296 番外編 とある休日の過ごし方
※時系列 新婚1年目あたり
明日は休日だ。1日中可愛い妻と2人きりで片時も離れず甘い時間を過ごせる。トキワは広いベッドの上でワクワクしながら入浴中の妻を今か今かと待ち望んでいた。
しばらくして風呂上がりで熱らせた体に苺柄のキャミソールとショートパンツにお揃いのヘアバンドを身につけた命が寝室に入って来た。
「どうしたのその格好?凄く可愛い!」
テンション高らかに寝間着姿を称える夫に命は満更でもない様子でベッドに乗り込む。
「お姉ちゃん達から誕生日プレゼントに貰ったの。私には少し可愛過ぎる気もするけどね」
「そんな事ない!凄く似合っているよ!」
食い気味に褒めて抱き着こうとするトキワを押しやり、命は向かい合う様にぺたんと座ってから、恥じらいながらも徐にキャミソールの右肩紐を下げた。いつの日かトキワがこうした方が唆ると言っていた事を思い出しての事だ。
「ねえ、明日何か予定ある?」
「明日というか今からちーちゃんとイチャイチャする。休みが終わるまでずっとベッドで繋がってたいな」
ここ最近休日は何かと用事が入って2人きりの時間が少なかったので、何も無い休日はトキワの待望だった。
「それも素敵だけど、私トキワとしたい事があるんだ」
猫が獲物を狙う様に命はにじり寄ると、気の強そうな吊り目で夫を見つめて口角を上げた。
「何したいの?」
「とってもイイ事…一緒にしたら絶対楽しいよ…ダメ?」
柔らかい胸を揺らし、灰色の髪の毛を耳に掛けて甘い声でおねだりする妻にトキワは堪らず喉を鳴らして思わず頷いた。
***
「騙された…」
早朝、トキワは命を横抱きして空を翔けていた。男に二言は無いし、可愛い妻のお願いは何が何でも叶えたい…しかし、せめて昨夜はイチャイチャのイの字だけでもいいから睦み合いたかったのに、次の日は早いからと3秒で夢の中に逃げられるなんて、誰が考えるだろうか。
「ずっと前からこうしたかったんだ」
そんなトキワの不満を気にも留めず、命は上機嫌で頬を弛めてから彼への感謝の気持ちを口付けに込めた。
「…まあ、いっか」
命から積極的にキスしてくれる事は余りないので良しとしよう。トキワはそう気持ちを切り替えて誰も邪魔が入らない空の上で2人だけの世界を満喫した。
目的地である港町に辿り着き、命はトキワの腕から降りて感謝のキスを頬にしてから大きく体を伸ばした。
そして仲良く手を繋いで向かったのは冒険者ギルドだった。とてもデートの場所には向かないが、命は兼ねてよりトキワとギルドの依頼を一緒に受けたかったのだ。
「あらやだー!今日は夫婦仲良く依頼を受けてくれるのね!嬉しいー!」
甲高い声と共にどぎつい香水の臭いを漂わせた名物の受付嬢が迎えてくれた。命は上機嫌でトキワの腕を抱き締めてリストから今受けられる依頼を選んだ。
あまりトキワに負担を掛けるのも良くないかと思い、命はDランクの魔犬討伐任務で妥協することにした。
「ああ、これね!近くの農村の南瓜畑を荒らす魔犬の討伐依頼よ。あの村の南瓜は美味しいから群れを倒しても直ぐ新しい群れが狙うのよ。ちなみにあそこの村長が若い娘さんなのにやり手でね、港町に名産の南瓜を使ったケーキの店を開いたのも村長の主導なのよ!で、店の売り上げの一部を魔犬退治の報酬に回してるのよ。本当は村に定住して魔犬を倒してくれる冒険者を探しているみたいだけど、そうもいかないみたい」
「まあ、こんな子供の小遣いにしかならない報酬じゃ定住したい冒険者もいないよね」
辛辣なコメントをしつつトキワは依頼受諾の書類にさらさらとサインをした。
「トキワちゃん毒舌ー!自然豊かな村で配偶者を見つけて、畑仕事の片手間に魔犬を倒して暮らすスローライフもいいと思うけど?」
何となくトキワは頭の中で農村でのスローライフを想像してみる。命と共に畑を耕し過ごせば、いつも一緒にいられるのでこれはこれで魅力的かもしれないと思えた。
依頼を受けたトキワと命は自らに加速魔術を掛けて早速農村へと向かう事にした。
「ああ、あの村か」
村が近づくにつれて、トキワは既視感を覚えた。
「行った事あるの?」
「うん、確か俺が初めて依頼を受けた村だ。村長さんに師匠を父親だと間違えられたんだよね。そしたら師匠凄く落ち込んでた」
「あはは、お義兄さん可哀想!でもあの頃診療所の患者さんもトキワをお義兄さんの連れ子かなんかと思ってる人いたな。『祈ちゃんはあんな大きな連れ子がいる人と一緒になったのねー』て」
「マジか…連れ子じゃなく、ちーちゃんの未来の婿だったのに」
そんな事を言って誰が信じるんだと思ったが、命は口に出さず黙っておくことにした。
