2.「それじゃ、今日から恋人としてよろしくね」
『ヤンデレ最凶王子』こと、アルベール・レ・ヴァロワになぜか求婚された翌日の昼。レイラの姿は学園の食堂にあった。食堂の隅に座る彼女の前には赤髪の、男性にしては少し小柄な男が座っている。男はレイラの話を聞いて「はぁあぁぁ!?」とひっくり返った声をあげた。
「あの、アルベールに求婚されたぁ!?」
「ちょ、ちょっと! 声抑えて!」
レイラは慌てたように立ち上がると、男の口を押さえて周りを見渡した。 もしかして誰かに話を聞かれたかと一瞬焦ったが、昼休み独特の浮かれた喧騒で先ほどの大声はかき消えてしまったらしい。二人に注目する人間は誰一人としていなかった。レイラは男の口から手を離すと、ホッと胸をなでおろし、改めて席に腰掛ける。
そんな彼女を見て、男は「お前、マジでそんなこと言ってる?」と今度は声を潜ませた。
彼の名前はダミアン・デル・ラコスト。この学園で出来た初めての友人だ。ラコスト侯爵家の三男で、腕っ節が自慢の小柄な男。属性は火。将来は王宮所属の騎士団に入りたいらしく、研鑽を積むために学園に入学したらしい。彼と仲良くなったのは、この学園に入学したばかりの頃だ。たまたま隣の席に座った授業で『放課後時間あるか? ちょっと教えて欲しいところがあるんだけど』と声をかけられたのだ。入学してそんなに経っていない上、今までほとんど話したことない相手にそう声をかけられ、レイラは一瞬戸惑ったのだが、特に断る理由もなかったので了承し、その日の夕方彼に勉強を教えた。そこでなぜか妙に意気投合し、今までずるずると一緒にいる感じなのである。後に『どうしてあの時私に声をかけたの?』と聞いたところ、『なんとなく? たまたま隣に座ったのがお前で、賢そうだったから』と彼は答えた。
ダミアンは炎を閉じ込めたような赤い瞳を眇める。
「いや、お前。それはどう考えても夢だろ?」
「夢かなぁ」
「夢だろ? だって、アルベールとお前、今までまったくといっていいほど接点がなかったじゃねぇか。そんな男から急に求婚されるか、普通?」
「そう、だよねー」
そう頷いてみせるが、当然のごとく夢ではない。
レイラは苦笑いを浮かべながら、フォークに刺さっていたキッシュを口の中に放る。
ちなみに、実はダミアンもゲームの攻略対象である。それに気がついたのは、昨日の衝撃的な出来事を終えて寮に帰った後。部屋で思い出した記憶を整理していた時に、ふと思い至ったのだ。 『あ、ダミアンも攻略対象だ』と。
レイラはモブの中のモブだが、ひとつだけプロフィールにかけることがあるとするならば、『ダミアンと友達』ぐらいだろう。
「ってか、マジでくだらねぇ」
「くだらないって、ダミアンが言えって言うから言ったのに!」
「だって、お前。今日一日、ずっと上の空だったじゃねぇか。そりゃ、多少は心配するだろ。なのに、上の空になってた理由が夢とか! あー、心配して損した!」
心配させてしまったことは申し訳ないと思うが、そこまで言われるとなんだかちょっとムッとしてきてしまう。そんなレイラの気持ちを分かっているのかいないのか、彼はさらに続けた。
「しかも、アルベールがそんなキラキラした王子様なわけないだろ? 誰が話しかけても『あぁ』『だから?』『そうか』とか、二語以上の返事が帰ってこない奴だぞ? 人とまともに話してるところも見たことねぇし! そんなやつが『結婚しよう』なんて、ほとんど初対面のお前に言うわけないだろ。しかも片膝ついて! どんな妄想だよ、それ!」
「妄想かー。確かになぁ」
「しかもアイツ、セレラーナでなんて呼ばれてるか知ってるか? 人間兵器のアルベールだぞ?」
そう、アルベールは自国であるセレラーナで『人間兵器』と呼ばれていた。そう呼ばれるようになってしまった原因は、七年前に行われた大規模な戦争にある。
当時、齢十歳で戦争に赴いた彼は、当時から使えていた闇魔法で敵の戦力を一掃。誰よりも多くの戦果をあげて帰ってきたらしい。それから彼は『人間兵器』と呼ばれるようになってしまい、他国にもその噂は波及した。
ゲームの中でもアルベールは、同じように『人間兵器』と呼ばれていた。光属性と同じぐらい……いや、それ以上に珍しい闇属性を持って生まれたことで、自国では常に腫れ物のように扱われていたのに『人間兵器』と呼ばれるようになってから、ますます人は彼に近づかなくなり、アルベールは孤独を深めていった。ゲームのヒロインは、そんな彼の孤独に気づき、彼を癒やしていく。そしてアルベールもそんな彼女に、どんどん依存していくのだ。
「とにかく! 俺以外の前で、そんな気持ち悪い妄想語るなよ? 変な目で見られるぞ」
「うん、そうだね。わかっ――」
そうレイラが頷こうとしたときだった。
「ごめんね、レイラ。遅くなった」
昨日聞いたばかりの砂糖まぶしたような声が耳をかすめた。声がした方を向くと、そこには案の定、アルベールがいる。彼は昨日と寸分違わない優しい笑みを浮かべて、レイラとダミアンがついている円卓の前に立っていた。しかし、彼の目線はレイラに固定されており、まるでダミアンの事など気がついていないかのような様子に見える。
「ア、アルベール!?」
突然現れたアルベールにダミアンはひっくり返った声を上げる。その声でようやく、アルベールの視線がダミアンに落ちた。
「レイラ。彼は?」
「えっと。ダミアン・デル・ラコストです」
「関係は?」
「ゆ、友人です」
「友人。……そう」
瞬間、その場の気温が一、二度下がったような心地になる。ダミアンはアルベールを見上げながら頬を引きつらせていた。レイラの方からはアルベールがどんな表情をしているかわからないが、ダミアンの顔色を見る限り、友好的な表情を浮かべていないことだけはわかる。
(と言うか私たち、今とんでもない注目集めてない!?)
