102.ガイド岐阜城 山麓山頂、二つの天守
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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名古屋から岐阜まで、チョイと早めに。バスから出発したよと連絡を貰った頃には岐阜の町に到着済。
で、織田信長が天下を狙い始めた岐阜城大手門へ。
と、ほぼ同時にバスが大手前駐車場に到着。
そーだろーと思ったぜ。毘姐姐、相当負けず嫌いだな?
『おはようございます皆さま!昨夜はゆっくりお休み頂けましたでしょうか?』
先頭を切って降りてきたちびっ子と、4人の姐姐。
「チキショー!負けねえなあコイツ!」
「面白いお嬢ちゃんだねえ」
「毘秀、またアンタ『負けた』ねえ?」
「何だとォ?」
あ、なんかナイスバディな叔母様が毘姐姐をあおった。
「皆さんに迷惑かけるんじゃないよ、ねえ」
穏やかな物言いと正反対のスゴい圧を掛けるのは、リーダーの持姐姐。
すると後からゾロゾロと、二日酔い状態の皆様が続いて出てきた。
最後は、「恨むぞ司ン…」と凄い面白い顔色のスー。
「それでは天下人織田信長が最初に天下を意識して築いた岐阜城をご案内しま~す!」
友人だった物を肩に纏わせて先導。
安土城同様に豪華な大手門の楼門を進む。
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桝形門、とも言えない鈎の手に曲がった門の前に広がるのは、何段かに折り重なった御殿、その奥に4層の楼閣。
御殿も欄干が朱に塗られたり、楼閣も金細工が施されていたりとまあゴージャスだ。
「シミったれてんなあ!圓山大飯店の方がよっぽど豪華だぞ?」
台無しだあ!現代建築と一緒にすんなやあ!
『岐阜城は』
「司ンー!日本語プリーズだぞ!」
毘姐姐が叫ぶ。
「他の連中どーでもいーから、貴方の言葉でお願いね」
クイーンオブクイーンな持姐姐が、『逆らったら殺す!』みたいなオーラを放って言う。
「では、この岐阜城は、今の名古屋県の領主に過ぎなかった織田信長が岐阜県を併合し、日本統一の王者となる事を意識して築いた城です。
この『当時としては』!、豪壮な御殿。特に、高層の楼閣と山上の天守は、自分の権威を城という形に表した革命的な存在です。
この、城そのものに権威を現すスタイルは日本の城に革命を齎し、信長自身も安土城、大坂城へと発展させ、その大坂城の建設を指揮した豊臣秀吉もそれに倣いました。
昨日見学した名古屋城も、その延長線上にあるものです」
「それにしちゃー、ショボいじゃん?」
「16世紀半ばには、大仏殿の様な巨大建築を、巨大な材木なしで建てる技術が無かったのです。
逆に、わずか50年で普通の材木で巨大建築を実現するまでに、日本の技術は爆発的に進化したのです。
日本人、馬鹿ですねえ」
「ガッハッハー!」「「アハハー、バカー、バカー」」
あ、受けた。毘姐姐とチビッ子に。精神年齢同じ?
「まーがんばった成果はあった様で、ルイス・フロイスはヨーロッパにこの優れた景観を賞賛して報告しています。
後に信長は安土城の詳細な屏風をローマ教皇に献上し、以後日本の城の屏風絵図はヨーロッパで貴族のコレクションとして高額で取引される様になりました」
「そーいやウチらってそれ持って無いよね?」
毘姐姐が珍しく知的な事を言う。
「それを描く人が皆殺されたからよ」「あーそら無理だ」
ナントカ革命の事かな?
スルーだ。
「じゃあ昨日の障壁画?アレ描いた若い子に書かせればいいじゃん!」
「もう手配してるよ」
…やべ。これ日本の若い技術が海外に流出してね?
「日本政府が邪魔しやがってるけど、あたしらの分は確保できそうだよ」
広姐姐ェ…
「それは兎に角。内装は流石だね。てかこっちの方が荒っぽくて好きかもね」
虎とか空想の神獣とかが暴れまくってる、まさに荒ぶる戦国シアター。
そこからの急転直下、落ち着いた4層の山麓天守へ移動。
なんと橋を渡って滝をながめつつの移動だ。
「こちらがルイス・フロイスがローマへ報告した、4層の楼閣です。
京の金閣同様の楼閣で、訪れる人に織田家の実力を見せつけた、と伝わります」
「切った張ったの世界から、茶の湯で心を落ち着ける、かねぇ」
と、黄金の装飾に包まれた最上層で抹茶を楽しむ持姐姐。
切った張ったの世界、この人達にもあったんだろう。
知らんけど。
見下ろす滝の音がなんとも心地よい。
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17世紀に岐阜城が織田家から池田家へ譲られた際、山上の天守は老朽化した部分を改修して今の姿になったとか。
下見板張りの随所に織田家の栄華をしのばせる金具飾りと金瓦が輝く。
最上層が小さく、スラっと上層部へ向かうその姿は小柄な美人の様な天守だ。
山道に入る門の脇に、ロープウェイがあって、一同はそれで天守のある山上の郭へ。
あの毘姐姐は…
「ガッハッハッハ!」
おー走っとる走っとる。
ホント5~60代なんだろか?パワーと言い美貌と言い。
ロープウエイは山上の郭の南端に停まり、そこから細い道を門をくぐりつつ北へ。
途中の石垣は、自然の巨石がむき出しになって整えられていない、まさに山道!って感じ。
時には二層の櫓が行く手を見下ろしたり、結構生きた心地がしない空間だ。
そして日本最古級の天守へ。
「これが織田信長が山麓の天守と合わせて人々を威圧した、城下から見上げる山の上に聳える天守で…」
駆け上がる一同、聞いちゃいねえ。
何せ最上層が3間に2間の狭さ、大混雑だ。
しかし金華山頂から見下ろす長良川の眺望には皆さん満足。
「絶景はいいけどこんなところに行き来するのも大変だねえ」
「山上の郭はムギュ、戦いの時だけ使いムギュ、普段は当番の兵だけしかいませおっぱっぱあ!」
「そらそうでしょうねえ」
などと間の抜けた会話をナイスなバディの叔母さん、増姐姐としてるのだけど、色々大きくて私が華頭窓から押し出されそうだ。危ねぇ危ねぇ。
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「では次は目と鼻の先になりますが、この城から見て駅の向こうっ側にある加納城へ向かいまーす!
発車オーライ!」
私はバスからサっと離れた。
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※画像が荒いですが、近年の歴史雑誌で大活躍の香川元太郎先生の復元図です。
ロープウェイ駅はこの図南端の曲輪とその一つ上の曲輪の間に建っている感じです。
https://rekishi.kagawa5.jp/category/%e5%b2%90%e9%98%9c%e7%9c%8c/
※現在の天守は戦後に名古屋工業大学の城戸久先生の設計で築かれた模擬天守です。
しかしただの模擬という訳ではなく、「加納城に移築された」という伝承のある天守の姿を求め、一度加納城三階櫓から逆考察して復元図を描き、更に建築可能な状態に手直しした、という手の込んだ手法で築かれたのです。
で、これがその逆考察岐阜城天守。どうしてああなった?!
https://plaza.rakuten.co.jp/machi21gifushi/diary/201503100000/
※山麓の四層楼閣も様々な復元案があり、これはその一つです。真ん中あたりにあります。
http://amenomichi.com/nihon/kioka7.html
もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。