293番外編 とある思い出の継承
「お疲れ様でしたー」
日も傾いて診療時間が終了して、命は帰り支度を済ませて診療所を出ると、トキワとクオンが迎えに来てくれたのか診療所の前で鬼ごっこをしていた。微笑ましい父子の戯れに命は口元を緩めて木製のベンチに腰を下ろした。
バキッ
「ギャッ!」
人の重さにに耐えられなかったベンチの座面が音を立てて割れてしまい、命は尻もちをついてしまった。
「ちーちゃん!大丈夫?」
突然の大きな音にトキワは驚いて駆け寄り、ベンチに埋もれた妻を引き上げた。クオンも目を丸くさせ父の足にしがみついている。
「おいおいどうした?何の音だ?」
亀裂音は診療所からも聞こえたらしく桜が顔を出した。
「ベンチが壊れたみたいです」
呆気に取られている命の代わりにトキワが状況を説明する。
「なるほど、寿命だったのかもしれないな」
「確かお義父さんとちーちゃんが作ったんだよね?」
トキワが初めてこのベンチと会ったのは10歳の時、初めてギルドの依頼をこなした次の日で、今は亡き義父のシュウが昨日命と一緒に作ったと嬉しそうに自慢してくれたのを覚えていた。
つまりベンチが作られたのはもう10年以上前になるので、壊れてしまうのは仕方の無い事だった。
「おかーさんだいじょうぶ?」
先程から動かない母の顔を覗き込みクオンが心配すると、命は目からポロポロと大粒の涙を流し始めた。
「壊しちゃった…お父さんと作ったベンチなのに…」
生まれて初めて母の泣き顔を見たクオンは驚きで固まってしまったが、次第に悲しみが伝染して涙目になっていた。
既にこの世にいない父との思い出の品が壊れた命は遂には声を上げて泣き出したので、トキワはすかさず抱きしめて優しく宥めた。
「泣かないでちーちゃん、クオンもびっくりしてるよ」
「でも…ベンチが…」
「形ある物はいずれ壊れるのが定めだ」
今にも泣き出しそうなクオンを抱っこしてあやしながら桜は命を諭した。頭では分かっていても命は父とベンチを作った日の事や、ベンチで過ごした様々な思い出が浮かんで嗚咽を漏らした。
「だったら俺がベンチを作り直すよ。脚を支えている石の部分はまだ使えるし、そっくりそのままは無理かもしれないけど、みんなでお義父さんのベンチを受け継いで行こう?」
泣き顔も愛おしいが、いつまでも妻を苦しめる訳にはいかないので、トキワは妥協案を挙げた。
「本当に?出来るの?」
「出来るよ!こう見えて俺、元大工だから」
「…知ってる」
冷静な返しにトキワは含み笑いをしてから徐々に落ち着きを取り戻した命の涙を拭うと、そっと唇に口付けた。最近は子供の手前もあるし、場を弁える様になっていたので、完全に油断していた命は突然のキスに目を丸くした。
「全く、相変わらずだな…」
咄嗟にクオンから見えない様に抱き直した桜は呆れた声でぼやいた。
「バカ…」
夫の不埒な行為に命はキッと睨みつけるが、逆効果で嬉しそうにまた一つ口付けようとしてきたので、次は手で自分の口を塞いで阻止した。
***
翌日トキワは午前中の内に仕事を切り上げて、命の実家の倉庫にいた。ここにはシュウの日曜大工の道具がいくつか残っていたので、ベンチの設計図もあるかもしれないと捜索していた。道具は長らく使われていない為錆び付いていたので、後で手入れをしようと一か所にまとめてから引き出しを開ける。
「これかな?」
引き出しに入っていた黄ばんだ設計図を手に取ると、あまり質の良い紙ではなかったようで、パラパラと崩れ去った。他の設計図も似た状態で、出鼻を挫かれてしまった。
せめてベンチだけでも無事である様願いつつ、一枚一枚慎重に設計図の内容を確認した所、それらしき物を見つけたが、シミと虫食いで解読不能だった。
「うーん、これは…」
こうなると壊れたベンチから寸法を取った方がいいのだろうかと悩みつつ、他の引き出しも開けた。
「ん?もしかして…」
金属製の引き出しの中に羊皮紙を使った設計図が見つかった。保存状態が比較的良く、左上に日付と「ちーちゃんと作ったベンチ」と記されていたのでトキワは宝物を見つけた気分になった。
どうやらシュウは日曜大工で作った物の中で思い出深い設計図を紙よりも保存が利く羊皮紙に写していたようだ。口元を緩ませながらベンチの設計図を眺めていると、右下に「いつも優しいちーちゃんが大好きだよ」と娘へのラブレターが書いてあった。
「俺も、ちーちゃんが大好き…」
まるでシュウと会話をしているような気持ちでトキワは独り言を呟いてから、必要な材料をメモすると、命の幼馴染みのハヤトが営む材木屋へ向かった。
木材を購入して、次は塗料や釘など足りない道具をかつて勤めていた工務店で幾らかで買うつもりだったが、厚意で譲って貰った。家に戻ると、外でシュウの道具の手入れをした。中には使い物にならないものもあったが、そこは持参していた自分の道具を使うすることにした。
