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300 番外編 とある日の看病

 早朝、命はけたたましく鳴り響く目覚まし時計に起こされ、寝ぼけ眼で仕掛けを解除した。いつもなら目覚まし時計より早く起きる夫が仕掛けを解除して、まるでお伽話のように甘いキスで起こしてくれるのだが、今日は寝坊のようだ。


 もちろん目覚まし時計が鳴ったこの時間に起きれば何の問題も無い。命はいつものお返しにキスをして起こしてあげようかと一瞬考えたが、照れ臭くなり普通に声を掛けて起こす事にした。


「トキワー、おはよう朝だよ」


「うん…」


 呼び声に対して徐に起き上がったトキワはぼんやりとしていて視線が定まっていなかった。それでいて朝の日課をこなそうと命の肩に手を添えて短く口付けて来た。


「熱でもあるんじゃないの?」


 触れられた手と唇が心なしか熱かったので、命は自分の額とトキワの額に触れて確認する。


「やっぱり。今日は休んで」


「でも…」


「神殿には私から伝えておく。家事も以前は1人でやっていたし、クオンも身の回りのことはある程度自分で出来るから大丈夫!」


 とりあえずサイドテーブルに置いてある冠水瓶の水を飲ませてから大人しく寝ているように言い聞かせて命は素早く着替えて朝の準備を始めた。


「おはよー!あれ?おとーさんは?」


 朝食の匂いにつられて起きて来たクオンは父親の姿が見当たらなかったので首を傾げて、食卓に朝食を並べる母親に問いかけた。


「お父さん熱が出ちゃってお休みしてるの」


 父親の体調不良を知ったクオンは心配そうに表情を曇らせた。


「大丈夫、すぐに元気になるよ。ほらご飯食べて遅刻しちゃうよ」


「うん…」


 命に促されてクオンはパンをちぎって口にしていく。こんなにも心配されて夫は果報者だと思いつつ命も食べ進めていった。


 支度が整い家を出ようとしたら、クオンが階段を駆け上がって夫婦の寝室のドアを少しだけ開けた。


「おとーさん、はやくげんきになってね!いってきます!」


 我が子の激励にトキワは腕だけ上げて応答した。熱で相当辛いようだ。命はクオンと家を出て一旦診療所に向かった。


「桜先生おはようございます!」

「おはよーございます!」


「おう、おはよう。くーも一緒なのか、どうした?」


「トキワが熱出しちゃって。ちょっと今からクオンを預けてから神殿に連絡してきます」


「はいよ、いってらっしゃい」


 桜に見送られ命はクオンを託児所へと送り、自身に加速魔術を掛けると神殿へと移動して受付に紫を呼んで休む旨を報告したら「バカも風邪ひくんですね」と戯けていた。


 なんとか診療開始時間に間に合い、命はいつものように桜と皐の3人で患者の対応をしていった。幸い重症人はおらず、午前中は検診を中心に時間が過ぎて行った。


「はあ、南とハヤトのところはもう3人目かあ…いいなあ」


 お昼休憩になり命は第三子の検診に来た南を羨みながら朝急いで詰めた弁当箱を開けた。


「あの2人は結婚が早かったからな」


 向かい側の席で昼食のサンドイッチをかじる桜を一瞥してから命はまた溜息を吐く。


「私も二の足を踏まずに早く結婚すればよかったのかな…」


「でも早く結婚してたらくーちゃんがこの世にいなかった可能性もありますよ?」


「確かに…クオンのいない人生なんて考えられないからこれでよかったのか」


 右隣の席で食べる皐の言葉はもっともだった。早く結婚して子を授かった所でそれがクオンとは限らない。生命とはそういうものだ。


「となるとこれから挽回しなきゃ!目指せ子沢山!」


「大いなる野望を語るのもいいが、その相手が今熱で寝込んでいる事を忘れるなよ」


「あ…」


 桜に言われるまで命は家でトキワが寝込んでいる事をすっかり忘れていて、我ながら薄情者だと心の中で自嘲した。


「弁当食べ終わったら様子を見に行ってやれ。動けそうだったら診察に連れて来い」


「でも午後の診察がありますし…」


「私に任せてください!もし人手が足りなくなったら呼びに行きますから!」


「桜先生、皐さん…ありがとうございます」


 理解ある仕事仲間に命は感謝して、昼食を終えると着替えてから自宅に戻った。


「トキワ、具合はどう?」


 体調が戻ってないらしいトキワはまだベッドで寝ていた。命が汗ばんでいる頭を撫でてあげると、そっと目を開けた。


「駄目だ…幻覚が見えてきた。ちーちゃんがいる」


 自分を看病する為に仕事を休んだとは思えず、虚な表情でトキワは命の頬に手を伸ばそうとした。


「幻覚じゃなく本物です」


