15.「本当にえっちなのは、また今度にね?」
そんな、端から見れば痴話喧嘩のようなものをしていると、レイラの視界の端に二人の女生徒が映った。校章の色を見る限り、彼女らもまたアルベールと同じ二年生のようだった。彼女達はお互いに小突きながらアルベールの方を見つめていた。その顔には不安が張り付いている。
「ねぇ、アル。あそこの人、知り合い?」
「ん? あぁ、クラスメイトかな。多分」
「なんかアルに話しかけたそうにしてるよ?」
「そうだね」
「そうだねって……」
自分から話しかける様子が全くないアルベールと、話しかけたくても勇気が出ない女生徒に、レイラは嫌な予感を感じた。
「アル。クラスメイトの人と仲良くしてる?」
「問題は起こしてないよ?」
「話しかけたりはしてる?」
「向こうから話しかけてくることはたまにあるよ?」
「その時はどうしてるの?」
「必要そうな話には返事をするよ。ちゃんとね」
つまり、どうでも良さそうな話題は完全無理ということだろう。レイラの脳裏に、以前したダミアンとの会話が蘇ってくる。
『それよりも俺は、アルベールのお前以外に興味がない態度を何とかしてほしいね』
『……そんなにひどいの?』
『ま、お前にはわかんないかもしんないけどさ。なんて言うか、もはや人形なんだよなー。決められた言葉しか返ってこない人形って感じ? 俺も先生に頼まれて何度か話しかけに行ったことあるけどさ、言葉が届いてる感じが全くしないんだよなぁ』
(アルベールがミアを無視してくれた時、ちょっと安心しちゃってたけど。あれがアルの正常運転なら、普通に考えてマズいのでは!?)
レイラはない頭を必死に回す。
レイラ以外の人間と普通に会話をしない。
↓シャカ
アルベールの世界が狭くなる。(レイラだけになる)&人から嫌われる。
↓シャカ
余計にレイラにしか執着しなくなる。
チーン
よーし、まずい。このままだとまずい。それだけは、はっきりとわかる。第一人に嫌われていいことなんて何一つないのだ。なまじ一人で何でも出来るアルベールだから骨身に染みていないのだろうが、彼の将来のためにもこの癖は直しておいた方がいい。
(よく考えたら、これもアルのヤンデレを治す第一歩よね!)
レイラは実家で飼っていた犬のことを思い出す。血統書付きの立派な犬などではなく、捨てられていた雑種の犬だったが、レイラは彼のことが大好きで、お世話は全部彼女がやっていた。もちろん、躾も、だ。
(アルを躾けると思えば良いのよね! 大丈夫、私そういうの得意だったわ!)
そんなことを思っていると、勇気を出した女生徒の一人がアルベールに話しかけてきた。
「あ、あの、アルベール様」
「……」
無視である。全力の無視だ。もしかすると彼女の姿はアルベールに見えていないのかもしれない。それぐらいの態度だった。レイラは思わずアルベールに呼びかけた。
「アル、呼ばれてるよ」
「大丈夫だよ。ちゃんと聞こえてる」
「それならどうして返事しないの?」
「僕はレイラの声にしか反応しないように出来ているんだ」
(なんだその謎仕様)
会話に置き去られた女生徒に、レイラは「すみません。ちょっと向こうで待っててもらえますか? 後で行かせますから」と、まるでアルベールの保護者のように頭を下げた。すると、助かったと言わんばかりに女生徒はその場から逃げていく。
レイラは改めてアルベールに向き合った。
「アル、人に呼ばれたらちゃんと返事しないとダメだよ?」
「なんで?」
「相手が困っちゃうし、何もしてないのに嫌われちゃうでしょ?」
「僕は別に、誰に嫌われてもいいよ。レイラだけがそばにいてくれれば、それで十分」
「そ、そうじゃなくて、私が嫌なの。アルがみんなに嫌われると、私が嫌!」
「レイラが? どうして?」
どうして? その返しは予測してなかった。レイラとしては、自分が嫌だから嫌なのであって、それ以上の理由もそれ以下の理由もない。だけどここで「とにかく私が嫌なの!」と返しても、アルベールは納得してくれないだろう。なんとなく、そんな気がする。
暫く考えた後、レイラの頭上にひらめきが落ちてくる。しかしそのひらめきは、いつものレイラなら考えつかない方法で、だからこそ、口にしにくかった。レイラは逡巡し、ようやく腹を決めて、口を開く。
「あのね、えっと。あ、アルと私は恋人同士なんでしょう? 恋人がみんなに嫌われてるのは、その、嫌、じゃない……?」
自分から『恋人』と言う単語を使ってしまった事実に頬が熱くなる。しかし、その効果はてきめんで、彼は驚いたよう似目を見開いた後、嬉しそうに微笑んだ。
「そうだね。僕もレイラが人から嫌われるのは嫌だな」
「でしょ?」
「だからといって、好かれすぎても嫌だけどね。そんなことになったら、レイラを僕にしか見えないところに閉じ込めた上で、君のことを好きになった人間の目を一つずつ潰していかないといけなくなるからね」
(一瞬バッドエンドの影が見えた気がするなぁ……)
レイラは遠い目をする。
アルベールと一緒にい始めてもうじき一ヶ月ほどになるが、なんだか常にバッドエンドとニアミスを繰り返しているような気がする。まるでそこら辺に転がっている石のように、バッドエンドが至る所に落ちているような感覚だ。
アルベールは顎を撫でて何やら考えた後、ベンチから立ち上がった。そしてレイラの目の前まで歩いてくる。
「わかった。レイラがそこまで言うなら、さっきの子に話しかけに行ってくる」
「ホント!? ありがとう! あ、でも、あくまで優しくよ? 紳士的に!」
