72離れたくない8
いよいよ出発を明日に控えた朝、荷造りは済んでいたので命は自分の部屋を掃除していた。しばらく帰らないつもりなので着なくなった服や下着を処分したり、部屋の窓を開けて棚を動かしてホコリを取ったりした。
一通り掃除が終わって色が変わるくらい汗で濡れたシャツを脱ぎ、タンクトップ姿で着替えを片手に階段を降りると、祈がヒナタと遊んでいた。
「ちーちゃ!」
命に気付いたヒナタが駆け寄ってきたので、ソファに着替えを置いてから、命は蹲みヒナタを優しく抱き上げた。
「ヒナちゃーん、ああ可愛い!」
キメの細かい柔らかなヒナタの頬に命は慈しむように頬擦りをする。ニ歳になったヒナタの目元は父親のレイトに似てきている。
「三年も離れてたら私のこと忘れちゃうのかなー?」
「かもねー!じゃあ行くのやめちゃう?」
祈の問いに命は即座に首を振る。家族と離れ離れになるのは昔から覚悟していたし、夢を諦めたくなかった。
「寂しいなー帰ってくるの三年後かぁ、私たちどうなってるんだろう。とりあえずそろそろ家は建てるかな」
三年後…十九歳の自分は一体どんな人間になっているのだろうか。秋桜診療所で桜と一緒に働いているのは普段から手伝っているからぼんやりと想像は出来た。
「とりあえずちーちゃんは帰ってきたら即結婚かしら?トキワちゃんも三年後には結婚出来る年齢になってるし!」
祈の予想に命はドキリと胸を弾ませる。すっかり家族の間で二人が恋仲というのが周知されてしまっていることに恥ずかしさを覚えていたし、不安に思ってる事もあった。
「……これから三年間、きっと私は自分の事で精一杯になってトキワの事もおざなりになっちゃうと思うんだよね。そしたら流石にトキワの心は離れていっちゃうんじゃないかな」
心情を吐露する命に祈は同調せずに、顔をニヤニヤさせるので命は不気味に思えて後ずさる。
「いんやいやーそれは絶対無いわー!私はね、トキワちゃんをずっと見守って来たからわかるの!マイホーム資金全部賭けたっていいくらいよ!」
自信満々に語る祈に命は少し勇気付けられた。以前桜から遠距離恋愛は上手くいかないと言われていたのが引っかかっていたせいもある。
「それにその言い方だとちーちゃんも大丈夫そうだしね、うふふふ」
「もう、からかわないでよ!」
命は膨れっ面でヒナタを降ろしてから、着替えを持って逃げるように浴室に向かった。
シャワーで汗を流してからリビングに戻ると、母の光が帰ってきて昼食の用意をしていた。
「お母さんおかえり」
「ただいま、手伝ってくれる?」
「はーい」
命は自分のエプロンを身につけて光と台所に立つ。ポテトオムレツを作るようだったので、手際良くじゃがいもの皮を剥く。
「どこ行ってたの?」
「さっき役場に行って明日から診療所をしばらくお休みするから、その対応の説明に行ってきたの」
今回命が村を出るにあたって、光と桜が旅行と挨拶がてら同行する事になっていたのだ。光と桜も昔、命が入学する医療学校でそれぞれナースと医者になる勉強をしていたそうだ。
「前も言ったけど、あなたが下宿するお屋敷のアンドレアナム伯爵は当時お父さんとお母さんの下宿先の息子さんで友達だったのよ。その後桜ちゃんも下宿して医者を目指したの」
「まさか貴族と友達だったなんてお父さんとお母さん凄いね」
以前桜が話していたが、昔アンドレアナム家の前当主が水鏡族の村に観光に向かう途中、魔物に襲われて虫の息になった所を水鏡族の人間が応急処置をした後に神殿に連れて行き光の神子、トキワの祖母に治療をしてもらったことに感銘を受け、以来学園都市で学びたい水鏡族の若者たちに下宿先と働き口を提供する様になったらしい。とは言ってもそこまでして学びたい者はあまりおらず、命は五年ぶりの学生らしい。
貴族だなんてよく読む恋愛小説の中だけの世界でしか見たことが無い命にはなかなか現実味を感じられなかった。村の人間は当然平民だし、せいぜい身分が高いと感じるのは神殿の一部の神子だけだが、別に彼らは元々は村人で貴族や王族の位を持っていないし、村長に至っては精霊祭の主催に合わせた一年ごとの当番制だ。
「伯爵とは同い年だから話し相手になってたのよ。お父さんとお母さんは一緒に学園都市に行って医療学校に入学したの。お母さんはナースだから先に卒業して、その間は学園都市で働きながらお父さんの卒業を待って、その後一緒に村に戻って結婚してからあなたのおじいさんの診療所を継いだのよ」
「いつからお父さんと付き合ってたの?」
今まで親の馴れ初めについて命は聞いたことが無かったが、話を聞くうちに興味がわいてきた。
「元々お母さんは孤児でお父さんの家に引き取られていたんだけど、転機と言ったら十五歳の時ね。それまではきょうだいみたいに思っていたんだけど、進路について考えていた時にお父さんが医者になる為に一旦村を出るって聞いて、急に寂しくなって……だったらお母さんもナースになりたいから一緒に行くってことになったの」
自分の両親はラブラブかと聞かれたら仲はいいけどそうじゃ無いと思っていたので、昔は情熱的だった母親に命は意外性を感じた。
「それでお互い告白せずにいいお友達のまま月日が流れて、お母さんが卒業する時に共通の友人だった今の伯爵が間を取り持ってくれて、お付き合いをする事になったの」
「じゃあその伯爵が間を取り持たなかったら私たちはいなかったかもしれないんだ。会ったらお礼を言わなきゃ!」
学園都市に行ったらする事が一つ決まり、皮をを剥き終えた命はじゃがいもを食べやすい大きさに切っていく。後の作業は光に任せて命は次にサラダを作る事にした。




