時代にはそこまで完成していなかったのかな?』
『いえ、豊臣家の大型御殿を整理し体系化したのが徳川の御殿ではないかと。
九州の日出に、豊臣最大の大坂城本丸御殿、千畳敷が移築されています。
規模は大きいですが、格式や儀礼の進行を考えると、徳川の方が洗練されています』
『日出城か!サー、私はこの旅の後に行ってきますよ!』
ジョン卿が子供みたいに言う。
『駄目だ!俺も行くぞ!』
更に子供みたいに答える伯爵に、一同が笑った。
『千畳敷であればこの後厳島神社に行きます。そこで豊臣の流儀を感じる事が出来るでしょう』
あ、私テキトーな事言った。皆さまの期待に満ちた視線が痛い。
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本丸北端、「天守台」と呼ばれる一角には何もない。
いや、多門櫓で繋がれた二層櫓が5基。その一つに登る。
『綺麗な駅ね、この城に天守が無い分頑張ったのかしら?』
ルネサンス様式の、この天守台に向き合う国鉄三原駅を眺めてメアリ伯爵夫人は言う。
これ、皮肉交じりに言っているのかな?
『一時期西日本海軍の司令部を設置する計画があり、それに地元が答えた為です。
結局城の南を流れる沼田川の氾濫を恐れ、広島に設置される事となりました』
『そう…』
海軍軍人の夫人としてはそれ以上言えないでしょう。
『貴方はどんな質問にも答えられるのね』
『ええ…厳しい教師に鍛えられましたので』
ここは時サンに感謝しよう。
城の北は新幹線が高速で通過し、在来線も行き交い、その北には国道バイパスも行き交っている。
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二之丸の西側、中門を出て本丸北端の「天守台」と呼ばれつつ天守の存在しない一郭を外から眺める。
二層櫓が多門櫓で連結され、威容を誇る。
『やっぱり天守が無いのが残念だ』
キャプテンが呟く。
『鞆城の存在が家康にバレて福島正則が破壊しようとした時、あの天守だけでもこの地に移築する計画がありました。
しかし鞆城が幕府直轄となって、来る筈の天守が無いまま今に至っています』
『新しく建てればよかったのでは?』
『恐らくその時点で福島家は追放でしょう』
『成程。この城に立派な天守が無いのは惜しい話だ』
『無念もまた歴史の一部です、天守が無いのも、海軍司令部が来なかったのも』
『そうか』
『そのお蔭か解りませんが、今でも城は海に接しています。
司令部が出来た巨大都市だったら、埋め立てられていたかも知れません。
それだけでも価値があるのではないでしょうか?』
『そうだな。よし、出航しよう!』
『イェッサー、キャプテン!』
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船入の人だかりは退いていたが、海軍所縁の人達が日章旗と白地に赤十字、その左上にユニオンジャックをあしらったホワイト・エンサインを両手に持って並んでいた。
地元のバンドのお仲間だろうか?私服のバンドさん数人が並んでいた。
一行が船に乗ると、下津井同様「樫の心」が演奏された。
船が動き出すと、万歳三唱が群衆から沸き起こった。
演奏が見送る中、船入から細い堀をホワイトキャッスル号は見事にバックですり抜け、瀬戸内海へ向けて広島へ向かった。
『やはり海に面した城はいい!』
満足そうにクルーと操船を交代し、シャンパンを飲み干したキャプテンジェフだった。
その笑顔に一同は思わずつられて笑ってしまった。
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※今では市街に埋没し、それでも立派な石垣を残す天守台は新幹線の駅の足元。というか足の下。
駅から徒歩0秒で極一部有名な三原城ですが。
この世界では二之丸南面も埋め立てられておらず、三原港は城の西側、中門外の曲輪の南側、現実の三原港の右隣の石垣下を埋め立てて設けられています。
また明治年間に城の南方に出来た埋め立て地もこの物語では存在せず、テイジン三原工場も今より西寄りに市がずれて現代日本の発展に貢献した模様です。
※三原城の天守。一般的には上げられなかったと言われいていますが、一節では鞆城廃城の後三層の天守が移築されたという記録もあるみたいです。
この物語では鞆城が廃城になってないというのもありますが、「天守が無くても凄い海城」として三原城を讃えたいので、天守はナシの方向で。
※三原駅も現実と異なり、江戸時代に城の北側に設けられています。
ルネサンス式云々の駅舎は架空の物ですが、海軍司令部=鎮守府招致の話は実際にありました。
理由は劇中の通りです。
もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。