1.「僕が幸せにしてあげるからね」
(あぁ、ヤバいな……)
前世を思い出したレイラが、まず最初に思ったことがそれだった。
何がどうヤバいかって。誰も来ないであろう旧校舎に閉じ込められ、手首を拘束されているこの事実が、そもそも相当ヤバいし。手首を縛っている縄のようなものが、黒い蛇のような見た目でうにょうにょと動いているのも結構ヤバイのだが。
それよりも何よりも、目の前にいる彼が『ヤンデレ最凶王子』で、彼が「僕と結婚しよう」という台詞を吐いていることが、これ以上ないくらいにヤバかった。
乙女ゲーム『恋と魔法のプレリュード』は、全寮制の魔法学園をテーマにした恋愛アドベンチャーゲームだ。いわゆる、乙女ゲームというやつである。
この世界では、百人に一人ぐらいの割合で魔法を使える人間が生まれてくる。彼らの存在は大変貴重で、この世界にいくつかある魔法学校で魔法の基礎を学び、国に貢献していくことを求められた。魔法を使える人間にはそれぞれ『属性』というものがあり、それによって得意な魔法、不得意な魔法が決まってくるのだ。
このゲームのヒロインは、千年に一人現れるかどうかという『光属性』を持って生まれてきた少女で、彼女は扱いにくい光属性を使いこなすため、魔法学校では最高峰である、ここ、『セントチェスター・カレッジ』に転入してくる。そこで攻略対象の仲間たちと切磋琢磨しながら魔法と恋を一緒に育てていくのだ。
そして、目の前にいるアルベール・レ・ヴァロアもこのゲームの攻略対象だ。
隣国・セレラーナの第二王子である彼は、ヒロインとは対照的に『闇属性』の適性を持って生まれてきており、セントチェスター・カレッジには留学という形でやってきていた。攻略対象とは書いたが、アルベールはゲームの中では隠しキャラ的な立ち位置で、誰かの恋愛エンドを見た後でないと攻略できないというキャラクターだった。
さて、「僕と結婚しよう」という台詞が、なぜヤバいのか。
結論から言えば、それはアルベールがバッドエンド直前に、ヒロインに告げる台詞だからである。
――そう、バットエンド直前に、だ。
つまり、レイラはバッドエンド一歩手前で、自分の前世と今後起こりうる展開を思い出してしまったのである。
(お、遅すぎるでしょ! 私!)
レイラは顔を青くし、頬を引きつらせた。
ちなみに、この後表示されるヒロインの選択肢は二つだ。
まず、選択肢①『はい、喜んで』。これを選んだ場合、ヒロインは無理やりアルベールの国に連れて帰られ、そこで一生監禁されたまま過ごすことになる。ゲームでは『寵愛』と表現していたが、エピローグでヒロインは窓のない地下室に閉じ込められ「ここから出して!」とアルベールに懇願していた。
もっとひどいのが選択肢②の『ごめんなさい』を選んだ場合で、この選択肢を選ぶとヒロインはアルベールに殺されてしまう。その後の台詞を見る限り、彼もその場で自刃しているので、実質の心中エンドだ。その後どうなったかは描かれていないが、とにかくアルベールだけは幸せそうだった。
従って、この台詞をアルベールに言われた時点で、ヒロインのバッドエンドは決まっており、ここから選択できるのは、どういうバットエンドをアルベールと迎えるか、だけなのである。
ちなみに、アルベールのエンディングは、基本的にどれも愛が重たいエンディングとなっており、監禁や心中は当たり前、恋愛エンドもSNSでは『実質メリバ』と言われていたほどだ。彼には、青空の下で微笑み合うような清々しいエンディングは用意されていない。
それ故の『ヤンデレ最凶王子』という二つ名なのである。
そして大きな問題が、もう一つ。
(私、ヒロインじゃないんですけど!!)
そう、レイラはこの物語のヒロインではないのだ。
レイラ・ド・ブリュネはモブもモブ。ゲームでは名前さえも出てこないキャラクターだった。しかも、この九月に魔法学園セントチェスター・カレッジに入学したばかりの一年生で、没落しかけのブリュネ子爵家の令嬢。もちろんヒロインのような特質的な力を持っているわけではないし、容姿も本当に普通で、ピンク色の髪の毛を持つヒロインとは対照的に、レイラの髪色は亜麻色という、どこにでもあるようなものだ。瞳の色だけはエメラルドという特徴的な色だが、それだって少しだけ珍しいというだけで、どうやっても普通の中に収まってしまう。 当然、モテたことなんてない。幼い頃に男の子から手紙をもらったぐらいの淡い思い出ぐらいならばあるが、本当にそれぐらいなものだ。
レイラは、本当にそこら辺に転がっている、女生徒なのである。
「それで、どうかな?」
「どう、とは?」
「先ほどの答えを聞かせて欲しい」
アルベールがレイラの前に膝をつく。そして、彼女の顔を覗き込みながら王子様然とした顔で優美に微笑んだ。その一級品の表情にレイラは「うっ!」(かっこいい!)と一瞬だけ絆されそうになったのだが、アルベールの目の奥を見て、彼女ははっとしたように正気を取り戻す。
(こ、この人、目が笑ってない……!)