「じゃあキスして…」


 夫の邪な要望に命は口角を引き攣らせながらも、前髪をかき分け額にそっと口付けてあげた。


「口にしてくれなかったから本物だ…どうしたの?」


 自分の願望と違う動きをしたから現実だと見做したトキワに命は思わず吹き出して頬に触れる。


「午後からお休みもらっちゃった」


「俺のために…?」


 掠れた声を感激で震わせる夫に桜達から勧められたとはとても言えず、命は無言で笑うだけにして話題を変える事にした。


「ご飯食べれそう?」


「ちーちゃんが食べさせてくれるなら石でも食べられる」


「そんな事言ったら本当に石を食べさせるよ」


「えへへー」


 熱のせいなのか赤い顔でふにゃりと笑う夫に呆れながら命は台所へ向かい家にある物でスープを作り、煮込んでいる間にプリンも作った。


 スープが出来たのでトキワを呼びに行く。食卓で食べると言うので、ふらついている体を支えてあげながら一緒に階段を降りた。


「ちーちゃん食べさせて」


「はいはい」


 なんとなくそう言う気がした命はスプーンでスープを掬って息を吹きかけ冷ましてから夫の口へと運んだ。その姿がまるで餌付けされている雛の様だとまた笑いが込み上げそうになった。


「これ食べたら桜先生に診てもらいに行こうか?」


「行かない。ちーちゃんが看病してくれたらすぐ治るから大丈夫」


「仕方ないなあ」


 病人のワガママには慣れている命は軽く流してまた一口トキワにスープを食べさせてあげた。


「次はお待ちかねのお薬だよ」


 スープを完食したトキワに命は意地悪げに笑い紙袋に入ったドブの様な色をした丸薬を取り出した。


「桜先生が診察に来なかったらこれを飲ませろって特別に用意してくれたんだよ。よかったね」


「診療所に行ってもくれる気もするけどね…」


 顔を引き攣らせて薬から目を逸らすトキワが子供みたいで吹き出しそうになりながら丸薬を摘んで彼の口元へと運んだ。


「ほら飲んで、あーん」


「ちーちゃんが口移しで飲ませてくれたら飲む」


「まーた甘えた事言って…昔はちゃんと自分で飲んでてお利口さんだったのに」


「後にも先にもあれより苦い物を口にした記憶がないから飲むのに勇気が必要になったの」


「なによそれ…」


 10歳の子供にとって桜お手製の薬は衝撃的な苦さだった様だ。命も子供の頃は嫌だったが、何度も飲むうちに慣れて現在は難なく飲めるので、夫の持論に同意出来なかった。


「口移しが駄目なら薬をちーちゃんの胸の谷間に挟んでよ。顔突っ込んで飲むから。その位の刺激がないと苦さに耐えられない…」


「ド変態。熱で頭がおかしくなったか」


 下心丸出しの夫の要求に命は真顔になり、このまま強引に鼻を摘んで口の中に放り込んでやろうかと思案し始めた。


「あ…でも初恋の味を思い出すのもいいかも。仕方ない普通に飲むか」


 初恋の味が薬の様に苦いなんて少女の頃読んだ恋愛小説で描かれていた記憶がないので、命は思わず首を傾げてトキワが薬を飲むのを見届けた。


「うわっ…やっぱ苦い。ちーちゃん褒めて」


「はいはい」


 呆れまじりに返事をして命は汗で湿った銀髪頭を胸に収めて撫で回してドブ色の丸薬との戦いを褒めてあげた。


「ああ、やっぱちーちゃんに褒めてもらうのまでがセットだな」


 熱に浮かされているとはいえ、何を意味の分からない事を言ってるのかと苦笑しつつ、食器を片付けようと離れようとしたが、病人だと思えない強さで背中に手を回されて阻止された。


「あの時俺はちーちゃんが好きになったんだよ。優しく看病してくれる姿が可愛くて…初恋の女の子だったんだ。それが今では俺の奥さんとか…幸せすぎる。ああ…ちーちゃん大好き!愛してる!」


 妻への愛を爆発させて抱き締めてくるトキワに命はタジタジになってしまう。


 一応自分も夫への愛は深まっている方だとは思うが、煮詰まり具合では勝てそうになさそうだと命は少し申し訳ない気もした。


「うう…しんどい。折角ちーちゃんと2人きりなのに…無念過ぎる」


 流石のトキワも熱には勝てなかった様で腕の力を弱めるとへなへなと机に突っ伏した。


「熱があるのに興奮するからだよ。お水飲んで」


「無理、口移しで飲ませて…魔術で口から水とか出せないの?」


「やった事ないしやりたくない。そんな事より着替えよう。食器片付けたら体拭いてあげるから水飲んで大人しくソファで待ってて」


「わーい」


 これ以上甘やかすと要求がエスカレートする気もするが、この位ならいいだろうと食器を片付けてから着替えを用意してソファでぐったりとしているトキワの寝間着のボタンを外した。


