20.(私、アルベールとキスしてる!?)
(私、アルベールとキスしてる!?)
その事実に気がついた瞬間、レイラの体温は急上昇した。なにがなんだかわからず、足をばたつかせた後、レイラは身体にぴったりとくっついていたアルベールの胸板を押す。しかし、彼はまったく離れる気配がない。
(な、なんか、長い!)
混乱も相まってか、どうやって呼吸すればいいのかわからず、レイラは助けを求めるように今度は胸板を叩いた。すると、ようやくアルベールはレイラを離す。
レイラは両手で唇を押さえた。
「ア、ア、アル、何を!?」
「レイラ、もう大丈夫?」
「へ?」
「もう、喉痛くない?」
レイラはその言葉に喉を押さえて「あ」と何かに気がついたような声を出した。
先ほどまではキスをされたことの驚きでまったく気がついていなかったが、焼けるように痛かった喉の痛みは治まっており、内臓の不快さもなくなっている。
「さっきのは応急処置だよ。レイラの身体に僕の魔力を送り込んだんだ」
「魔力を?」
「正確には魔力に魔法を多少織り込んだものって感じだけどね。レイラのことを守るようにプログラムしておいたから、今頃レイラの身体の中のシモンの水を無毒化してくれているよ。あと、傷ついた箇所の修復も」
つまり先ほどのは、人工呼吸のようなものだったのか。必要な救命処置。そのことを理解した瞬間、キスだのなんだのとうろたえた自分が、ちょっと恥ずかしくなる。
「でも魔法って、そんなことも出来るのね……」
恥ずかしくなった自分を隠すようにレイラがそう言うと、アルベールは「うん。みたいだね」と頷いた。
「え? みたいだねって……」
「僕自身もやってみたら出来たって感じだったからさ。まぁ、出来る確信はあったんだけどね。今回のは、ぶっつけ本番だよ」
「えぇ!?」
「魔法に関しては理論もいろいろ確立しているけどさ。僕の経験則から言って、最後は気合いだよ。だって、魔力は感情に一番左右されるからね。結局、術者がなにをどう願っているかが、一番重要なんだと思う」
その言葉を聞いて、それだけ必死に自分のことを助けたいと思ってくれたのかと、レイラは嬉しくなった。同時に先ほどとは別の理由で羞恥心が盛り上がってくる。
レイラは、自身の胸に手を当ててじっと身体を見下ろした。
(なんだか、アルの魔力が身体に入ったと思ったら変な感じがするわね……)
「それにしても、僕の魔力がレイラの身体の中を巡ってると思ったらなんだか嬉しいよね」
レイラと同じことを思っていたのだろう、アルベールはそう言って頬を緩ませる。
「君の口から入った僕の魔力が、君の手や足や内臓や髪の毛一本に至るまで全部に吸収されるんだよ? 君と一つになれるなんて羨ましいよね? というか、どちらかといえば妬けちゃうかも。僕より先にレイラと一つになっているなんて、やっぱり腹立たしいからね」
「自分の魔力に嫉妬するの!?」
「僕はね、レイラ。毎食、君が食べている食事にだって嫉妬してるんだよ? 君に吸われる空気にだって、君が毎朝顔を洗う水にだって、君が勉強に向かうときの机と椅子にだって嫉妬してる。なんなら君の制服になりたいって思うし、布団には殺意が湧いているからね?」
さも当たり前だというようにそう言うアルベールに、レイラの口は思わず滑った。
「前々から思ってたんだけど、アルってちょっと変態みたいなことたまに言うわよね……」
「変態? そうかな。普通のことだと思うけど。それに、レイラ以外の人間にはこんなこと思わない。僕の全部で満たしたいって思うのは、後にも先にもレイラだけだよ?」
愛が重い。
いい加減、アルベールのヤンデレっぷりにもなれてきたと思ったが、どうやらその認識は甘かったようだ。それに、とんでもないことを言っているのに、顔だけは一級品のキラキラ王子様なところがまた厄介である。そんな慈愛に満ちた表情をされると、まるでこっちの認識が間違っているんじゃないかという気分になってくる。
気がつけば、周りに人が集まってきていた。教師の中でいち早く到着したエマニュエルは、野次馬のようにわらわらと集まってきた生徒たちの対策に追われている。どうやらまだ状況が上手く呑み込めていないうちに人が集まりだしたので、安全のため、彼らを土の手に近づけさせないようにしているようだった。
