94歪んだ愛4
命はエミリアを背後に隠す様に庇うと、魔術師と向き合った。もしかしてレイトかもしれないと一瞬考えたが、魔術士の体格はレイトに比べて一回り程小さく、命より少しだけ高い身長なので、その線は消えた。そもそもレイト達が来るのは明後日だ。
「っ!?」
考え事をしていた隙に魔術師は距離を詰めて命に近寄り、手を取ると、いきなり抱きしめてきた。しかも挨拶の様な軽いものではなく、ぎゅううと擬音が出てしまいそうな位熱烈な抱擁に、命は混乱した。エミリアも呆気に取られている。
「あ、あの、助けて頂いてありがとうございます!それで、どちら様ですか?」
「え?」
抱き締められたまま命が身元を確認すると、魔術師が落胆のこもった短い声を発した。動揺で魔術が解けたのか、宙に浮いていたヴィンセント達が音を立てて地面に落ちる。
命はその隙に魔術師から離れてエミリアの肩を抱く。この男もなんだかヤバそうだと身の危険を感じたので、エミリアを連れて逃げようと、気づかれない様に少しずつ後退する。
「貴様!一体何者だ!?人の恋路を邪魔しやがって!」
ヴィンセントの言葉に命は耳を疑った。彼の卑猥な発言が自分を口説いていたという事実に驚きを隠せなかった。
「えー!お兄さんあれで口説いてたの?あんな口説き文句、今どきエッチな本にも載ってないよ?」
魔術師も同じ事を考えていたらしい。否、きっと全員がそう思っているはずだ。エミリアと顔を合わせたら彼女も頷いた。
「うるさい!お前らこいつを片付けろ!報酬は倍出す!」
やはりゴロツキ達は金で雇われた人間らしい。男達はいつの間にやらヴィンセントの背後に集結していた。中には武器を持っている人間もいる。
魔術師は臆する事なく、準備運動なのか軽く両肩を回すと、フード付きの外套を脱いで地面に捨てた。それによって明らかになった彼の素顔にその場にいた全員が目を見張った。
「なんだこいつ……」
「本当に人間なのか?」
ゴロツキ達は恐怖というより驚嘆の声色で魔術師を評した。魔術士の髪の毛は繊細な銀色に輝いていて、長い睫毛に象られた見る者を虜にする桃花眼はルビーのように豪奢で、目鼻立ちがはっきりとしていた。そしてどこか幻想的な雰囲気と色気が溢れてこの世の者とは思えず、美しさのあまりゴロツキ達とヴィンセントは見惚れていた。
「ちーちゃん、俺がこのお兄さん達と遊んでいる間に俺のこと思い出してね!」
魔術師は命とエミリアの方を振り返り勝ち気に笑うと、ヴィンセント達に向き直った。
「やれ!こんなひ弱そうな奴一捻りだ!大体魔術師なら肉弾戦は不利なはずだ!」
我に帰ったヴィンセントの号令でゴロツキ達は気を取り直し魔術師に襲いかかった。
「ねえあの美しい人、命の知り合いみたいよ!もしかして例の彼?」
ひそひそ声でエミリアは命に問いかける。命は右手で頭を抱えて唸る。
「言動と髪と目の色からして多分そうかなーなんて思うんですけど、確証がありません。だってあまりにも別人で声まで違うんですよ!」
命の知っている例の彼はもっと可愛くて声も高かった。三年も時が経てば成長するのはわかっているが、あれは変わり過ぎだった。
「大体なんでここにいるのか。前から空気は読まない子だったけど、さすがに姉家族と一緒に旅行に来るほど図々しく無いはずだし……そもそもお姉ちゃんたち来るの明後日ですよ?なんで今日?」
疑問だらけの現状に命は目が回りそうだったが、ひとつだけ確かな事があった。
「とりあえずお礼も言ったことだし、逃げましょう!」
エミリアを守ることが最優先だと判断した命は、引き続きエミリアを支えながら後退しようとした。
「駄目よ。そんな格好で歩くなんて恥ずかしいわ」
ほぼ下着姿の命を指してエミリアは難色を示した。
「平気です」
「私は嫌。命の服を回収して着替えてからにしましょう」
「……承知いたしました。ただしヤバくなったら逃げますよ」
それって大方の件が片付いてからじゃないかと思いながらも、主人のエミリアには逆らわず、命はとりあえずこちらに被害が及ばないよう警戒して魔術師の方を見ると、エミリアと話している間にゴロツキは全滅して、ヴィンセントだけになっていた。
「化け物かよ……」
「性欲お化けのお兄さんに言われたく無いな」
魔術師はヴィンセントの胸ぐらを掴むと、妖艶に微笑んだ。
「高い高いと殴られるのと、どっちがいい?」
「なっ、俺がお前に何したって言うんだよー!?」
叫ぶヴィンセントに魔術師は冷たい目で睨みつけた。
「俺のちーちゃんを辱めたくせに。その罪、死をもって償え」
「ひっ……!」
魔術師は低い声で言い放つと、ヴィンセントを空高く放り投げた。
「ぎゃああああっ!」
魔術を使ったのかヴィンセントの姿は豆粒ほどのサイズまで飛んでいき、その後悲鳴と共に落下してきた。
そのまま地面に激突するかと思われたが、寸前の所でヴィンセントの体は浮いた状態で止まった。
「言い忘れてた。俺はお兄さんの事は大嫌いだけど、ガーターが好きな所は一緒だよ」
明らかにどうでもいい事を魔術師は口にすると、ヴィンセントにかけた魔術を解いた。ヴィンセントは傷ひとつなく地面に着地したが、恐怖で意識を失っていた。
「さてと…ちーちゃん、思い出してくれた?」
一刻も早く逃げ出そうとエミリアを木陰に隠して、脱いだ服を拾い着替えてた命に歩み寄り、魔術師は自分の正体をきいてきた。命はエプロンを身につけて目を泳がせながら口を開いた。
「と、トキワさんで合ってございます……か、ね?」
変な敬語で答える命にトキワと呼ばれた魔術師は満面の笑みで命の唇に短く口付けた。
「大正解」




