119.ガイド但馬竹田城 天空の城は黄金の匂い?
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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篠山を発ったバスは北近畿豊岡道で西へ向かい、『天空の城』竹田城へ。
『日本風の城でしたら16世紀末の南蛮征伐の際、台湾にもフィリピンにもいくつか建設されています。
それなら各国とも学術調査されていて、各国で再現する事も可能かと思いますが』
『それが自国の技術では再現できないと言われまして。特に木材同志の相性とか』
道中、美女孫に事業の相談を持ち掛けられた。
つたない英語で何とか返す。
『でしたらそれらの町の友好都市で工業大学のある日本の学校に打診してはどうでしょう?』
『それは考えてもみなかった!』
『もし古建築研究をやっている大学があれば国際事業として歓迎されるかもしれません。
ただ、費用面がどうなるか。
安くなるか逆に高くつくかは企画内容、または相手次第でしょう』
『まずは動いて見ないと。有難うミス時尾!』
何か感謝されたけどそれ位思いつかんかな?
実際郷土の城再現とか研究している地方の大学とか、所によっては高校とかもあるし。
まあ実物を作るのと設計だけするのは全然違うのだろうけど。
等と会話していると国鉄竹田駅前駐車場へ到着。
何と駅からロープウェイが出ていて三之丸まで一直線!
日本の城保存政策のお蔭で大型バスが山道をグリグリ行かないで済むのは有難いものです。
「「「おー!」」」
眼下の城下には桜が五分咲き。
山間な分、名古屋や紀伊半島より咲くのが遅いのかな?
でも一面の桜は綺麗だ。
そして山上、南北に長く続く竹田城が見える。
城の周囲に樹々は無く、石垣とその上に並ぶ下見板張りの二層櫓、壁、城門。
そして中央に聳える三層の天守。
「この間見た高取城とは違った迫力だねえ」
「城の技術が急速に発展している真っ最中の物です。
完成期の高取城と違う荒々しい魅力があると思いますよ」
ロープウェイは大手前、城の北端で止まる。
大手門は二層の着見櫓に見下ろされている。
「竹田城は豊臣政権の一人赤松家によって築かれました。
ここは中世以来国の重要な収入源だった生野銀山の護りとして正に要衝でした。
そのためこれだけの要塞が築かれたのです」
「「「銀!」」」
お?何人かの目の色が変わった!
「日本ってなんだかんだ、金銀多いわよねぇ」
増姐姐、鋭い。
16世紀から17世紀にかけて日本は厖大な銀を南蛮貿易で輸出していたんだって。
それを食い止めたのが…時サンだあ。
「木材資源も凄いよ、それだけじゃない。
治水、灌漑、運河や堤防。おまけに鉄道に鉄製蒸気船と来たもんだ。
どっかの大帝国よりも民衆寄りの大工事を次々とやってたんだよ日本は」
広姐姐もよくご存じで。
「あの昔に世界帝国のスペインやポルトガルと遣り合って勝ったアジア唯一の国だけはあるよねえ」
「チクショー羨ましいなー!」
お。毘姐姐の素直な感想。
「何言ってんだい。他の国もそれぞれ資源はあったさ、でも上に立つ連中が駄目だったんだよ」
「駄目な奴じゃないと上に立てないって呪いもあるしねー」
「はあ。この国を上手く廻してるシステムはやっぱり、天皇陛下かねえ」
そうかも知れない。権威と実権を分離して、世の中から認められない奴が上に立ち続けられない仕組み。
それでも私の知らない世界では世界を相手に負け戦をやらかしたんだけどねえ。
そんな資源を守るこの城。
江戸時代に相当簡略化されたため、南北の千畳敷と言われる曲輪の御殿は城下に移築されお寺の方丈になってるとか。
そして残るのは大手門以下の防御施設と、山上に聳える三層の天守、そして簡素な本丸御殿。
天守台脇の本丸門から昇ると、天守と反対側の櫓から挟み撃ちされる感じで、生きた心地がしない。
その先に小さな本丸御殿の車寄せがある。
「いやー、ホントの砦って感じだね!
あの高取城もよかったけどこっちの方がイザって時気が引き締まる気がするぜ!」
「そのイザって時はもうオシマイの時だろうけどよ!」
毘姐姐に持姐姐が突っ込む。
「でも温泉も無い城は住みたくないわぁ」ある方が異常ですよ増姐姐。
「装飾も簡素。だがそれならではの解放感もあるねえ」
どっかのお家を探訪するタレントみたいな事を言う広姐姐。
天守からの眺望も中々好評。この姉妹とはウマが合う城だったみたいだ。
「でも天空の、って言う程の標高じゃないわねえ」
「それはこの山の麓が雲海に包まれ、円山川を挟んだ反対側の立雲峡から見ると雲上に連なる城に見えるからなんですよ。
秋口から春先まで、最低気温と最高気温の差が激しい日の早朝に起きる現象みたいです」
「「「「へ~」」」」
「岡山県の備中松山城もまた雲海に浮かぶ天空の城として有名です。天守は二層ですがここ同様周囲の櫓や門に囲まれた威容が楽しめます」
「はーそりゃ駄目だ。あたしは朝苦手なんだよねー」
でしょうねえ毘姐姐。
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こうして生野銀山の北の護り、天空の城竹田城を後に、私達は飲んで歌って播但連絡道を南下、最終目的地姫路城に向かった。
「姫路城行ったの何回目だったっけ?」
「なんだかんだ大坂行くとついでに行くからなー」
「もういっかな。それより司ンに話だけ聞いて飲んでたいかもなー」
ガイジン人気No1の姫路城様に何てこというんですか皆さん。
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※天空の城として有名な竹田城の復元図は下記サイトの真ん中あたりに描かれています。
「く」の字型で、中央の窪みの西面に更に曲輪を付け足した感じの縄張ですがこの建築群が標高350mの上に並ぶ姿は盛観だったでしょう。
http://ikeandfamily.web.fc2.com/yumc/photo2/ike_51_takedajyo.htm
※実は竹田城は一時的に建物が建ちならんだ事があります、って有名ですね。
1980年代、あの角川映画が「天と地と」で春日山城と称して備中松山城みたいな天守はじめ壮大な壁、櫓、門をセットとして建設しました。
その時の写真は下記の通りです。スゲエ。
https://www.youtube.com/watch?v=Sthvh9xbNCA
※日本人は三大ナントカが大好きで、竹田城、備中松山城に加え、越前大野城を三代天空の城という向きもあります。
まあ大野城の模擬天守はアレで、元々存在していた天守もコレマタ飛騨高山城と並び称せられる本丸御殿と一体化し「過ぎ」た「これ天守?」ってモノなので、色々微妙です。
高取城とか岩村城は雲海が見られないから「天空」ってイメージが湧かないんでしょうね。
もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。