129.ガイド岡山城1 黒い天守と白い櫓
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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忠臣蔵で有名な赤穂城からジェフ伯一行はボートで出発。
私は迎えに来てくれた時サンに拾われ山陽高速で次なる案内地、岡山城へ。
「いや~、吉良が悪で大石がヒーローじゃないって感覚、解らないなー」
「海外に忠臣蔵が紹介されたのはあくまで『復讐』という観点だったからねえ。
主君への忠誠心とか、幕府の処置への抵抗、そして戦国終焉による軍人精神の最後の発露。
そんな文脈で忠臣蔵を紹介する程、当時のヨーロッパには日本に対する理解はなかったんだ」
ほえ~。時サンは流石当時を知ってるだけあるなあ。
「そうそう司ン、今更なんだけどイギリスの貴族の呼び方だけど、しっかりできてる?」
「えーと、ジェフさんにはキャプテン、他の男性陣にはサーを付けてますけど」
「駄目よそれ」「え?」
「伯爵や子爵には爵位号を付けるのよ。ああ…最初に教えるべきだった。ゴメンね」
「あー。皆さまにはお詫びして訂正します」
やっちまったかー!貴族向けの称号って調べたんだけど、いい答えが出てこなかったのよ。
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岡山城。待ち合わせ場所は、天守のすぐ裏、本丸の水手門だ。
あー。旭川を延々と北上してくるホワイトキャッスル号。
何だか人だかりが出来てるぞ?
もしかして尼崎や赤穂の、城とメガヨットの写真が出回って追っかけが出来た?
ウワー!大変だー!待て待て落ち着け私!
『ハーイ!ミスツカサン!久しぶりだな!』
メガヨットのタラップを降りて来る一行に、群がる群衆はカメラや携帯を向けた。
『ハーイ!キャプテンジェフ!3時間振りです!』
『ワッハッハ!ツカサンもジョークが上手くなったね!』
おお、ウケた。
続いてメアリ伯爵夫人が降りてきた。
『今度のキープ(天守)は黒いわねえ』
『はい、下見板張りという壁の工法です。姫路城は白亜塗籠と言います』
『何だか不思議な形ね。船から見たら細かったのに、今は凄く大きく見えるわ?
それに何だか膨らんでいる様にも見えるし』
『後程、中から説明しますよ』
サム子爵もジョン卿も続いて降りてきた。
人だかりに笑顔で挨拶して城内へ。
貴族の皆さんはこういう群衆の歓迎にられていらっしゃるのだろうかな?
何か私だけ場違いみたいでヤだなあ。
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水手門から天守は直ぐ目の前だ。
『この黒い天守を持つ岡山城は、この地を治める16世紀末に、豊臣秀吉の部下宇喜多秀家が山陽支配のため築きました。
近世城郭発展期の古い特徴を持つ本丸を中心に、旭川を背に南北に長い敷地を持ちます』
『何で天守が黒いの?』
『白い天守は、漆喰の技術が発展し、崩れにくくなった新時代の技法です。京の聚楽第、伏見城、九州の名護屋城等豊臣家の最盛期に発展した技法で、それ以前は雨や風を避けるため木材で壁の下半分を覆っていました。
木材を守るため漆や柿渋を塗ったため黒くなりました。
白亜の姫路城が白鷺城と呼ばれ、対照的に黒い岡山城は烏城と呼ばれています』
『鷺と烏かあ~、詩的ね!』サンドラ嬢がウットリしてる。
『では内堀をぐるっとまわって本丸を見ましょう』
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『外側の石垣が低くて、内側が高いねえ』
『川沿いの地盤が弱い土地なので、一段低い部分を作り、その上に高い中の段、更に高い本段と三段構えで作り、圧力を分散しています。
この三段の構造も築城技術の発展期の特徴です。技術が上がった17世紀であれば、一段で高い石垣で本丸が築けるのです。
この三段の景色は、今は地面に埋められた豊臣家の大坂城を偲ばせる様な景色です』
岡山城の本丸は外側も内側も櫓や多聞で固められている。