「わかってるよ」
本当にわかっているのかはわからなかったけれど、いい笑顔で彼はそういう。
「レイラ、その代わりちゃんと出来たらご褒美ちょうだい」
「ご褒美?」
「とっておきのご褒美。そしたら僕、これからもがんばっちゃうかもしれない」
アルベールはレイラの耳に唇を近づけると、息のかかる距離で、蜂蜜のように甘く、それでいて少し毒を含んだような囁き声をだした。
「犬のように躾けようとしてくれてるのなら、ちゃんとしたご褒美がなくっちゃ」
まるで心を読んでいたかのような台詞に、レイラはアルベールから距離をとった。反射的に身を押さえてしまったのは、それ以上甘ったるい声を聞かせられたら、頭がどうにかなってしまうかもしれないと思ったからだ。いい反応を見せるレイラにアルベールは「顔まっか」と肩を揺らした。
「それじゃ、行ってくるね」
アルベールはよそ行きの笑みを顔に貼り付けると、先ほど女生徒が去って行った方向に歩き出す。すると、木の陰に隠れていたのだろう女生徒が飛び出して、アルベールと会話をし始めた。会話の内容は遠すぎて聞こえないが、様子を見るにレイラと話すときと変わらない、とまではいかないけれど、そこそこちゃんと普通に会話しているようだった。
暫く会話をして、女生徒が頭を下げる。アルベールがそれに片手を上げて、こちらに身体を向けた。おそらく「ありがとうございました!」「うん、いいよ」という会話を交わしたんだろうということだけなんとなくわかる。
アルベールがレイラの元へ返ってくる。
「アル、なんの用事だったの?」
「先生からの伝言だった。次の実技の授業、僕には指導の方に回って欲しいって。教えることはしなくていいから、他の生徒たちが危ないことをしないかどうか近くで見ていて欲しいって」
「へぇ……? それって、いつものことなの?」
「まぁ、よほど珍しい実技じゃなければ?」
「なる、ほど……」
(先生、それはいくら何でも頼りすぎでは!?)
いくら、もしかしたら自分よりも魔法が使えるかもしれない相手が生徒だからって、指導の方に回すのはどうなのだろうか。
(でも……)
出来ることをただひたすらにやらされるアルの気持ちを考えるとそっちの方が幾分か気持ちが楽なのかもしれないなとも思った。同じ実技をやれば自分と他の生徒との間に差があるのが明確になるだろうし、それでやっかまれることもないとは言えないだろう。アルベールの表情を見る限り、先生の申し出を不快だと思っている感じでもなかった。
「もしかしたら先生は、先生なりにアルを授業に参加させようとしているのかもね」
「レイラは優しい考え方をするね。先生は自分の面子を保つためだけに言っているだけなのかもしれないよ?」
「そうかもしれないけど。……どうせ相手の考えていることがわからないのなら、ポジティブに考える方がよくない?」
「そうだね」
アルベールは口角を上げた。その瞬間、彼が先生の提案に対して不快さをあらわにしていない理由を知った気がした。
(もしかして、先生の面子を守っているつもりだったのかな?)
彼が先生の気持ちをそう解釈していたならば、その可能性はある。と言うか、きっとそうだったのだろう。
「やっぱり私、アルが勘違いされたままは嫌だな」
「恋人だから?」
「そ、それももちろんあるけど! ……アルの優しいところが誰にも伝わらないなんて嫌だもの」
レイラの言葉にアルベールは何も言わずに目を細めた。その表情の意味はまだ良く読み取れない。ただただ、ひたすらに優しい視線だった。
アルベールはそのままレイラにもう一歩距離を詰めてくる。あまりにも詰まってきた距離に彼女は距離をとろうとするが、それはいつの間にか腰に回っていたアルベールの腕によって阻まれてしまう。そのまま逃げられないようにもう一本の腕もレイラの背に回った。
「それじゃ、レイラの優しい恋人である僕は、そろそろ君にご褒美を強請ろうかな?」
「あ……」
先ほどの会話ですっかり失念していた。そういえば、そんな話だった。
レイラはアルベールの腕の中で頬を染めながら、彼の胸当たりのシャツをぎゅっと握る。
「え、えっと。ご褒美ってどんなものを強請られるんでしょう?」
「そんなの決まってるでしょ。僕が恋人であるレイラに強請るんだから」
アルベールはそこで意味深に言葉を切った後、レイラの身体を更に抱き寄せた。アルベールはレイラの肩口にしっかりと顔を埋めながらそのまま彼女にだけ聞こえる声を出す。
「えっちなの」
「え」
その瞬間、何も考えられなくなった。全身の血が一気に沸騰し、目の前がクラクラしてくる。一瞬にして首筋がほてり、汗がぶわっとふきだした。レイラはこれ以上ないというほどの真っ赤な顔で震える唇をなんとか動かした。
「そ、それは――!」
そう声を上げた瞬間、頬の方でちゅっとリップ音がした。「え?」と間抜けな声を出すと同時に、アルベールの身体がレイラから離れていく。アルベールにキスをされたのだと気がつくのにはそんなに時間がかからなくて、レイラはキスされた方の頬を手で覆いながら、もう一度「え?」と困惑した声を出した。
「どう? ドキドキした?」
「ア、ア、アルの馬鹿ぁ――!」
心の声が口から飛び出した。その怒鳴り声にアルベールはお腹を抱えて笑い出す。
「レイラ、本当にえっちなのは、また今度にね?」
「絶対に、しません!」
レイラは地面を踏みしめながら、そう荒れた声を出した。
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