アニマの補償性
バスケ部の居残り練習を終えた後のろのろと帰宅した。違うクラスの有島さんと自転車置き場で居合わせたので、いつも通りレギュラー入りへの厳しめの励ましを受けた。自分も有島さんもお互いの距離感がつかめず、有島さんはどうにか関係を続けようとして、この話題をよく持ち出しているのである。しかし、有島さんのずるい所は小学生の頃からテニスの経験があり、テニス部では部長を任されるほど実力があることである。現在、一年生であるにも関わらずバスケ部のレギュラーを獲得している里山もバスケ歴が長い。また、有島さんはスポーツにおける才能の存在を知らないはずはないのだが、どうも我が中学のバスケ部における内情をあまり知らない様子である。
二階建ての家屋に入り、階段を上り風呂場へ。母親が言うお帰りを耳にしながら、洗面所の扉を閉めて鍵をする。一年生の当初同学年のバスケ部員は八人いたが、今では六人で一人辞めかけている状況である。八人の内バスケ経験者は一人だけで、後の七人はバスケ経験がとても浅かった。しかし、その七人の内三人が頭角を現し始めた時一人一人と同学年のバスケ部員が辞めて行った。バスケ部の実情を知る者はおいそれとレギュラーになれとは言わない。バックから体操着を取り出し、体操着を洗濯籠にぶち入れる。着ている服を適当に脱ぎ散らかして、とにかく熱くしたシャワーを浴びる。人生のままならなさを嘆いても仕方のないことだ。
有島さんが男子バスケ部の内情を知らないのも無理はない。単に運動部を辞める人間が一人二人いることは何ら不思議な現象ではないし、女子テニス部のようなマンモス部では一人二人退部した所で話題にならない。また、我が中学における運動部に受け継がれる伝統として、三年が夏休み前まで部活動に参加するとはいえ、三年は春季の大会が最後の大会であるし、部長副部長の役職も二年に移行してしまうので、春季の大会終わりに辞める部員もいるのである。たまたま男子バスケ部の三年が一人を残してバスケ部を辞めることも不思議なことには見えない。有島さんの応援は嬉しいことは嬉しいのだが、現実問題男子バスケ部で活躍できる未来はない。
シャワーを止めないままシャンプーを使う。頭を適当に洗い終えた後石鹸を手で泡立てて体中を洗う。いちいち律儀にシャワーを止めるタイプの人間は一体どの程度存在するのだろうか?とても高尚なエコ意識がある人間かあるいは金銭的な節約をしている人間かあるいはちゃんと身体を綺麗にしたい人間かだろう。しかし、私はどの動機も希薄極まりないし、いちいちシャワーを止めたりする行為が、面倒だという感情しか湧いては来ない。もう沢山の面倒なことに耐えてきたのだから、シャワーぐらいは贅沢に使わせてもらおう。シャワー代も積み重なれば高くつくのかもしれないが、シャワー代もまた養育義務の中に含まれている代金のはずだ。いや、無理に弁明する必要も特にないのだが。
シャワーを止める。風呂場の扉を開けて手を伸ばし、手にしたバスタオルで体を拭く。正直、有島さんとの関係が続く未来も想像することさえできない。有島さんへの恋愛感情を麻薬のように注入しながら生きながらえる戦略も使えるのは中学までだろう。いや、有島さんが近くに居なくとも祭り上げることで、有島さんの残滓を偶像的に崇拝できるだろう。中学入りたての頃よりかは嫌に鍛えられた筋肉が解る。筋肉だけついてもバスケが上手くならなければ意味がない。だが、この筋肉がクラス内での地位を低めない牽制として機能していることも事実である。あまり感謝したくはないけれど、厳しい顧問の特訓が効いている。いや、筋肉だけある惨めさが際立つ所が痛々しさを増している可能性もある。
体を拭き終えた後バスタオルを腰に巻いて二階の真ん中にあるリビングのタンスに着替えを取りに行く。リビングに繋がるダイニングのテーブルには料理が残されている。洗面所に戻り扉を閉めた後服を着る。服を着た後は北側にある居候している部屋へ通学カバンと体操着バックを持っていく。居候部屋には昔から変わらないことであるが、兄と母が全く別々に会話なくくつろいでいた。兄は居候部屋に向かって右側の窓下にある勉強机に置いたパソコンを操作している。兄はネットで動画を見るかソシャゲをやるかしているのだろう。兄には高校から帰ると同時にパソコンをつける習性がある。母は寝転びながら雑誌を読んだりスマホを操作したりしている。母がこちらに顔を向ける。