笑っていない……というか、目に光が差していない気がする。これは完全に狩る側の目である。ブラックホール的な意味で吸い込まれそうな彼の暗い瞳に、レイラは身震いをした。それと同時に、手首を縛っている蛇のような物がにゅるりと動く。しかも一匹ではなく、複数匹だ。レイラは恐る恐る口を開いた。
「えっと。その前に、ひとつ聞いていいですか?」
「なに?」
「これは何ですか?」
レイラが視線で指したのは、手首に巻きついている蛇だ。うにょうにょと常に気持ち悪く蠢いているので、一見、力を込めればすぐ外れそうに見えるが、実際はどれだけ力を込めてもびくともしないという超絶頑丈設計になっていた。それがレイラの手首を固定し、なおかつ柱にも巻き付いている。逃げられないようにする配慮だけが常に行き届いていた。
ゲームでは、さすがに拘束まではいってなかった。先ほどの台詞はそのままだし、場所もここで間違いないのだが、ゲームの中の彼はソフトヤンデレという感じで、そこまでの異常性はなかった。ゲームのレーティングだって普通に『B(十二歳以上対象)』だ。
アルベールは微笑みを湛えたまま、悪びれる風もなく唇を開く。
「僕の魔法だよ。物理的な拘束具を使うことも考えたんだけどね。それだと、万が一の場合、千切られてしまうこともあるでしょ? でもこれなら、たとえ君がどんなに力持ちの女の子だとしても絶対に千切れない。伝説上の生物である竜でも、これは千切れないと思うよ。それにほら、これなら君のかける力に応じて拘束の強さを変えられるから、万が一君が無茶をしても君の肌が傷つくことがない。君の綺麗な肌に傷をつけたら僕はその後の人生を呪いながら生きていかないといけないからね。あぁ、でも勘違いしないでね! 拘束の強さを変えられるといっても逃がすつもりは少しもないんだよ。だから逃げようとは思わないようにね? もしレイラがすごく抵抗してここから逃げようとするなら、僕はショックで拘束を強めてしまうかもしれない。そうしたらやっぱりちょっと痛いからさ。僕は君に痛い思いをして欲しいわけじゃないんだ。ただ、逃げずに話を聞いて欲しいってだけで――」
(どうしよう! ゲームの時よりヤンデレ度が増してる気がする!)
いつまで経っても終わらない長台詞&早口に、レイラは頭の中で「ひぃぃ――!!」と情けない悲鳴を上げた。どうしてこうなったかわからない。思い返してもアルベールとの接点なんてほとんどないのだ。というか、つい先ほど初対面を果たしたばかりなのである。
レイラはアルベールと初対面を果たした数分前のことを思い出す。
その日の放課後、レイラは天文学の教室に忘れ物をし、それを取りに行くために廊下を歩いていた。すると、正面からアルベールが歩いてきたのだ。その時はまだ前世の記憶も思い出していなくて、だけど彼のことは噂には聞いていたから、何の気なしにお辞儀しながらすれ違った。すると、アルベールは突然ハッとした表情になり、振り返ると同時にレイラの手首を掴んだ。あまりの出来事にレイラが目を白黒させながら振り返る。するとアルベールと目が合ったのだ。彼はレイラのことをじっと見つめたあと「君はもしかして……」と声を漏らした。そして「レイラ?」と。自分の名前を呟かれ、レイラは困惑した表情で頷いた。すると彼はレイラの手を握り「やっと」と声に喜びを滲ませた。
そして、暗転。気がついたらこの状況になっていた。まさに急転直下である。
やっぱりいくら振り返っても、彼のバッドエンドに入ってしまうような身の覚えなどない。本当にどうしてこんなことになってしまったのだろうか。
レイラは改めて正面で膝をつくアルベールを見つめる。彼は微動だにせずにレイラの顔を見つめている。きっと、先ほどの求婚に対する答えを持っているのだろう。
選択肢①『はい、喜んで』⇒監禁エンド
選択肢②『ごめんなさい』⇒心中エンド
もちろん、どっちも嫌に決まっている。
レイラはしばらく考えた後、か細い声を出した。
「ちょ、ちょっと考えさせてください……」
「ん? なに? 聞こえなかったけど」
「も、もうちょっと、考える時間が欲しいです!」
レイラが先ほどよりも少しだけ声に力を込めてそう言うと、光の差していないアルベールの瞳が彼女の顔を覗き込んでくる。覗き込んでくる瞳にはどこからどう見ても感情がないのに、顔には相変わらず作ったような笑みが張り付いている。それがレイラの恐怖心をますます煽った。
「時間が欲しい? それはもしかして、遠回しに断っているのかな?」
「そ、そうじゃなくて!」
レイラが再び声を大きくすると、アルベールは「ん?」と小首を傾げた。
「とりあえずお互いを知ろうということです! 結婚とか、付き合うとかは、それから考えたいなぁと……! ほら私、アルベール様のことをほとんど何も知りませんし!」
「そうか。確かに、君の方は僕のことをあまり知らないかもしれないね」
(その言い方だと、私の方は知られているって感じになるんですけど……?)
そうは思ったが当然のごとく口には出せなかった。
アルベールは自身の下唇を人差し指でなでながら、 思案深げな顔になる。
「つまり僕は、レイラに僕のことをわかって貰えばいいってことだね?」
「そう、ですね」
「わかった。それなら僕の全てをわかってもらえるように努力をしよう。結婚はその後だね」
アルベールは詠唱も杖も使うことなく、指先一つで手首にかかっていた拘束の魔法を解くと、レイラを立たせて、自分はその場に再び膝をついた。そうしてやっぱり王子様然とした洗練された動きで、レイラの手を取る。
瞬間、先ほどまでの出来事を忘れたように彼女の頬が淡く染まった。
いや、当然のごとく忘れてはいないのだが、なんせこの男、顔が良いのだ。一級品なのだ。国宝だ。そんな男が膝をつき、まるでお姫様にするように自分の手を取ったら、大体の女性はこうなってしまうだろう。 この赤面はもはや生理現象だ。
「レイラ、僕が幸せにしてあげるからね」
アルベールはまるで結婚が決定事項だというようにそう言いながら柔らかく微笑んだ。
そして、約束の印というように、レイラの指先にそっと唇を落とすのだった。
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