9.「レイラと食べる食事は何でも美味しいのかもしれないね」
ピエールたちの傷を全て治し、彼らの記憶を全て夢だったことに書き換え終える頃には、もう空に星が瞬いていた。寮の門限にはまだ間に合いそうだが、完全に夕食は食いっぱぐれていて、二人はアルベールの提案で学園の外に食事をとりに行くことになった。
セントチェスター・カレッジは、レイラの住んでいる国、ハロニアの端に位置しているモンドスという街の中にある。そこは学園のために作られたような街で、世界で一番魔法が飛び交っている街とも言われていた。といっても、魔法が使える人間自体がそもそも少ないので、正確には魔道具が多く使われている街、というほうが適切だろう。その証拠に彼らの頭上を照らすのはオグルクールというホオズキによく似た植物を加工したランプだし、観光者用にワゾーという鳥形の灯りもそこら辺で売っている。ワゾーは一見すると普通の鳥のように見えるのだが、使用するとお腹と羽が光を放ち、使用者の足元を照らすのだ。しかも、使用者として認識されると、ワゾーは勝手についてくる。値段は少々お高めだが、モンドスに来た観光客は、記念にとよくワゾーを買って帰る。そういったこともあり、モンドスでは土産物としての魔道具の生産も盛んで、工房が至る所に点在していたりする。セントチェスター・カレッジの卒業生の何割かは、ここの魔道具工房で就職したりもするのである。
レイラは学生用の安価な魔石をたたき売りしている商店を横目に、制服の上から着ている外套のフードを深く被りなおした。
「こ、こんなことして怒られませんかね?」
「怒られないよ。多分」
彼女の質問に、アルベールは足取りも口調も軽くそう言ってみせる。彼もレイラと同じように外套を身に纏っており、特徴的な白銀の髪をフードで隠していた。学園の生徒が許可なく学園の外に出ることは禁じられており、もし先生などに見つかってしまった場合、一定期間の外出禁止や、停学や退学といった厳しい罰則が待っている。そんなことなど気にも留めていないようなアルベールに、レイラはがっくりと肩を落とす。
「そりゃ、アルベール様は怒られないかもしれないですけど……」
「僕が怒られないなら、きっとレイラも怒られないよ」
「それはないですよ」
「だって、僕が誘ったんだよ。君が僕の誘いを断れるわけないでしょう? 先生たちだってそう考えるに違いないよ」
隣国とはいえ王族の申し出を、没落しかけた子爵家の令嬢が断る事なんて出来ない。
周りはそう考えるはずだとアルベールは言ったのだ。つまり、ことが露見してしまった場合、自分が無理矢理レイラを連れ出したことにして全ての泥を被る、とアルベールは言っているのである。言葉の意味を正しく理解したレイラは、不満げに唇を尖らせた。
「決めたのは私ですし、そういうわけにもいかないので。怒られるときは一緒に怒られます!」
「ふふ、レイラってば優しいね」
「……嘘が苦手なだけですよ」
「それじゃ、余計に見つかっちゃダメだね」
アルベールは懐から杖を取り出すと、聞き取れないほどの小さな声で呪文を呟いた。すると杖の先に光の粒のようなものが収束する。アルベールはその光の固まりを杖の先でレイラの額にそっと置いた。すると、何か淡い光のようなものがレイラの身体を包み、そしてすぐに消えてしまった。何が起こったのかわからず呆けるレイラを尻目に、アルベールは自分にも同じ魔法をかける。
「これは?」
「認識阻害の魔法。言うなれば、透明人間になれる魔法かな? 自分から話しかけたりすれば気づいてもらえるけど、それ以外では他人から認識されなくなる。僕とレイラはもちろんお互いを認識できるけどね。これ、結構便利な魔法だから、ちょっと気に入ってるんだ」
普段から頻繁に使っているのだろう。彼はそう言ってウィンクをしてみせる。レイラは自身の手のひらを見つめ、何も変化していないことを確かめた後、アルベールを見上げた。
「あの、この魔法って学校で習うんですか?」
「さぁ。どうだろ。でもそこまで難しい魔法じゃないから、習うんじゃないかな? 今のところ、僕は習ってないけどね」
「前々から気になってたんですが、アルベール様はどうして学園に入ってるんですか?」
アルベールは学年だけでいうのならば二年生だが、使える魔法はもうすでに学園で教わるレベルを超えている。今日使った認識操作の魔法や、認識阻害の魔法もそうだし、ピエールたちを囲っていた黒いドームのようなものも教科書では見たことがない。最初レイラのことを縛っていた蛇のようなものだって、習うかどうか怪しいところだ。つまり、彼が学園で学ぶことは何もないのである。
