18.「今日から練習がんばりましょうね!」
翌々日、その情報を持ってきたのはミアだった。
「レイラさん、朗報ですよ! シモンくん、体調良くなったみたいで、今日から練習再開してもいいそうです!」
今まで見たことがないような満面の笑みを浮かべて、彼女はそうレイラの顔を覗き込んだ。登校してきたばかりでまだ頭が上手く動き出していないレイラは、その言葉を上手く呑み込めずに一瞬だけ固まる。そんな彼女にミアは更に言葉を重ねた。
「実は昨日、心配になってシモンくんのお見舞いに行ってきたんですよ。そしたらすっかり元気になっていて、シモンくんから言いだしてくれたんですよ」
「それはよかったね。でも大丈夫かな? 今週ぐらいは様子を見た方がいいんじゃ……」
「私も何度も確認したんですけど、大丈夫だって!」
それなら問題はないかと、レイラは「そっか」と安心したような声を出した。練習再開も嬉しいが、シモンの体調がよくなったことがこれ以上ない朗報だ。
「私がお見舞いに行ったからかなー。元気になってよかったですね!」
「そうだね」
レイラは頷きながらミアのことを少しだけ見直していた。誰も何も言っていないのに、自分からシモンの見舞いに行くというのは、レイラの考えていたミアの像とはちょっと違っていたからだ。
(そういえば、ゲームでもお見舞いイベントってあったっけ……)
ある日、シモンが体調を崩し何日も学園を休んでしまう。心配になったミアは寮の彼の部屋までお見舞いに行くのだが、自分の身体の弱さにコンプレックスを持っているシモンはそれを拒絶する。弱っている自分の姿を見せたくなかったのだ。しかしミアは、諦めることなく何度も見舞いに行き、シモンもだんだんそれに絆されていく。最後には、お見舞いに来たミアをシモンは受け入れ、そこで自分のコンプレックスを告白するのだ。
(確か、あの話からシモンの恋愛ルートに入るのよね)
状況は違うが、もしかしたら昨日はそのイベントがあったのかもしれない。そう思うと、なんだか少しほっこりとした。ミアはどうだかわからないが、シモンは明らかにミアに気がある感じなのだ。彼の健気さを見ているとちょっと応援したくなってくる。
「今日から練習がんばりましょうね!」
「そうだね!」
本当に心から、レイラはそう頷いたのだが……
「一昨日はすみません。レイラさん、アルベールさん……」
放課後、いつもの練習場所である校庭に足を運んだレイラの前には、明らかに体調が悪そうなシモンがいた。ベンチに座っている彼の顔は青白い。声だって弱々しくて覇気がないし、ちょっと掠れてもいる。レイラの目には、保健室に運んだ日と同じか、それ以上に彼の体調は悪そうに見えた。
レイラは困惑した声を出す。
「えっと。シモンくん、本当に大丈夫?」
「あ、はい。大丈夫です。ちょっと立ち上がっての指導は出来ませんけど。座って指示を出す分には問題ないと思います」
「それって大丈夫じゃないよね!?」
立っているのも辛いということじゃないかと、レイラはひっくり返った声を上げる。そんなレイラの前に、ミアは不満げな顔で躍り出た。
「もー。レイラさんってば心配性ですね! シモンくん自身が大丈夫だって言ってるんだから大丈夫ですよ。ね、シモンくん」
「……うん」
無理矢理言わされているという感じではないが、やっぱり少し無理をしている感じでシモンは頷いた。その表情に隣にいたアルベールの眉間にもわずかに皺が寄った。
「無理さえしなければ大丈夫だと思います」
「無理さえしなければって……」
やっぱりやめておいた方がいいんじゃないかとは思ったが、シモンがこう言っている上にミアの希望が強く、その日は押し切られ魔法の練習をすることになった。のだが……
(やっぱりあんまり体調はよくなさそうだよね……)
もう身体の八割ほどの大きさまで収束が出来るようになったレイラは、心配そうな顔でシモンを盗み見る。シモンはぐったりとベンチに身体を預けていた。背中が丸まっているのは、きっと苦しいからだろう。
「大丈夫ですよ。来る前に医務室でお薬もらってましたし、どうしても辛かったら言うって約束しましたから」
隣を見れば、ミアが「心配性ですねぇ」と言わんばかりの顔をしていた。
「それに、ちょっとお願いしたぐらいで来てくれたんですから、やっぱり大したことなかったんですよ」
「お願いしたの?」
「はい! 昨日のお見舞いの時に。最初は『みんなに迷惑かけてもいけないから……』っていってたんですが、ミアが本気のおねだりしたら頷いてくれちゃいました!」
まるでそれを誇るように、ミアは胸を張る。
そんな彼女の行動をみながら、レイラは気分が悪くなるのを感じた。話を聞いた段階でこういう可能性も考えてはいたが、まさか本当にこういうことをする人間だなんて思わなかったのだ。
「それよりも、さっきからアルベール様、全然話しかけても反応してくれないんですけど、何か知りません?」
「知らない」
レイラは投げやりにそう言うと、収束をやめた。レイラが杖を左右に振ると、集まっていた水のマナが霧散する。
「レイラさん?」
「今日はもうやめよう。シモンくんが可哀想だよ」
「もう、レイラさん。ヤキモチ焼かないでくださいよ。いくら私をアルベールさんに近づけたくないからって……」
「そうじゃないでしょ!」
レイラが思わずそう声を荒らげると、ミアがびくついた。彼女の顔は、まるで初めて誰かに怒られたというような表情をしている。
「体調が悪いときに、どうして無理をさせるようなことするの?」
「でも、シモンくんが自分で――」
「違うでしょう!」
ミアはシモンが自分に好意があることをわかってやっているのだ。自分がお願いしたら、シモンが断りにくいことを彼女は知っている。
レイラは狼狽えるミアに更に言いつのろうとするが、背後からかかったアルベールの「レイラ」と言う呼びかけに、彼女はぐっと口を噤んだ。木の側で見守っていたアルベールはいつの間にかレイラの背後におり、彼女の肩に手を置いている。
「僕も今日はやめておいた方がいいと思う。さっきからシモンの魔力値が安定していない」
「魔力値が安定しないって、もしかして――」
レイラの脳裏に『暴走』という単語がよぎる。アルベールが前にしていた話だ。魔法使いが暴走するというのは、この世界では全くない話ではない。年に二、三回ほどは、新聞に取り上げられている程度の話ではある。それでも、その程度、だ。珍しい話であることに変わりはない。
レイラの不安を的確に読み取ったアルベールは声を潜ませた。
「暴走というのは基本的に魔法を使おうとして起こるものだから、魔法さえ使わなければ大丈夫だよ。……普通は」
「普通は?」
「皆さん、どうしたんですか?」
集まって話をしていることに気がついたのだろう、シモンがベンチから立ち上がり、こちらに歩いてくる。その足取りは軽やかとは言えず、どちらかと言えば心許ない。顔色は更に悪くなっており、土気色になっていた。
これにはさすがのミアも危機感を持ったのだろう「やば……」と小さく呟いていた。
「なにを話して――」
そこでシモンは膝を折り、心臓を押さえる。呼吸が荒くなったのが彼の蹲った背中からわかった。レイラは慌てて駆け寄ろうとするが、「来ないでください!」というシモンの怒声に足がすくんでしまう。
「あぁあぁぁあぁ……」
シモンはその場で小さく唸り出す。すると彼の身体から、どろっとした水があふれ出てきた。粘つきのあるその水は、シモンの身体を覆い、ゆっくりと地面に広がっていく。
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