「あれ? ……ここは?」
その声が頭上から聞こえてきたのは、レイラがアルベールに支えられながら立ち上がった直後だった。見上げれば、濡れそぼったシモンが土の手に握られながら周りをきょろきょろと見渡している。
「僕が覚醒させるまでもなく、自分で目覚めたね」
アルベールは杖を一振りすると、シモンをその場に降ろした。手を模っていた土のマナは、ず、ず、ず、と地面に沈んでいく。記憶が曖昧になっているのだろう、シモンは集まった人とレイラたちを見て、困惑したような声を出した。
「なに、この事態……」
「全部シモンくんのせいでしょ!」
ミアが顔を真っ赤にしながらシモンに詰め寄った。まさか自分が暴走しただなんて夢にも思っていないシモンは、ミアの剣幕に目を白黒させる。
「シモンくんは暴走しちゃったの! もう! そこまで体調がひどかったんならちゃんと言ってよ! 人に迷惑かけちゃうでしょ!」
その瞬間、レイラは人生で初めて、堪忍袋の緒が切れる音を聞いた気がした。
レイラはミアとシモンの間に割って入ると、そのまま大きく手を振りかぶった。そして、少しもためらうことなく振り下ろす。瞬間、乾いた音がその場に響き渡った。以外にも大きく響いたその音に、生徒たちの視線はあっという間に二人に釘付けになる。
「今回のことはミアのせいでしょう!」
「……へ?」
まさか平手打ちされるだなんて思わなかったのだろう、ミアは何が起こったのかわからないというような顔で自分の頬を押さえていた。そんな彼女にレイラは言葉を重ねる。
「確かに、無理をしてしまったシモン君のせいでもあるけれど、体調が悪いシモン君を無理矢理連れ出したのは貴女でしょ?」
「でも、私はちゃんと……」
「『体調が悪いなら言って』って、ミアはシモンに言ったみたいだけど、そもそもあんなに顔色が悪い人普通は連れ出さないの! 誘ったりもしないの!」
かつてない剣幕にミアはもうどうすることもできずに口をつぐむ。目尻に涙が溜まっているが、そんなもの関係ないというように、レイラは更に言いつのった。
「今まで貴女の周りには貴女を肯定してくれる人しかいなかったのかもしれないけど、そのままじゃ、いつかみんなに嫌われちゃうよ? そんなの、いやでしょう?」
その言葉に、とうとうミアの瞳から涙がぽろりとこぼれ落ちた。
地面に落ちた滴に、さすがのレイラも少しだけ冷静さを取り戻す。
「わたし、わたし……」
「ごめんなさい。さすがに頬を叩くのはやりすぎだわ」
レイラの謝罪にミアは緩く首を振った。
「良いんです。今回のは、確かに私が悪かったんです……」
今までに見られなかった殊勝な態度に、レイラは一瞬だけいぶかしむような表情をしたが、彼女の瞳から次々に流れ落ちる涙を見てその考えを改めた。
ミアは口元を押さえながら嗚咽交じりの声を出す。
「私、シモン君が私からの頼み事を断れないことを知ってたんです。だってミアは可愛いし、すごいから。みんなミアのお願い事をききたくなるんです。これは本能みたいなものなんです。でもそれを利用するだなんて、間違っていました!」
なんだか引っ掛かりを覚える言い方だが、本当に反省しているようなのでそこは流す。
ヒロイン然とした可愛らしい顔ではらはらと涙ながすミアにシモンは「ミア……」と彼女の肩を持った。
「シモンくん、ごめんなさい! こんな私だけど、許してくれる?」
まだ状況を上手く呑み込めていないシモンが「えっと。僕のことはいいから、ミア、顔を上げて」と優しく声をかけると、ミアは顔を上げ潤んだ瞳でシモンをとらえた。そして、そのまま視線をレイラにスライドさせる。
ミアと目が合い、レイラはちょっと気圧されるように一歩下がった。
「私、頬なんて叩かれたの初めてなんです。今までお父さんにもお母さんにも顔なんて叩かれたことがなくて……」
「そっか。……ごめんね、痛かった?」
「痛いなんて、そんな! むしろ、ビビビ! ってきちゃいました」
「……ん? ビビビ?」
よくわからない単語が聞こえてレイラは首を捻るが、そんなことなどお構いなしに、ミアはシモンの手を優しく振り払うと、レイラに一歩歩み寄った。
「レイラさんは、私のためを思って頬を叩いてくださったんですよね?」
「え、えぇ。そうね……?」
「ミア、感激しました!」