レイラの質問に、アルベールは「うーん」と顎を撫でた。
「それは、学園を卒業したって証明が欲しいからかな?」
「卒業の証明、ですか?」
「僕の国ではね、闇属性は禁忌の力なんだ。だから偉い人は、僕がそれをコントロールできてますって証明が欲しいみたい。躾けられていない猛獣は飼えないんだろうね。まぁ、僕が逆の立場でも同じように思うし、こればっかりは仕方がないよね」
悲壮感など少しもなく、むしろ唇の端を上げながらアルベールはそう答えた。
その答えに唖然としながらも、レイラはまた口を開いた。
「それじゃぁ、もし卒業できなかったら、どうなるんですか?」
「鎖をつけて檻に入れられるんじゃないかな? ……でもま、それだけのことだよ」
まるで好きな食べ物を答えるときのような気軽さでアルベールはそう答えた。レイラは彼の答えに思わず声を大きくしてしまう。
「そ、それだけじゃないですよ! 今日のこととか、バレたらヤバいんじゃないですか?」
「まぁ、バレたら結構ヤバかったかもね?」
セントチェスター・カレッジは魔法学園ということもあって、応用魔法学で教わるところまでに限るが、学園内で魔法を使ってもいいことになっている。けれど、それも『人を傷つけない場合に限り』だ。学園でも教わらない魔法を使い、人の腕を切り落とすなんて暴挙、バレでもしたら大変なことになっていた。いくら隣国の第二王子であろうが、退学という選択肢も出てきてしまっていただろう。
「大丈夫。鎖とか檻とかは比喩表現だよ。でもまぁ、卒業できることに越したことはないからね。ちゃんと認識操作魔法が効いてるようで良かったよ」
起き抜けのピエールたちの事を思いだしているのだろう、アルベールの顔に笑みが浮かぶ。
ピエールたちは目を覚ますと自分たちの身体を確かめ、目の前にいるアルベールに小さな悲鳴を上げた。それを黙って見つめていると、「すみません。ちょっと寝惚けてたみたいで……」と頭を下げ、そそくさと寮に戻って行った。あの反応を見る限り、魔法は正常に効いていたのだろう。この事が明るみになればレイラだってただじゃ済まなかったので、そのことには純粋にほっとした。
街を歩いていると、酒場から元気の良い男性たちの笑い声が聞こえてくる。店の前に屋台を出しているところも多く、夜なのに大通りには活気が満ちていた。レイラはそれを横目にアルベールの隣を歩く。そろそろお腹が鳴りそうなのだが、どの店に入れば良いのかわからなかった。なんせ隣を歩いているのは王子様だ。何が口に合うのかよくわからない。
(おしゃれなお店が良いんだろうけど、持ち合わせもそんなにないしなぁ)
お財布の中身ことを思うとちょっと切なくなってくる。貧乏学生をやっていると、こういうときにちょっと引け目を感じるし、困ってしまう。家からの仕送りもそんなにないので、そろそろバイトもやらないとなぁと思っているのだが、学生の身分で良いバイトがあるかどうかも怪しい。
その時だった。焼けた肉の美味しそうな香りがレイラの鼻腔をくすぐった。塩も胡椒もきいている脂ののったお肉の香りだ。肉の奥に感じる炭火の香りが、更に彼女の食欲を刺激した。レイラは匂いのした方に顔を向ける。そこには、彼女の胴体よりも太いお肉がぐるぐると回りながら炙られていた。炙っているのは三本の棒のような魔道具。魔道具は定期的に火を噴き出して金属の棒が刺さったお肉を上手に焼いていく。それを店員がナイフで削いで薄いパンの間に挟み込んでいた。
「わぁ!」(ケバブみたい!)ぐきゅるるるるる……
見事なまでに重なったお腹の音に、レイラは頬を染めながら腹部を押さえた。お腹の音がバッチリ聞こえていたのだろう、アルベールは肩を揺らしながら「ここにする?」と提案してくれた。
「ここ、美味しそうですけど。……買い食いになっちゃいますよ?」
王子様が買い食いなんてしてもいいのだろうかと、不安になりそう聞くと、アルベールはなんてことない顔でレイラに微笑みかけた。
「大丈夫だよ。ほら、こんな時のための認識阻害の魔法だから!」
「……違いますよね?」
「違わないよ。レイラしか見てないのなら、何も気にすることないじゃないか。今の僕は王子様でも何でもないよ」
そう言ってアルベールはレイラを置いて屋台へと歩いて行く。レイラも慌ててそれについていった。
屋台には先ほどのお肉とは別の軽食も置いてあった。中から香辛料の香りが漂ってくる三角形の揚げ物。こぶし大のチーズが練り込まれているパン。紙で出来た四角い箱に入っているのはサラダで、その隣には細長いパイが三種類ほど並んでいる。単純にソーセージを焼いたものもや燻製にしてあるチーズも置いてあった。
「どれにしよっか?」
「どれも美味しそうで迷っちゃいますね」