「頑張ってるね」
正午になると、昼休憩になった命が様子を見に来てくれた。久々に見る命のナース姿にトキワはしばし見惚れて、返事が出来なかった。
「どうしたの?」
「いや…ちーちゃんのナース姿が可愛くていいなあって…ああ、やっぱイイ…」
「…ありがとう」
冗談ではなく本気で言っている事は熱のこもった目を見れば明らかだったので、命は反応に困ってしまった。とりあえず昼食を取ることにして、天気がいいので夫婦仲良く敷物を広げて外で弁当を食べた。
「そういえば、お父さんとベンチを作った日もこうして外でお昼ご飯食べたな…」
遠い思い出に命は目を細めて懐かしむ。
「あの日はトキワとお義兄さんが早く無事に帰って来ないかなって、朝から外で待っていたの…そんな直ぐに帰ってくるわけないのにね」
当時命がそんなにも自分を心配していてくれたなんてトキワは思いもよらず、もしあの時の自分が知ったらどれだけ喜んだだろうかと顧みた。
「そしたらお父さんが一緒にベンチを作ろうって誘ってくれてね…お陰で気が紛れたし、お父さんとの思い出も作れた」
幼い頃は一緒に出掛けたりする事もあったけれど、年頃になると一緒に遊ばなくなったし、せいぜい薬草園の手入れを手伝う位だった。なのでベンチを作ったのは命にとって一番印象的な思い出だった。
昼食を終えて片付けると、トキワは早速作業に取り掛かった。命も手伝おうとしたが、仕事着が汚れてしまうからと断られたので、休憩時間が終わるまで近くで見守った。
「設計図見つかったんだね」
「うん、後で見せてあげる」
「今見たい」
「お仕事が終わるまでやめた方がいいよ」
「なんで?」
「あれ見たらちーちゃんが泣いちゃうと思うから」
自分でさえ胸に込み上げるものがあったのに、命が見たら大号泣してしまうだろうとトキワは予想して、そうなったらまた優しく抱きしめてあげようと口角を上げた。
「うーん、なんとなく分かった。あとの楽しみに取っておく」
休憩時間が終わりに近づき命は診療所に戻ろうとしたが、トキワに手を取られて物陰に移動すると、ギュッと抱きしめられた後に唇を奪われてしまった。あまりの早業に命は抵抗する事も出来なかった。
「充電完了」
「もう…」
舌舐めずりをして妖艶に笑う夫に命は呆れつつ、乱れた髪と服装を整えて診療所に入ると、見られていたのか桜と皐に冷やかされて羞恥で顔を赤くした。
妻との逢瀬を楽しんだトキワは作業を再開した。木材をノコギリで切ってからヤスリをかけて防腐剤の塗料を塗った。乾かす時間が惜しかったので魔術で風を操り乾燥させて釘を打ち組み立てていく。
時折診療所を訪ねる顔馴染みの患者達に声を掛けられながら作業を進めていくと、木材はベンチの形になり、あとは設置するだけとなった。
シュウと命が作ったベンチが置いてあった場所にトキワは自分が作ったベンチを設置すると、動かない様にベンチの脚を先代も支えた石で固定した。
「よし!」
無事ベンチが完成したので早速命を呼びに行こうかと思ったが、まだ仕事中だったので我慢して、後片付けを済ませると、丁度クオンを迎えに行く時間になったので託児所に向かった。
そしてクオンと共に診療所に戻り、トキワは親子でベンチに座って命の仕事が終わるのを待つ事にした。
「どうだクオン、このベンチはお父さんが作ったんだぞ!すごいだろ?」
「すごーい!」
自慢げに我が子に言えば、何とも言えない高揚感でトキワの口元は緩む。大工の仕事に復帰出来るまでまだまだ時間が掛かりそうだから、それまでの間こうして日曜大工をするのも悪く無いと思った。
それからカイリが顔を出してクオンとボール遊びをしているのをベンチに座って眺めれば、仕事を終えた命が診療所から出て来た。
「わあ、凄い!出来てる!」
表情を明るくさせて、命はトキワの隣に座った。
「ありがとう、トキワ。お父さんのベンチが帰ってきたみたい」
妻からの感謝の言葉と笑顔にトキワは今日一日の苦労が報われた気がした。
「また10年経って壊れたら、今度はクオンと一緒に作りたいな」
「もう壊れた時の話?」
気が早い夫に命はくすくすと笑いながらカイリと遊んでいるクオンを見た。楽しそうに遊んでいる所に水を差すのは忍びないが、日が暮れてきたのでカイリにお礼をしてから家に帰ることにした。
「おとーさんがね、ベンチつくったんだよ!すごいよねー」
父に肩車をされながら家路に着くクオンは母に誇らしげにベンチの事を報告した。
「すごーい、さすがクオンのお父さんだね」
「うん!」
幸せな家族の時間に命は胸がいっぱいになりながら愛する夫と息子の姿を目に焼きつけた。
後日命は母の光と亡き父が残した設計図と対面して懐かしさに大号泣してまたもクオンを驚かせてしまった。