 命は頭を仕事モードに切り替えて淡々と体を拭いて新しい寝間着に替えてあげた。発熱の怠さも影響しているが、のっぺりとした表情で介抱すると妻にトキワはちょっかいを出す事が出来ず大人しく着替えさせてもらった。


 着替えを済ませた後はベッドのシーツを替えてから夫を寝かした。頭には冷やしたタオルを乗せてやる。


 クオンを迎えに行くまでの間に洗濯や夕飯の支度、あといい機会だから気になっていた場所を掃除しようと命は腕まくりをして寝室から出ようとした所で夫にエプロンの裾を掴まれた。

 

「ん?どうしたの」


「俺が眠るまででいいから、手え握ってて…」


 また甘えた事を言ってと突っぱねようと考えもしたが、縋る様に見つめる桃花眼に勝てず命はエプロンの腰紐を緩めて近くのスツールに乗せてから、添い寝をする様にトキワの隣に横になり手を握った。


「ありがとう、ちーちゃん」


「どういたしまして」


 手から伝わる命の体温にトキワは頬を緩めてそっと目を閉じる。熱による倦怠感が和らぐ訳ではないが心は満たされた。


「ちーちゃんはさ、生まれ変わったら何になりたい?」


「突然言われても思い付かないな…トキワは何なの?」


「俺は…最初はちーちゃんの子供に生まれたいと思っていた。そしたら生まれた時からずっとちーちゃんと一緒にいられるから。しかも血が繋がっているなんて最高だ…本当にクオンが羨ましい…」


 なるほど、そういう生まれ変わりの話かと命は夫の意見を参考にする。


「うーん、トキワの子供や親兄弟に生まれ変わるのは…何かしっくりこないなあ…」


「そうだね、俺も色々考えて行くうちにちーちゃんとは血じゃなくて愛で繋がりたいんだと気付いた。だから生まれ変わったら1秒でも早くちーちゃんを見つけ出して何回だって結ばれたい…多分前世でもそうだったんだよ」


 情熱的なトキワの想いに命は胸を熱くさせて目に涙を滲ませた。こんなに愛していてくれる人を自分は愛する事が出来て幸せだとその気持ちを繋がれた手を強く握り伝えた。


「そういえば…昔医療学校に通っていた時に休日同級生達とよく当たる占いの店に行った事があったんだけど、その占い師から私の前世は魚だって言われた」


「じゃあ俺も魚だ。ちーちゃんが魚の時にやけに追いかけ回す魚がいなかった?それ俺だから」


 トキワの言葉に命は想像しただけで腹の底から笑いが湧き上がり爆笑した。一通り笑った後でトキワがカナヅチなのを指摘して、カナヅチなのに前世が魚だなんてと再度爆笑してしまった。


「ま、前世と来世でも一緒になるのもいいけど、まだまだ今世で一緒にいようね」


「そうだね、その為にもちゃんと熱を下げなきゃ!」


「はーい、おやすみちーちゃん」


 繋いでいる命の手の甲にそっと口付けてトキワは頬を緩めた。


「愛してる」


「うん、私も…愛してるよ」


 普段照れ臭くて滅多に返さない命からの返事にトキワは満足げに破顔して、大人しく眠りについた。


 羨ましい位長いまつ毛が下を向いた夫の寝顔につられて眠ってしまいそうになったが、命はこうしてはいられないと、繋いでいた手を離して家事へと臨んだ。



 ***



 翌朝、休日だったので目覚ましをかけずのんびりと起床した命は大きく伸びをしていると、視線を感じた。


「ひっ…おはよう、起きてたんだ」


 トキワが横になったままじっとこちらを見つめていたので命はビクッと体を震わせた。


「具合はどう?」


 問いかけに対してトキワは徐に上体を起こして彼の日課であるおはようのキスを浴びせて来たので、これはもう大丈夫そうだと判断した。


「おはよう、昨日はありがとう。お陰様で元気になったよ」


「そっか、よかった」


 看病した甲斐があったと命は一つ笑ってベッドから出ようとしたが、夫に後ろから抱きしめられて阻まれた。


「もうちょっとくっついていようよ」


 首筋を鼻で撫でられて命は甘い声が漏れそうになって両手で口を押さえた。すっかり本調子のトキワに朝から翻弄されながら命は朝食の準備を諦めて彼の胸に身を委ねた。


「おなかすいたー!」


 しかし家中に元気なクオンの声が響いて甘い空気は打ち消され、命はトキワと顔を合わせると笑い合い、2人で可愛い我が子の元へと向かい、今日も共に生きていくのだった。


 

 


これにて完結です。今まで読んで下さりありがとうございました!PVブクマ★にも感謝です!

少しでも楽しんでもらえたのなら下の★をつけていただけると励まされます。

今後は加筆訂正をコソコソとしていく予定です。

現在トキワの妹が主人公の話を連載中なので、よければそちらも読んで頂けると幸いです。

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