10分ほどで村に辿り着き村長の家を訪ねた。場所は以前トキワが訪れた時と同じ場所だったが、受付嬢が言っていた通り村長は老人男性から若い娘に代わっていた。
「ギルドからの紹介で参りました」
家に入るとトキワは深々と被っていた外套のフードを外して命と一緒に頭を下げた。輝く銀髪に異次元に整った顔立ちのトキワに若い村長は目を見開きしばし見惚れていた。
「トキワ君?」
名乗る前に名前を問われてトキワは驚きながらも以前依頼を受けた際の当事者なのかもしれないと思い、大人しく頷いた。
「やっぱり!私の事覚えてる?あの時の村長の孫だったんだけど!嬉しい、また会えるなんて…」
村長は瞳を潤ませると感激に任せてトキワに抱き着いた。依頼人を突き飛ばす事もできず、トキワは誤解だと言いたげに妻を見た。
「ごめんなさい、私ったら…久々にトキワ君に会えて嬉しくてつい…」
今更恥じらいながら村長は依頼の手続きと村の状況を説明した。魔犬のねぐらは以前トキワが討伐した時と同じ場所の様だ。
「あの時親玉を潰したんだけどな…こうも何度も沸くという事はあの洞窟は何処かに繋がっているのかもしれない」
過去の戦闘から推論を口にするトキワを村長はうっとりとした表情で見つめる。命は自分の存在に気付いていないのではないのかと心配になったが、一瞬目が合い憎悪に満ちた目で睨まれたので、どうやら自分は邪魔者の様だと肩をすくめた。
結局命は一度も村長から声を掛けられる事無く魔犬のねぐらを目指す事となった。あそこまでの敵対心を向けられるのは初めてだったので、モヤモヤしながら歩みを進める。
「さっきの村長、まさか俺の事を覚えていたなんてね。言われるまで全然覚えて無かったよ」
「私も村長と同じ立場だったらあれ程の美少年の顔は一生忘れないよ」
誤解されまいと言い訳をするトキワの頭を命はぽんぽんと撫でて、互いに気持ちを切り替えてから魔犬討伐に集中する事にした。
魔犬のねぐらの洞窟に辿り着き、命はトキワと魔犬を倒しながら奥へと進む。
「確か俺と師匠が討伐した時はここに親玉がいたけど…いないな。ここから先は何があるか分からない。気を引き締めて」
照明魔石の効き目が残っている事を確認してから更に奥に進む。魔犬が続々と出現してキリが無いので、トキワが強力な真空波を放ち、一気に片付けた。
「うーん、相変わらず私の旦那様は規格外の強さだな」
念の為木っ端微塵になった魔犬の魔核を探して潰しながら命は頼りになる夫の背中を追う最中、耳を塞ぎたくなる程の雄叫びが洞窟の奥から響き渡った。
顔を顰めながら命は身構えて雄叫びの主を警戒した。トキワは初動の対策として2人を包み込む様に結界を張った。
「来るっ!」
トキワの合図と共に巨大な銀色の物体が疾風の如く結界目掛けて攻撃を仕掛けて来た。幸いにもトキワの結界の威力が勝ち、突撃した物体はダメージを受けて低く呻き地面を転げ回っていた。
「もしかしてこれ、フェンリルじゃないの?」
本でしか見た事ないが、体長3m程の大きさの銀色の狼となれば、命はそれしか思いつかなかった。フェンリルは幻獣で、滅多にお目にかかれる生き物ではない。
「もしかしたら魔犬を従えていたのもこいつかもね」
幻獣と魔物、異なる生き物だがフェンリルが群れの主として魔犬の群れの主になってる可能性は無きにもあらずだとトキワは推測した。
「となると、こいつも魔物同然だ。倒すよ」
本来ならば神殿の一角獣のディエゴの様に、幻獣はこちらが危害を加えない限り敵対しないが、このフェンリルは絶え間なく攻撃を仕掛けている。よろよろになりながらも結界にぶつかって来るフェンリルに命は思わず目を背けた。
「こいつ、ちーちゃんを狙っている。どういう事だ?」
先程から命の付近の結界に体当たりを繰り返すフェンリルにトキワは違和感を感じた。
「私の方が魔力が少なくて弱いからじゃないの?」
「そうだとしても何かおかしい…」
このままだと埒があかないので、トキワは命だけを残して自分は結界の外に出た。しかしフェンリルはこちらに目もくれず結界に攻撃を繰り返している。
「もしかして…」
執拗に自分を狙うフェンリルの鋭い眼光が命はある人物と重なって嫌な予感がした。
その一方で結界から出たトキワは妻を脅威から守るために両手剣を構えてフェンリルに斬りかかろうとした。
「殺さないで!」
「何言ってんの⁉︎いくら幻獣とはいえ生かすのは危険過ぎる!」
「このフェンリルは人間と契約している!」
「は?一体誰と⁉︎」
命の仮説にトキワが眉を顰めていると、洞窟の奥から灯りが近付いて来た。
「まさか…コイツが?」
姿を現したのは依頼主の村長だった。どうやらこの洞窟は他にも入口があるらしい。