「お帰り。」
「ただいま。」
母の顔は幾分憔悴してるように見える。通学カバンや体操着バックを置く自分の勉強机は兄の勉強机の隣にあるので、自分の勉強机に近づく時には隣の勉強机に座る兄に近づかねばならない。反抗期の兄に植え付けられた恐怖はほんの数年で簡単に抜けるものではない。身体が若干硬直するのを感じながら通学カバンや体操着バックを自分の勉強机の上に置く。無意識のうちに自分の顔がへらへらと笑い出すのが解る。兄のパソコンをのぞき込んでみれば、ハーレム物のアニメが再生されていた。兄はジャンルを問わずアニメを見る人間なので、特にハーレム物が好きなわけでもないだろう。パソコンの世界に逃避した兄は段々と丸くなりつつある。
パソコンだけが兄を丸くしたのではなく近所にいる兄の親友や高校でできた友人たちが兄を癒して来たことも大きい。ただ、恐怖していた兄が無害化して行く様を何だか薄気味悪く感じている。一人夕食を食べるためダイニングに向かう。兄の反抗期はプロローグとエピローグを含めて五年続いたと言えるだろう。反抗期の平均的な年数がどのくらいか知らないが、五年続いた兄の反抗期は自分の世界観を大きく変えた。食器を取り出して、ご飯や味噌汁をつぐ。兄の反抗期が荒れていた原因は兄が家族のスケープゴートとして家族の心理的な課題を背負わされていたからだ。家庭でのスケープゴートの役割が学校でのスケープゴートの役割に転移したことも兄の心理状態の悪化を助長させていた。
準備を済ませた後手をきちんと合わせて頂きますと言う。テーブルにはあまり手間のかからない料理が並べられている。美味しくないとは言わないけれど、母の心労を考えずにはおれない。母の心労とはいうものの、兄の件は母にも原因がある。それに、姉が私立の美大に入学することを許したのも母自身だ。いくら母が良き母を演じていようとも、母自身にそのツケが回る始末であり、悪く言えば自業自得でしかないのだ。しかし、子どもというものは良き母として振る舞おうとする母を配慮せざるを得ない心象が生じてくるものだ。だから、これまで兄が反抗期に突入して以来というよりそれ以前から母に迷惑を掛けまいとする努力をしてきた。母は手間のかからない次男坊を都合良く感じているだろう。
ただ、テレビのニュースで流れてくるような凄惨な家庭で養育されてきたわけではない。兄の反抗期もとりわけ物理的な暴力自体は盛んではなく、物理的な暴力を匂わせた精神的な支配がなされていた。機能不全気味の不幸な家庭環境なんてわざわざ探さなくともどこにでもある。どこにでもあるその家庭環境に身を置いていることが悲劇のヒロインを気取ることを可能にするものではないことは理解している。だが、身体に染みついた人と接する時の身構えはあらゆる物事や人物に対する態度に反映されている。また、自分の歪められた世界観は自分を防衛することに貢献するにせよ、自分の幸福を増進するような積極的な意味合いがないだろう。
諦めに諦めを塗り重ねた挙句怒りを感じる反応にズレが生じてきた。というより、自分自身の怒りに気づくことがほとんどできない状態にある。まるで死を目前にした老人のような心境に近いが、抑圧し過ぎた結果感情が感知困難なだけだ。夕食を食べ終えたので、テーブルの上を片付ける。ダイニングと繋がるリビングの方を見やると、リビングの奥にある部屋の横開きの扉から、わずかな光とかすかなテレビの音がもれている。部屋にはお堅い職のお偉い方だった祖父がくつろいでいるだろう。まだ帰宅していない祖母もまた家庭のいざこざを解決する職に就いていた。だが、祖父母は兄の反抗期や不登校を解決できない無能で、あまつさえ無関心を装うような態度さえ見せていた。
食事の片づけを終えた後椅子にもたれかかるように座り込む。食後の休憩をした後宿題をしなければならない現実に少しばかり憂鬱になる。兄の一件以来兄を取り巻く大人の無能さ加減に嫌気が指したために大人に対する信頼度も低下している。ただ、兄の一件が問題でなくなるまで怯えるだけの生活をしていた自分の情けなさもひどく感じていた。しかし、たかが小学生の坊主や中学生の少年に一体何ができたというのだろう?自分もまた周りの空気に合わせて兄の不登校を責めるなど兄を傷つけたり追い詰めたりしていただろう。ただ、傷ついていたり追い詰められたりしたのは兄だけではない。だが、母もまたそのような論理にあぐらをかいてしまうのだろうか?
