61優しい魔女10
晩飯まで特にする事がなくなったトキワは神殿の入り口に立って父親のトキオの帰りを待った。外はすっかり暗くなっている。夕方に港町まで激辛煎餅を買いに行かせる楓の横暴さにも呆れるが、喜んで買いに行くトキオもいわゆる惚れた弱みとはいえどうかと思った。
だがもし自分が命から無理難題のお願いをされたら何としても叶えようとするかもしれないと考えると、トキオのことを笑えなかった。勿論命が楓のようにわがままを言うわけはないが…
十分ほどして明かりに炎を灯して歩いてくるトキオの姿が見えた。まさかトキワが出迎えてくれるとは思わなかったトキオは驚きながらも嬉しそうに笑っている。
「どうしたトキワ、なんで神殿にいるんだ?」
トキオの問いかけに何から話そうか悩んだが、トキワは単刀直入に話す事にした。
「今日ここに闇の神子……イザナ叔父さんが来たよ」
イザナの名前にトキオは顔を強張らせる。
「楓さんは?母さんは無事か!?」
切迫したトキオの表情が今更すぎて滑稽に感じながらも、知らなかったのだから仕方ないと思い、トキワは事情を簡単に説明した。
「そうだったのか……傍にいなくてごめんな」
トキワの説明にトキオはホッとしながらも、そんな大変な時に楓とトキワの傍にいられなかったことを悔いた。
「大丈夫だよその激辛煎餅持って一緒に帰ろうって誘えば、母さんもご機嫌になるんじゃない?多分」
「そうだな、これでようやくまた三人で暮らせるからな」
「あ、でも今日は無理!ちーちゃんが神殿に泊まるから俺も一緒に泊まる!」
掌を返されたトキオは落胆の表情を浮かべる。最愛の嫁と息子と過ごす日々をどれだけ楽しみにしていたのか、トキワには伝わっていないようだ。
「多分母さんも同じ事言うと思うから覚悟した方がいいよ」
トキワの更なる追撃にトキオは幸せが一気に遠のいて、心が折れそうになる。
「父さん時々、命ちゃんになりたい時があるけど、今日ほどなりたい日はないよ……」
楓とトキワから絶大な人気を誇る命にトキオは嫉妬すら覚えた。
「でも何で母さんってちーちゃんのことがお気に入りなんだろう?そりゃちーちゃんはめっちゃくちゃ可愛いから気持ちはわかるんだけど」
長いこと疑問に思っていたことを口にするトキワにトキオは心当たりがあるらしくて口を開いた。
「楓さんから聞いたんだけど、命ちゃんは楓さんが子供の頃から大好きだった絵本の主人公に似ているんだって」
「ふーん」
「『優しい魔女』って絵本、トキワは覚えてないかな?小さい時よく母さんが読んであげてたんだけど」
小さい時のましてや物心がつく前の話をされても、トキワにはわからなかった。
「思えばお前もあの絵本が大好きだったな。じーちゃん達から絵本をたくさん買ってもらっていたのに、結局あの絵本をいつも楓さんに読んでとお願いしてたよ。はあ、トキワに絵本を読んであげる楓さんは女神のようだったな。もちろん今もだけど」
トキオの思い出話はトキワの中でなんとなく府に落ちた。
命と初めて出会った時、例えようも無い高揚感を感じたのは大好きな絵本の主人公が目の前にいたからかもしれない。
「その絵本まだ家にあるかな?」
「多分物置にあると思うよ」
「じゃあ探したいから家に帰る」
気が変わったトキワにトキオの気分は一気にご機嫌になる。楓がいれば言うことなしだが、それは明日の楽しみにすることにした。
その後トキワ達は命と楓と合流すると晩飯を共にした。楓は食後にトキオが買ってきた激辛煎餅を食べて満足げに微笑んだが、予想通り今夜は神殿に泊まることを主張した。
しかし命がようやく親子三人で過ごせるんだから帰った方がいいと説得すると、楓も態度を軟化させて、家に帰る事を承諾した。
トキオは命にいたく感謝すると、鼻歌混じりで楓と荷物をまとめる作業に移ったので、トキワは命が泊まる部屋で待つ事にした。
「荷造り手伝わないの?」
命の問いかけにトキワは振り返ると、勢いよく命に抱きつき、ベッドに押し倒した。突然の事に命は頭が真っ白になる。
「俺ね、ちーちゃんと出会う前からちーちゃんの事が大好きだったみたい」
訳の分からない事を言ってトキワは甘い視線で見つめると、命の鼻の頭に短く口付けて何事もなかったかのように均等の取れた美しい顔をくしゃりとさせて笑った。
「おやすみ、ちーちゃん。大好きだよ」
挨拶を済ませたトキワは起き上がると、部屋を出て無邪気に手を振ってからドアを閉めた。命はまた来たら堪らないと思い、ドアに鍵をかけてベッドに戻り寝転び、しばらく呆然としていた。
「こんなんじゃ疲れてるのに眠れないよー…」
心臓が爆発するんじゃないかと思うくらい激しく波打っていたが、命の心配をよそに胸のときめきよりも疲労と貧血が勝り、その夜は無事深い眠りにつく事が出来た。