レイラは慌てたように周りを見渡す。すると予想した通りに食堂にいる生徒たちの視線が一気にこちらを向いていた。まぁ、当然だろう。誰とも交流を持とうとしない『人間兵器』アルベール・レ・ヴァロワが、他の生徒と二語以上の会話をしているのだから。
(このままじゃ、変なところ見られちゃうかも!)
昨日のことを思い出し、そう思ったレイラは、アルベールの手を取ると「ちょっと、こっちに来ていただけますか?」と彼を食堂から連れ出すのだった。
レイラがアルベールを連れて行ったのは、使われていない空き教室だった。彼女はアルベールとともに教室に入ると、後ろ手で鍵を閉める。そして、ほっと胸をなでおろした。
(これでなんとか落ち着いた……)
衆人環視のある食堂で昨日のように膝をつかれた暁には、なにをどう噂されるかわかったもんじゃない。
「あの、アルベール様……って、どうかしましたか?」
レイラが首をかしげたのは、アルベールが固まっていたからだ。彼は先ほどまでレイラと繋いでいた手をじっと見つめている。
「あの、アルベール様?」
「あぁ、ごめん! まさか現実で、君から僕に触れてきてくれるだなんて思わなくて……」
そう言う彼の頬は少し桃色に染まっていた。白銀の髪にラピスラズリの瞳という美しすぎる容姿なのにもかかわらず、少し恥じらっているその様は、まるで恋する乙女のようだ。
「くっ――」
(かわいい!!)
かわいい。すごくかわいい。どちゃくそにかわいい。
なまじ顔がいいので、かわいさが引き立ってしょうがない。どちらかといえばかっこいい系の顔をしているのに、 このギャップは卑怯だろう。
もはやここまでくると顔面の暴力だ。
というか、元々アルベールの顔はレイラのストライクゾーンど真ん中を射貫いているのだ。どのくらい真ん中を射抜いているかと言うと、その顔だけで昨日の拘束も監禁も水に流せてしまうぐらいのど真ん中だ。顔面が強い。前世でもそれは一緒で、ただ彼のエンディングだけが、どうしても、どぉーしても、受け入れられなくて、結局最推しにはならなかったのである。
(落ち着くのよレイラ! この顔に騙されてはいけないわ!)