「心配になって来ちゃった。この狼が魔犬達の親玉だったのね。怖い!」
媚びた声色でトキワの腕にしがみついたが、村長は乱暴に振り払われて尻餅をついてしまった。
「フフフ、初めてトキワ君と出会った時も手を振り払われたよね。今もあの時も照れていたんだよね?」
「はあ?汚い手で触られたから振り払っただけだけど?俺にとってちーちゃん以外の人間はみんな汚物だから」
極端過ぎる持論を振り翳しトキワは村長を鋭く睨んだ。トキワからの拒絶に村長は頽れたまま肩を震わせる。
「何で…どうして?私ずっとトキワ君を待っていたのに⁉︎トキワ君にまた村に来てもらう為にフェンリルと契約して魔犬に村の畑を襲わせてギルドに依頼して冒険者を募ったのに…いつかトキワ君が来てくれるのを私はずっと待っていた。だけど、ようやく来てくれたのに…どうして女なんか連れてるのよ!」
まさか農村の襲撃が村長自ら企てたものだとは命は思いにもよらず、目の前の少女のトキワへの執念に恐怖を感じた。
「そんなのそっちの勝手だろ?大体俺はお前と何の約束も交わしてないし、今日まで存在を忘れていた。俺にとってお前は生きようが死のうがどうでもいい存在だ。むしろ死ね」
冷たく突き放すトキワに村長は金切声を上げ、現実を受け入れようとしなかった。
「トキワ君は私の初恋よ…初めて目にした時から今日までずっと愛してたのに…なのに…お前のせいでっ!」
村長の魔力と感情に同調したフェンリルが鋭い爪で遂に結界を撃ち破り、命に襲い掛かって来た。突然の事で命は対応出来ず、ギュッと目を瞑り痛みに耐えようとしたが、トキワが庇う様に抱き締めて背中でフェンリルからの攻撃を受けた。
「トキワっ!」
痛みで低く呻るトキワに命は顔を青くさせると、トキワは小さな声で大丈夫だからと呟き腕の力を強めた。
「どうして庇うのよ!」
思い通りにいかず子供の様に地団駄を踏む村長にトキワは赤く煌めく瞳に憤怒を宿し鋭く睨みつけた。
「こっちが下手に出てやったら調子に乗りやがって…お前の初恋なんてどうでもいい。俺は自分の初恋の方が大事なんだよ!」
「そんな…酷い…こんなのトキワ君じゃない…」
「残念だったな、俺は元々こういう人間なんだよっ!」
トキワは一旦命から離れると、フェンリルに真空波を浴びせ、動揺している村長を殴り気絶させた。契約者の仇を討とうと、体勢を立て直したフェンリルが傷を負いながらもグルルルと牙を剥いて敵意を向けて来たが、トキワが地面に伏してる村長を踏みつけて鬼の形相で睨むと、すごすごと引き下がり洞窟の奥へと消えていった。
その後村長を拘束し、トキワの怪我を応急処置してから港町のギルドに村長を突き出して事の次第を説明した。長年に渡る農村の魔犬被害が村長による自作自演だった事実はギルドを騒然とさせた。
イレギュラーな事態ではあったが無事報酬を貰い、2人は空を翔けて家路に着くことにした。
「傷の事を考えたら、やっぱり馬車で帰った方が…」
「大丈夫、それより早く帰ってちーちゃんとガッツリイチャイチャしたい」
「いや、帰ったら神殿に行って光の神子に傷を治癒してもらうよ」
今だって痛みを我慢している筈だと命はトキワに横抱きされながら顔を曇らせる。
「これはちーちゃんを守った勲章として残しておくよ」
傷が疼く度に命を守る事が出来たと思い出せるのは中々心地よいとトキワは感じていた。しかし命の顔は晴れず、今にも泣きそうな顔になった。
「私は…あなたに抱かれて背中の傷に触れる度に自分の無力さとあの子の事を思い出すと思う…」
更には自分が一緒にギルドの依頼を受けたいと言い出さなければこんな事にならなかったと命は悔やんでいた。
「ごめん、俺が馬鹿だった。ちゃんとばあちゃんに治してもらうよ」
それに気付かされたトキワは命に謝罪して頬擦りをして許しを乞うと、背中の痛みに歯を食いしばり水鏡族の村へと速度を上げた。
神殿に着くと直ぐに光の神子に治療を施してもらい、家に着いた頃には辺りは真っ暗になっていた。
「散々な休日だったよね…」
「全くだよ。でもまあ明日も休みだし、嫌な事は全部忘れて今からイチャイチャしよう!」
農村での愛憎劇が無かったかのようにトキワはニッコリ笑うので、命の張り詰めていた気持ちも和らいだ。
「今日はお疲れ様。私のわがままを叶えてくれてありがとう。えっと…一緒にお風呂入ろう?」
今日一日の苦労を感謝する方法として命が思い切って風呂に誘えば、瞬く間にトキワの瞳が燦然とした。
「っ…よっしゃー!怪我して良かったー!」
少し不謹慎ではないかと咎める隙も無く命はトキワに再び抱き上げられると、風呂場へと一直線に誘われた。