そして圧巻なのは本丸入口、太鼓櫓とそれに接続する内下馬門と、その奥の高石垣に乗る大納戸櫓だ。
『この内下馬門と太鼓櫓は二層の多聞櫓で結ばれ、内部に侵入してもその奥にある大納戸櫓から攻撃を受ける、非常に厳重な構造です』
『随分大きな櫓だな』『小さい城の天守みたい』
『メアリ夫人、正解です!この櫓は宇喜多秀家が生まれた沼城を、新しく築く岡山城に移転する時に移築された元天守なのです』
『石材を解体して移築するのも大変だが、木材だとそれも容易なのかもなあ』
感心する一同、特にジョン卿。
高石垣の塁上に多門櫓で繋がれた白亜の二層櫓二基が連なる。
『あら、こっちは白いのね』
『この本丸は17世紀になって御殿が狭くなり、この部分は拡張工事で新しく増設されたのです。
そのため櫓も新しい白亜塗籠で築かれ、同じ城に新旧の洋式が混在する面白い姿になったのです。外側の櫓も新旧が混在しています』
『成程、さっき堀の外側を廻っている時変だと思ったよ』
『本丸の入口はこちら鉄門です。その奥にある三階櫓とも白い壁の新しい様式になっています』』
一同は東へ続く本丸上段を眺めつつ、本丸奥へ。
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かつて石垣上までギッチギチに建て連なっていた本丸表向き御殿も、大奥等の居住部が間引かれている。
その大広間で障壁画を鑑賞し、上段へ繋がる廊下橋を経て本丸上段、天守へ。
『この天守は住居としても作られています。天守に繋がるこの「塩蔵」もキッチンと食糧庫の機能を持っていました。
天守に入るにはここを通る必要があります』
そして塩蔵二階、重い土蔵の様な扉を潜れば、天守1階だ。
『オー。廊下の真ん中が外に膨らんでいるぞ?』
『その通りです!最初にメアリ伯爵夫人が感じられた疑問の答えが、この歪な廊下です』
『何故?』メアリ伯夫人が不思議そうに聞く。
『古い天守は、石垣を直角に建てられず、自然の地形や土台に影響され歪んだ不等辺四角形や五角形になりました。
そのため、建物の外枠は石垣の形に沿って建て、その内部を直角の四角形に作ります。
二階の外枠を直角の四角形に作り、一階の歪みを軒の屋根で吸収し、二階から上を整った形にするのです。
一階の庇はそのため斜めになって二階に斜めに食い込んだりしています。
岡山城天守はその歪みや斜線を隠すため、唐破風を乗せた出窓を置いてアクセントにしています。棟梁苦心のデザインがこの天守に花を添えているかの様です。
そしてこの天守は、土台が細長い長方形の一部が張り出た五角形なので、東西から見たら細く、南北から見たら幅広く、川から見たら角度によって見える感じが微妙に違ってくるのです』
『まあ…不思議な建物ね!』あ、伯爵夫人、嬉しそう。ちょっと笑ってる。
『成程、土木技術の不足を上に乗る建物の技術やデザインでフォローする、か。面白い話だ』
それから皆さん、歪な廊下とその屋根をじっくり眺めた。
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※冒頭の忠臣蔵について、現実では桜田門外の変を水戸藩士の仇討ちと看做し、その類例として忠臣蔵を引き合いに出した事により、現在でも欧米では忠臣蔵を忠誠心や幕府への抗議ではなく、単純な報復テロとしてとらえられている様です。
※下見板張りは単純に古い、というだけではありません。
降雨量の多い土地だと下見板張りの方が壁の耐久性が高い場合もあります。同様に寒冷地だと焼き瓦より石瓦や赤瓦が持ち要ら入れるケースもあります。
※山陽道の黒い牙城、岡山城本丸の往時の姿は下記模型の通りです。
手前が南、上が北で、画面左下が内下馬門と太鼓櫓、その内側が大納戸櫓。中央が三階櫓です。
天守、塩蔵、月見櫓、西の丸西手櫓、石川門以外は明治に破壊され、石川門もアメリカ軍の空襲で焼失しています。
https://kojodan.jp/castle/31/photo/311894.html
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