そうだ彼は、隙あらば監禁だって拘束だって、なんなら心中だってしてしまう『ヤンデレ最凶王子』なのだ。隙を見せたらすぐに捕まってしまうだろう。
「それで、えっと。なんでしょう?」
レイラが平然を装いながらそう聞くと、アルベールは「昨日のことなんだけどね」と言って、小脇に抱えていた紙の束を彼女の側にあった机の上に置いた。
「僕のことを知ってもらうためにはどうしたらいいかと考えていたんだけど、やっぱりこれが手っ取り早いと思って」
「これは?」
「僕の経歴を嘘偽りなく書いたものだよ。それと、これが僕の持っている主な財産を書き記したもの。そして、こっちが取得予定の物だね」
どん、どん、どん。と並べられて、レイラはぽかんと呆けたように口を開けたまま固まってしまう。さっきから何かを抱えているなぁとは思っていたのだが、まさかこんなものだとは予想だにしなかった。圧倒されるレイラを余所に、彼はこれがメインだといわんばかりに、もう一冊分厚い冊子をレイラに差し出した。
「最後に、これが君が頷いてくれた場合の、人生の計画表だよ」
「人生? 計画表?」
「そう。こういうのがあった方が、レイラも安心できるでしょ?」
どちらかというとその会話で不安が増したのだが、とりあえず見てみないと何も始まらないということで、レイラは計画表だと差し出された冊子を手に取り、表紙をめくった。そして、唇をきゅっと結んだ。
中にはびっしりと文字が並んでいた。年表のようになっているのは、彼が言っていた通りレイラとアルベールの人生の計画表だろう。
この学園の卒業から始まり、結婚、妊娠、出産はもちろんのこと、どこで誰とどのように会うかまで事細かに記載されている。と言うか、 月に一度ほど外出の予定が立てられているのだが、まさかこの予定以外でレイラは部屋から出れないのだろうか。
いや、まさかそんなはずはない。そんなはずはないと思いたい。思いたいけど――
(アルベールだからなぁ……)
前科があるゆえに、その疑惑が一層濃くなる。
というか、しょっぱなから監禁されていたので、軟禁ぐらいかわいい物だと思ってしまうあたりが、この状況の異常性を物語っている。
レイラは震える指先でとりあえず一番近い未来を指した。
「あの、これ。私が学園を卒業と同時に結婚とありますが……」
「あ。もしかして、ちょっと遅かったかな? 学園の卒業が八月だから、結婚式は九月にしようと思ってたんだけど、レイラが望んでるならもう少し早くできるよ」
「いや、ちが……」
「僕の方が先に卒業してしまうからレイラは学生結婚ってことになるんだけど。まぁ、前例がないわけじゃないし、問題ないよね?」
「早すぎるって話をしてるんです!」
思わず声を荒らげてしまうレイラである。この世界の結婚はそこそこ早いが、婚約しているわけでもない二人が卒業と同時に結婚というのはやっぱりちょっと早すぎる。しかも彼は隣国の第二王子なのだ。そんなさくさくっと結婚できるわけがない。……多分。
「でもこれで、僕のことはわかってもらえるよね? 読み込む時間はどのくらい必要かな? 僕としては今ここで読んですぐにでも答えを出してもらいたいところだけど。レイラも一人で考える時間が必要だよね? ってことで、明日の放課後、僕と結婚するかどうか――」
「ちょ、ちょ、ちょっと、待ってください!」
レイラは慌ててアルベールを止める。
「もしかして、これだけで私に結婚の選択を迫ってます?」
「そうだけど何か問題があるかな? もしかして、もう少し資料が必要?」
「資料はもういいですし! そもそもこんなのじゃ何も分かりませんよ」
本当にレイラの言っている意味がわからないのだろう、アルベールは首を傾げた。
「というか! 昨日もちょっと思ったんですが、どうしていきなり結婚って話になるんですか? 普通は、その、こ、恋人になってからそういうのって考えますよね?」
「恋人か。……そのプロセスって本当に必要かな?」
「はい?」
「結婚するって決まってるなら、過程を飛ばしても問題ないと思うけど?」
そもそも、結婚するとは決まっていない!
とはいえない小心者のレイラである。
「ひ、必要ですよ! もし、結婚して合わなかったりとかしたらどうするんですか! 恋人期間っていうのはそういうのの予行練習も兼ねていると――」
「合わないというのは、もしかして、好きじゃなくなるってことを言ってるのかな?」
「まぁ、そうですね」
「それなら心配いらないよ。僕は絶対、君のことを嫌いになったりはしない。あり得ない。この命に誓ってそれはないと言えるよ。だから僕にとって、恋人という期間は必要ない」
「わ、私には必要です!」
被せるように発したレイラの言葉に、アルベールは黙る。
その隙にレイラはここぞとばかりに言いつのった。
「こういう書類じゃなくて! 私はきちんと会って話して、お互いを知った人と結婚したいんです! というか、昨日言ってたお互いを知るっていうのは、こういう話で……」
レイラの声はどんどん小さくなる。それは、彼にこれ以上言っても無駄かもしれないと思ったからだ。薄々気づいていたが、彼には言葉が通じない。同じ言語を話しているのに、なんだかひどく遠い人と話しているような気がするのだ。そもそも、アルベールはレイラが自分のことを好きじゃなくなる可能性を考えていないのだろうか。
……考えていないのか。そうか。
しかし、 そんなレイラの予想に反して、アルベールは「ふむ」とひとつ頷いた。
「レイラが必要なら仕方がないね。君が僕と結婚するのにその期間が必要だというのなら……」
アルベールはそこで言葉を切り、レイラの手をとる。
そして、どこか嬉しそうに彼は微笑んだ。
「それじゃ、今日から恋人としてよろしくね。レイラ」
思いもよらなかった言葉に、レイラは「へ?」と呆けたような声を漏らすのだった。
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