ダイニングのテーブルで通学カバンから取り出した宿題を粛々とこなしていく。課題は英語の毎日一ページノートと毎日一ページの自由ノート、提出期限がまだまだ先である数学のプリントだけである。数学も英語も得意な科目だから簡単にこなせるけれど、自由ノートはその内容を決めることの難易度が高いのだ。今回は理科のプリントか理科の基礎ワークを利用して一ページ埋めることにした。途中祖父が一階の書斎に向かう時通りすがりはしたものの、ダイニングとリビングが繋がる広い空間を一人で使用している。自分のものが置かれているわけでもないこの空間だが、自分以外の誰もいないことが心を落ち着かせる。自由ノートを三分の二終わらしたところで、うとうととうたた寝をしてしまった。
森林内に幼稚園がある。南向きの校舎が建つ。校舎の左側正面に正面玄関がある。校舎の右側正面に砂場と水場が隣接する。校舎の右横にはじめじめした地面に鉄棒がある。校舎正面には正面入り口がある。正面玄関の右側には鳥小屋がある。鳥小屋の右には斜めに開くもう一つ入口がある。正面玄関の左側には複合遊具がある。グランドの大きさは幼稚園にしては大きい。幼稚園児たちがグランドで複数の円を作り、歌を歌いながらぐるぐると回り続けている。真ん中の大きな円に組している私は楽しく歌を歌いながらぐるぐると回り続けている。白色のポロシャツにチェックが入った深緑色のスカートを着ている。白色のポロシャツの左胸辺りに付けている名札には「ひまわりちゃん」と書かれている。
私はふと校舎右横のじめじめした地面に鉄棒がある方向を見る。男の子が独り座り込んで、何かを探している様子だ。私は両隣の子たちの手を離して、その男の子の方へ近づいていく。途中から歩き出したじめじめした地面は歩く度に感触の気持ち悪さを感じさせた。近づくにつれて男の子がクローバーの群生する場所をかき分けているのが見えた。私は男の子が四葉のクローバーを探していることに気が付いた。幼稚園の皆が大きな輪を作り遊んでいる最中であるにも関わらず、男の子が四葉のクローバーを探していることに不気味さを覚える。男の子の足元をのぞき込んでみれば十数本の四葉のクローバーがすでに集められていた。
「何してるの?」
男の子は少しだけ私の方に目をやり、興味なさげに自分の作業を再開した。私は男の子の目の前にしゃがみ込み、男の子の作業をぼんやりと見つめた。男の子の名札には「はるとくん」と書かれている。男の子の顔はいかにも苦悶に満ちた表情をしている。男の子は新たにもう一本四葉のクローバーを見つけたが、あまり嬉しそうには見えず脱力感を見せていた。男の子は新たに見つけた四葉のクローバーを十数本の四葉のクローバーを集めている所に無造作に置いた後四葉のクローバーを探し出す作業を再開した。男の子の作業を静かに見つめていただけの私は、何故か男の子に抑えがたい苛立ちを感じ始めていた。だが、私は手を握り絞めたり歯ぎしりをしたりしながら苛立ちを抑えていた。
限界を迎えた私は男の子の目の前で立ち上がり、男の子の顔を下から思い切りけり上げていた。男の子はのけぞり後ろに倒れた後何が起きたか解らないような表情をしていたが、段々と状況を理解したのか蹴り上げられた顔の苦痛に耐えながら泣くのを堪えていた。男の子は身体を起こすと、反撃するでもなく十数本の四葉のクローバーを両手でつかみ、取られないようにするためか覆いかぶさるようにして守る。私は男の子が蹴り上げられるための大勢をしているように感じ、男の子の腹を横から何度も何度も蹴り上げて男の子を痛めつけた。男の子はもう耐えられないのか蹴られている方向とは逆方向に倒れたが、手に握られた数十本の四葉のクローバーは手放していないままだ。
