8.「ありがとう。私を守ろうとしてくれて」
「うわああぁあぁぁぁ! やめろっ! 近寄ってくるなっ!」
「僕は言ったよね。レイラにもう二度と近寄るなって……」
悲痛な叫び声と、怒りを内包した絶対零度の声。
そんな対照的な喧噪がひしめく空間で、レイラは目を覚ました。身体を起こすと、水に包まれていたはずの制服や髪はもう乾いていて、胸元にかかっていたのだろう上着がばさりと太股の上に落ちた。傷む頭をさすりながら状況を確かめれば、そこはまさに地獄絵図だった。
レイラを守るように背を向けているアルベール。その奥には尻餅をつくピエールたち。
小さく蹲っているのは、マチューと呼ばれていた男子生徒で、彼の片腕は無残にも千切れて地面に転がっていた。ピエールの頭からも血が流れているし、ルイーズと呼ばれていた女生徒は半狂乱になりながら何かをひっかいていた。ルイーズがひっかいている何か。それは黒い壁のようなものだった。それがドーム状になりレイラたちを覆っている。これはきっとアルベールが彼らを逃がさないように施した魔法の一つだろう。もしかしたら目隠しの役割を兼ねているのかもしれない。
(これって……)
何が行われているのか一瞬で理解できたのに、頭がその事実を受け入れることを拒否している。だって、こんな怖いこと、あの、アルベールが――
レイラの脳裏に、嬉しそうに笑うアルベールの顔が浮かぶ。それと同時に彼のモノとは思えないほどの冷たくて低い声が鼓膜を揺らした。
「ダメだよ。ダメだ。絶対にダメだ。何を言われても許してやらない。命乞いをしても助けてやらない。忠告を聞かないお前たちの自業自得だ」
「助けてぇえぇ!」
「だから! わ、悪かったって、言ってるだろ!」
「アル!」
レイラはとっさにアルベールを呼んだ。愛称を使ってしまったのは、夢の内容がまだ頭の中の残っていたからだろうか。レイラの声にアルベールが振り返る。そして「レイラ……」と呟き、大きく目を見開いた。アルベールはレイラの元へ歩み寄ると、膝をついた。そして、彼女の身体を確かめはじめる。
「大丈夫? どこか痛いところは?」
ペタペタと不用意に身体を触られる。それがなんだか恥ずかしくて注意しようとしたのだが、身体を触ってくるアルベールの目が真剣そのものだったのでなんだか水が差せなかった。レイラは頬をわずかに染めながら、口を開く。
「私は平気よ。それより――」
「良かった……」
アルベールは心底ほっとしたような声を出し、レイラを抱きしめた。安堵により崩れた表情は、いつもの冗談ばかり言う穏やかな彼を彷彿とさせる。しかしそれも一瞬のこと。彼は瞬き一つで元の厳しい表情に戻ると、内ポケットから取り出した真っ黒い杖を怯える彼らに伸ばした。同時に彼らから悲鳴が上がる。
「ちょっと待っててね。すぐに全部片付けるから」
「ま、待って! 片付けるって、その、殺すって、ことじゃないよね!?」
「大丈夫だよ。死体はどこにも残さないから、きっと行方不明という扱いになるはずだ」
「そ、そんな心配はしてないの!」
レイラはアルベールの杖を持っている方の腕に追いすがる。すると、彼はまるで信じられないものを見るような目でレイラのことを見た。
「どうして庇うの? 彼らは君にひどいことをしたんだよ?」
「わ、私のことは別に良いの! こうやって生きてるわけだし!」
「よくないよ。少なくとも僕は許せない。君を見つけたとき、僕は生きた心地がしなかった」
感情なく淡々と、アルベールはそう語る。その目にはやはりまだ怒りの炎が見えた。彼はその炎をひととき収めると、レイラに優しい視線を向ける。
「こんな奴らまで助けようとするだなんて、レイラは優しいね。そういう君も大好きだけれど、こんな奴らなんか庇わなくていいよ」
「違う違う違う! 私が心配してるのはアルのことよ!」
「え。――僕?」
意外そうな声を出してアルベールは固まる。
「アルは誰かを傷つけて平然としてられる人じゃないでしょう? このままこの人たちを殺したら、絶対後悔すると思う!」
レイラの断言にアルベールは悲しげに視線を下げる。
「レイラ。僕はね、君が思っているような人間じゃないよ。それに僕は、レイラのためなら誰だって殺すことが出来る」
「誰だって、って……」
「誰だって、だよ? 国王だって平民だって、この学園の生徒だって、先生だって。僕にとっては等しくどうでもいい命だ。特別なのは君の命だけ。君の命だけが貴いんだ。だから、君のためなら僕は誰だってこの世から葬れるよ」
「私のためだというのなら、殺さないで! 私は自分のせいで人が死ぬのは嫌だし、アルがそういうことをしているのも見たくない!」
「でも……」
「それに、殺せるからといって、心が痛むか痛まないかは別でしょう?」
レイラはアルベールの杖を掴んでいる方の手を両手で包み込んだ。そのまま杖の先を降ろさせる。
「アルが悲しいと、私も悲しいわ」
だから従って。そう言外に言うと、アルベールは身体の力を抜いた。そして、少しふてくされたような表情になる。レイラは視線で腕を失ったマチューを指した。
「アル。彼の腕、治すことって出来る?」
「……出来るけど」
「治して」
まるで嫌だというようにアルベールはふいっと視線を逸らす。しかし、レイラが「治して」ともう一度強めに言うと、彼はため息を一つ吐いて、地面に転がっているマチューの腕を手に取った。未だに血が滴っているその腕を持ちながらアルベールはマチューに近づく。
「うわああぁぁ!」
「うるさい。僕だってこんなことをしたいわけじゃない」
アルベールはマチューの肩を乱暴に掴んだ。そして腕の切り口同士を近づけて、何か呟く。すると、アルベールが持っている腕の切り口から黒い触手のようなものが生えてきてマチューの腕にとりついた。黒い触手の見た目は、長いヒル、というのが一番しっくりとくる感じで、その気持ち悪さにマチューは更に発狂したような声を上げる。
「うわああぁぁぁあぁ!」
「黙れ」
よほど不快だったのだろう、アルベールは彼の肩を押して地面にマチューの顔を押しつける。しかし、治療を放り出す気はないようで、触手たちが患部を繋げている間、マチューの腕を支えていた。腕が治ったのはそれから数分後のこと。アルベールは完治と同時に彼の腕を手放した。どさりと腕が地面を波打って、アルベールはマチューから身体を離した。どうやらマチューは気を失っているようだった。
「ありがとう、アル」
「……レイラの頼みだからね」
不服そうなのは変わらないけれど、アルベールの唇に笑みが戻る。レイラが落ち着いたアルベールにほっと胸をなで下ろしていると、彼は「あぁ、そうだ」ともう一度黒い杖を取り出した。レイラは目を見開く。
「ちょ、ちょっと! なにを――」
「安心して。ちょっと認識の操作をするだけだから」
「認識の操作?」
「今日あったことは全部夢ってことにするんだよ。殺さないのなら、彼らの記憶が残っているのは面倒だ。だからといって消してしまうと、また懲りずにレイラを狙うかもしれない。僕らに近づくだけで悪寒が走る。そういうトラウマにさせる」
アルベールはそこまで説明した後、まるで許可を求めるように「これもダメ?」と首を傾けてきた。その顔が年上なのになんだか可愛く思えて、レイラはふっと表情を緩ませた。そして首を横に振る。
「ううん。……ありがとう。私を守ろうとしてくれて」
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