40突然の出来事5
暦とトキワが出て行ってから、命は桜と二人で特に話す事なくぼんやりしていると、授乳で席を外していた祈とヒナタが戻って来た。お腹いっぱいになってすやすやと寝息を立てているヒナタを眺めると、無条件に癒された。
ヒナタが祈とレイトどちらに似ているか談義をしていると、涙でまぶたが腫れた光と実が起きてきた。水分が足りないだろうと思い、命が鎮静効果のあるハーブティーを淹れてあげると、光は昔シュウが元気がない時に淹れてくれたお茶と同じだと、また涙がぶり返してしまい、命は母の背中を撫でて宥めた。
晩飯をどうしようかと話し合っていると、レイトが戻ってきた。少し顔が赤い…どうやら知り合いと酒を煽ってきたらしい。いつもより飲み過ぎたのか、酔いで潤んだ瞳に色気があって眼福だなと思いつつ、命は水を勧めた。
そして晩飯の買い出しに行こうと命が一人部屋から出ようとしたら、トキワが大量の食料を抱えて戻ってきた。
「どうしたのそれ?」
驚いて尋ねる命にトキワは苦笑いを浮かべた。
「ばあちゃんが、皆さんで食べなさいだって…」
トキワが言うにはこの食料は精霊へのお供えらしい。普段から神殿で暮らす者たちや貧困に喘ぐ住民に提供している物ではあるが、余ると困るから気にせず持っていけと持たされたらしい。
出かける手間が省けた命は喜んで厚意を受け取ることにした。
「完全に酔いが回ってしまったか…トキワが見える…」
頭を押さえて呻くレイトに、そういえばトキワが来てる事を言ってなかったと思いつつも、命は思わず吹き出した。桜に至っては声を上げてケラケラ笑っている。
命が事情を説明すると、話を聞いてるのか聞いていないのか、レイトはお前も大変だなとトキワの背中をバンバン叩いた後、スッと糸が切れたように眠ってしまったので、また笑いが起きた。
「久しぶりにおばあちゃんに会えて良かったね。傷もきれいに治してもらったんだね」
トキワの両腕の包帯が取れて傷一つなくなっていた事に気付いた命にトキワは気まずそうに頷く。
「貴重な光の神子の癒しをこんな事に…しかも身内に使っちゃっていいのかなーなんて思ったけどね」
「いいじゃない、すごく痛そうだったし…トキワの傷が治って私も嬉しい」
机の上に食料を並べて命は物色する。パンとフルーツ、そしてお菓子と気軽に摘めるものばかりでありがたかった。とりあえず食欲が無い者向けにりんごを剥き始める。
「それに、どんな人でも大切な人は自分の手が届く範囲までしか守れないんだからね。トキワのおばあちゃんはそれをしただけだよ」
リンゴを剥き終わると命は次にメロンに手を出す。
「熊先生もそうしたんだよね…きっと逃げ遅れた赤ちゃんとお母さんを祈さんとヒナタちゃんに重ねたんだ」
選んだパンを一口食べてからトキワはボソリと呟くと一気に湿っぽい空気になる。
「ヒナタの…孫の顔を見せてあげれてよかった…もし生まれる前だったらお父さんも死んでも死に切れなかったよね」
強がるように明るい声で祈は笑う。孫のヒナタが生まれた時、シュウはレイト以上に喜び舞い上がっていた。それは本当についこないだのことだった。
昨日は診療を終えた後に至福に満ちた顔で木材を丁寧にヤスリで削って鼻歌混じりに積み木を作っていた。
今日だって孫と2週間以上別れる事が辛くて泣きながら馬車の時間ギリギリまでヒナタを抱っこしていた。そして皆にお土産をいっぱい買ってくるから待っててねと大きな手をブンブンと振りながら馬車に乗って港町へと向かったのだった。
それなのに今こうして眠っている父に命はもう孫が恋しくなって帰って来たのかな。なんて冗談が浮かんだが、口には出さなかった。
「お姉ちゃん、このままだと産後の肥立ちが悪くなるからこれ食べてからよく休んで」
命はカットしたフルーツを差し出して祈に食べて休むように促した。
「そうだな、医者として命令だ。ベッドでゆっくり休め」
「私、ヒナちゃんの世話はおっぱい以外ならできるから」
「えー、お前のおっぱいなら母乳出そうだけどな」
「桜先生、刺すよ?」
「おお怖い叔母さんだ。な、ヒナタ?」
「ちょっと叔母さんって呼ばないでよ!」
ナイフを向けながら脅す命と肩をすくめる桜の滑稽なやり取りに祈は声を立てて笑ってからメロンを口にした。
「うわー甘い!こんな高級なフルーツ食べた事ないかも!トキワちゃんのおばあちゃんに感謝しなきゃ」
祈はりんごとメロンを完食すると、命と桜の進言通りベッドで休むために別室に向かった。
そして夜が明けるまで休息を挟みつつシュウの思い出話を交え笑ったり、悲しんだりしながら時間を過ごしていった中で、未だに命が泣いていない事に気づく者は誰もいなかった。