私は数十本の四葉のクローバーが握られた男の子の手を踏みつけた。男の子は苦痛に耐えることができなくなり、手を踏まれた苦痛に声を上げている。男の子は踏まれていない方の手で私の足を掴んだが、私を攻撃するために掴んだのではなく、へらへらとした笑顔を浮かべながら、私が攻撃しないよう縋りついてきた。私はいよいよ気持ち悪くなり、手を踏んでいる足を引いた。男の子は涙や鼻水や涎で汚い顔でへらへらとした笑顔をし、手に掴んでいた数十本の四葉のクローバーを渡そうとしてくる。私は男の子から数十本の四葉のクローバーを貰い、馬乗りになりながら男の子の口に突っ込んだ。男の子は私の手首を掴んで私の手を口から離そうとするが、男の子の力は弱く口内の異物にむせている様子である。
最初は興奮できた男の子が口内の異物にむせ返る様子に退屈してきた。私は男の子の口に四葉のクローバーを突っ込むことを止める。男の子は口の中から四葉のクローバーを吐き出している。私は単純に痛めつけたくて、男の子の顔を叩くことにした。男の子は体液を垂らしながら依然としてへらへら笑顔でいる。上手く叩くことができれば、その頬からいい音がするので、上達できるように努力した。しかし、段々と私の手まで痛くなり、私は不快感を覚えてきた。私は男の子の顔を叩くことを止める。男の子の頬は赤く腫れあがり、男の子はどんどん醜くなる。私は醜いものがとても嫌いなんだ。私はスカートのポケットに何か入っていることに気が付いた。
私はそれが何か確認するため、一度立ち上がることにする。男の子は私とは逆方向に身体を横たえる。私はスカートのポケットから錆び付いたカッターナイフを取り出した。私はカッターナイフを入れ直し、身体を男の子の方に向け直した。男の子はもぞもぞと何かをしている。私は男の子が何をしてるのかのぞき込めば、男の子はおちんちんをいじいじしていた。私は男の子を無理やり仰向けにさせて、両手で男の子の両手の手首を抑えながら、先程とは逆向きに男の子に馬乗りする。そして、男の子の両手を両足で踏み直し固定した後ズボンとパンツを同時に脱がす。背中の方から男の子のうめき声が聞こえたが、人ではないような動物的な発声をしていた。
私はスカートのポケットからカッターナイフを再び取り出した。カッターナイフの刃を適切な長さに調整した後カッターナイフを利き手の右手に持つ。左手で男の子のおちんちんをぶにゅぶにゅと触ると、男の子は気持ちよさげな声を上げ始めた。私は男の子のおちんちんが持ちやすい所を探し、おちんちんを切り落とす体勢を整える。私は体勢を整え終えた後カッターナイフの刃を勢いよくおちんちんの根元に突き刺し切り落としにかかる。男の子は全身に力を入れて暴れ出したので、中途半端にしかその根元が切れていない。男の子は私の両足から両腕を外し私の身体を殴り始め、その両足をばたつかせながらおちんちんを守ろうとする。だが、私は無慈悲におちんちんの根元を切り落とすことに成功した。
男の子は激痛によるものか興奮によるものか気絶した。私はおちんちんの生えていた所から流れる血を眺めていた。私は男の子を素敵にすることができたように思えた。私はカッターナイフの刃を収めると、カッターナイフをポケットに入れた。私は男の子の上から立ちのいた後、服に血がついていることに気づいた。私はグランドの中央で遊んでいる幼稚園の皆を見やる。私もこちらに来るまで皆に組していたのに、何だか不気味なものに思えてならない。私は近くにある誰も使わないこれまた錆び付いた鉄棒で遊ぶことにする。前回りをした時の爽快感は素晴らしかったが、着地した時の地面の感触は気持ち悪かった。全てが台無しにされた気分になり、隅の木陰で休むことにした。おやすみなさい。
ダイニングの机から突っ伏していた身体を起こす。ダイニングに繋がるリビングの壁に掛けられた時計の針は十時半過ぎを指していた。起き立ての頭に残存する夢に現れたはず幼稚園のイメージが立ち消えていく。幼稚園の頃は天真爛漫で純真無垢な園児だったので、いつも元気一杯走り回っていたような記憶がある。幼稚園の頃の記憶を思い出す度自分の人格が途中で入れ替わりを起こしたかのように感じる。あの頃の自分はどこに消えたのか皆目見当がつかない。しかし、適応スタイルの劇的な変化が自分の人格を大きく変化させたことは明白な事実である。実際のところ、あの頃の陽気さが少しでもあれば、もう少し楽しく暮らせているだろう。ただ、もう取り戻せない人格のために泣く必要なんてない。