弾けるような笑みでそう言って、ミアはレイラの手を両手で取る。
「甘やかされるだけが愛じゃないんですね! 愛の鞭! これこそが本当の愛!」
「えっと……?」
「ありがとうございます、レイラさん! レイラさんの愛、ミアがしっかり受け取りました!」
ミアはうっとりとした顔でレイラにぐっと顔を近づけた。
「今までのことは全部ミアが悪かったです! 悪い子のミアをもっと叱ってください! レイラさん! ――いいえ、お姉様!」
(同じ年齢なんだけどな……)
ミアの恍惚とした潤んだ瞳に、レイラはそう頬を引きつらせた。
こうして、無事一人のけが人も出ることなく、シモンの暴走は処理された。被害者として誰も名乗り出なかったことと、ミアが「私が悪かったんですー!」と学園側に泣きついたことから、この一件はただの事故として処理された。これにはシモンが優秀な生徒だったことと、ミアが光属性を扱える特待生だったことが大きかったかもしれない。もちろん口頭での厳重注意は受けたようだったが、二人には記録に残るような罰は与えられなかった。
そして翌朝――
「お姉様、おはようございます! 今日のミアはちょっと寝坊して、髪の毛を櫛で綺麗に梳かさないまま学園に来ちゃいました! お姉様、どうか叱ってください! 頬を叩いてください!」
「……遠慮しておくね」
すっかり何かに目覚めてしまったミアに、レイラは顔を強張らせながら一歩距離を取る。
登校してきたばかりで浴びるにはアクの強い言葉に、レイラがクラクラしていると、彼女を教室まで送ってきたアルベールがいつになく低い声を出した。
「レイラに近寄るな、変態……」
「アルベール様、いいえ、アルベールさん! レイラお姉様の愛を独り占めしようたって、そうはいかないんですよ! お姉様に一番殴られるのは、この私です!」
「……殴らないよ?」
「だからいやだったんだ。レイラは可愛いから、いずれこんな変態を引き寄せてしまうと思ってた。こんな変態の側に置いておくぐらいなら、やっぱりどこかでちゃんと僕が保護してあげないと……」
「それって保護って名前の軟禁だよねー……」
レイラの声はどちらにも届かない。
やいのやいのと喧嘩をし始めた二人を見ながら、レイラは大きくため息を吐いた。
「なんでこんなことに……」
「だから言ったろ? お前、変人ホイホイなんだって」
一部始終を見ていたのだろう、いつの間にか隣に立っていたダミアンが苦笑いでそうレイラに話しかけてくる。「いや、どちらかと言ったら、変態ホイホイか」と彼が小さな声で訂正するのをきいて「どっちでもいいよ……」とレイラは疲れた声で答えた。
レイラは言い争うミアとアルベールを見る。そして、そのまま視線を滑らせてダミアンの方も見た。「んだよ?」「んーん。なにも」そのまま、どこかほっとしたように息を吐く。なんかヒロインが変なものに目覚めてしまったが、状況としてはこれで一段落だ。レイラの魔法に関しても、このままがんばれば試験前にギリギリ及第点ぐらいまでは持って行けそうだし、なにより前よりもちょっとだけ人間関係が円滑に回り出した気がする。
つかれた。確かにつかれたが、少しだけすっきりとした気分でレイラは机に荷物を置いた。
(このまま何も起こらず、時が過ぎれば良いな)と願いながら。
そんなレイラの願いを破ったのは――
「お楽しみのところちょっと良いかな?」
凜としたその声だった。張ってもいないし、大きくもないのだが、その声はミアとアルベールの会話を止めるには十分すぎるほどの響きを持っていた。
レイラは声のした方を見て、目を丸くさせる。
「レイラ・ド・ブリュネ、君とは初めましてだね」
流れるような金糸の髪に、アクアマリンのような涼やかな水色の瞳。口元には常に笑みが浮かんでおり、歩いてくるその所作だけを見ても、どこか高貴さが感じられる。
その男子生徒はレイラの前で立ち止まると、夏の空のような爽やかな笑みを浮かべた。
「私は、ロマン・ド・ロッシェ。ハロニア王国の第三の王子って言った方が、君にはわかりやすいかな?」
「ロマン・ド・ロッシェ……様?」
彼は主人公であるミアに次ぐ、こいまほの重要人物。
メイン攻略対象だった。
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