正直、どれも食べてみたいが、お腹の容量にもお金にも限界がある。ここは慎重に選ばなくてはならない。レイラが厳しい表情で商品を吟味していると、隣にいるアルベールが声をかけてきた。
「レイラが嫌じゃなかったら、いろいろ買って一緒に食べる?」
「え!? 良いんですか?」
思わず声が跳ねる。するとアルベールの笑みは更に濃くなった。
「うん、もちろん。僕もいろいろ種類が食べてみたいからね」
それから二人は屋台にあった商品をいくつか買った。隣にあった店でスープも購入し、そのまま噴水のところにあったベンチに腰掛ける。四人ほどが座れるベンチだったので、二人は端に座り、その間に買ってきた商品を置いた。
「わ! なんか豪華ですね!」
「ほんとだね」
結局お金はアルベールが出してくれた。というか、気がついたらもうお会計が済んでいた。レイラは自分も出すと言ったのだが聞き入れてもらえず、だけど奢ってもらうのはやっぱりどうも気が引けて、レイラは仕方なくその隣の店で二人分のスープを買ったのである。
「というか、本当に良かったんですか? お金……」
「レイラってば意外としつこいね?」
「いやだって、あそこ、観光客向け価格で結構高かったし……」
「あぁ。あれ高いの?」
「高いですよ! うちの地元で同じようなの売ってますけど、半額以下ですよ! 半額以下!」
レイラの勢いに、アルベールは「そっかー。食べ比べるなんて事ないからなぁ」と軽い調子で笑う。
「でも、どちらにせよレイラは気にしなくてもいいよ。僕がそうしたかったってだけの話なんだから。それこそ、値段がいくらだろうが関係なかったわけだし」
「だとしても――」
「というか、一国の王族に割り勘を提案するなんて、レイラも結構礼儀知らずだよね?」
アルベールの言葉に、レイラははっとしたような表情で固まる。そしてしばらくの後、ぷるぷると震えだした。
「こういうときだけ身分を使って!」
「あはは。こういうときしか使い道がないからね」
何を言っても自分の意見を曲げる気がないアルベールに、レイラは仕方がないといった調子でため息を吐く。そして軽く頭を下げた。
「それじゃ、ありがたくごちそうになります」
「レイラってば、律儀だね。……で、どれから食べる? とりあえず、お肉のやつから食べてみよっか」
アルベールは最初に目をつけたケバブのような軽食を手に取ると、レイラに「はい」と差し出してくる。レイラは差し出された軽食とアルベールを交互に見て、少しだけ低い声を出した。
「あの、一人で食べられますよ?」
「知ってるよ? はい、あーん」
「あーん?」
「あーん」
(これは話を聞いてくれないやつだ……)
レイラは諦めてアルベールが差し出してきた軽食に齧りつく。そして、暫く咀嚼した後「んん!」と目を輝かせた。
「わ、美味しい! これ、美味しいですよ? 中に入ってるお肉も美味しいですけど、一緒に入ってる野菜もシャキシャキで! ソースもピリッとしてるし!」
「そう? レイラが喜んでくれたのなら良かった」
そう言ってアルベールも同じものに齧り付く。『一緒に食べる?』と聞かれた時点である程度覚悟していたが、自分が食べたものを相手も食べるという感覚がなんだかとっても恥ずかしい。『間接キスだ!』と声を上げる年齢ではないけれど、それでもそういう単語が浮かんでしまうぐらいには彼を意識した。
レイラはそんな自分の感情を隠すように「どうですか?」と首を傾げる。
すると、アルベールはどこか意外そうな声を出した。
「ホントだ。美味しいね……」
「ですよね!?」
美味しい、が共有できた喜びでレイラは声を大きくした。アルベールはもう一口頬張ると、「やっぱり美味しい……」と不思議そうな声を出す。そこでレイラも彼の異変に気づいた。
「どうかしたんですか?」
「前にこの店で同じものを前に食べたことがあるんだ。でも、正直その時は全然美味しいと思えなくて。一口囓っただけで他の人にあげちゃったんだよね」
「そうなんですね。その頃と味付けを変えたんですかね?」
「そう、なのかな」
アルベールはそう呟きながら、こちらに軽食を差し出してくる。レイラは髪を耳にかけながらまたそれに齧り付いた。その光景を見ながら、彼はふっと表情を緩める。
「もしかしたら、レイラと食べる食事は何でも美味しいのかもしれないね」
穏やかに微笑むアルベールの表情にレイラは一瞬だけ頬を染めると口の中に入っていたものを飲み込んだ。そして、「気のせいですよ」と小さく呟き、彼から視線を逸らすのだった。
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