292番外編 とある家族の参観日
今日も今日とて風の神子代行としての務めを終えたトキワは神殿を出て西の集落にある託児所へと向かっていた。
家族3人一緒に暮らす様になってからはクオンの送迎はトキワの役割になった。朝は神殿までの通り道だし、帰りは妻の命より早く仕事が終わるので妥当だと思うし、何よりクオンと2人きりの時より格段に楽になったと最愛の妻に感謝されるので、充実感を覚えて至極幸せだった。
託児所に到着して帰り支度をしているクオンを待っていると、トキワは他の保護者達から突き刺さる様な視線を浴びた。
もう1ヶ月経つというのに、神子という身分だというだけで未だに注目されていると命に愚痴を零したら、うちの夫は顔が良いから仕方ないと惚気てくれたので、トキワは今の状況を受け入れる事にした。
「あの…クオンくんパパ、今度のお休みにみんなで川遊びをして親睦を深めませんか?」
同い年位の母親から甘ったるい声を掛けられたトキワは煩わしいと思いながらも、波風を立てると命とクオンにどんな悪影響が及ぶか分からないので、社交辞令の笑顔を浮かべた。
「折角のお誘いですが、ようやく妻子と暮らせる様になったので、しばらく休日は家族だけで過ごしたいんです。ごめんなさい」
母親の誘いを断りトキワが託児室に視線を向けると、タイミングよく帰り支度を済ませたクオンが保育士と共にやって来たので、挨拶をしてから家路に着いた。
***
「ただいま」
帰宅後、トキワが夕飯の支度を始めて1時間ほどで命も帰ってきたので、料理に一区切りをつけてから出迎えた。
「おかえり、お仕事お疲れ様」
「トキワもお疲れ様…」
「ご飯あと少しで出来るから待ってて」
「うん、ありがとう。クオン、お父さんが作るご飯楽しみだねー」
命は先に出迎えてくれたクオンを撫でて笑ってから、2人で洗濯の準備をした。
「そういえば来週の参観日どうする?」
家族で食卓を囲み夕飯を取る中で、話題は参観日の事になった。普段子供達が託児所でどんな事をしているのか知る事が出来る貴重な機会、トキワは是非出席したかった。
「あれって両親のどちらかしか行けないの?」
「ううん、普通にパパとママで来てる家もいるし、おじいちゃんおばあちゃんまでいた家もいたよ」
「だったら俺とちーちゃんの2人で行こうよ。ラブラブな所見せないと」
一体こいつは何を言っているのかという命からの視線が突き刺さったが、トキワは譲れなかった。
「だって神殿の行事とかで俺達夫婦が人前に出る事って無いから、村人達から偽装結婚説が出てるんだよ?だったらこういう場所からアピールしないと、クオンの為にもさ」
確かに結婚のお披露目以降、命は神殿の行事に参加した事は無く、一応クオンが生まれた時は回覧板で報告はしたものの、夫婦のブロマイドは一度も発売されず、命の顔は世間から忘れ去られてしまっていたので、風の神子の花嫁は実在しないのでは無いかという噂が出ている事は診察に来た患者から聞いた事はあったし、クオンが自分の父親は風の神子だと自慢して託児所の子供達から嘘吐き扱いされた事もあった。
後者はトキワが送迎をするようになってから払拭されたが、当時はクオンが悔しそうに泣きついて来たので胸を痛めたものだった。
「ラブラブは却下だけど、一緒に行くのはいいよ。休みの調整をしておく」
そもそも命はこれまで欠かさず参観日には出席していたが、絶世の美を誇る風の神子であるトキワと2人で人前に出るのは今でも引け目を感じるし、目立ちたく無い思いが強かった。しかしそんな自分のエゴでクオンが寂しい思いをするのは嫌だったので勇気を持とうと思った。
夜も更けてクオンは眠りに就いて、明日の準備も済んだので、命はのんびりと寝る前の柔軟運動をしていた。
「はー…怠い…」
最近浮腫が中々取れない脚を摩りながら命は大きなため息を吐いた。これは昼休憩も対策をしなければならないかと考えていると、戸締りを済ませたトキワが寝室にに入ってきた。
「どうしたの?足でも攣った?」
「ううん、ちょっと浮腫んでて怠いだけ」
ネグリジェから覗く妻の白く長い脚にトキワはこっそり息を呑んで思わず触れると、思いの外冷たくて驚いた。
「マッサージしようか?」
「いいの?助かる!」
救世主現ると言わんばかりに命は目を輝かせて夫に脚を差し出した。力加減に注意しながらトキワは先ずは足の裏と甲を揉みほぐして徐々に上に向かった。
「んっ…」
時折りくすぐったさや痛みに命は身を捩らせ声を漏らした。次第に脚の浮腫が楽になっていき、ついでに全身をほぐして貰えば命は目をとろんとさせて恍惚の表情を浮かべていた。
「ふう…ありがとう、かなり楽になった」
「またいつでもしてあげるよ。何なら毎日でも」
家事をしてくれて子供の送り迎えもしてくれる上にマッサージまでしてくれるなんて、自分は最高の夫と結婚したと、命は至福に頬を緩ませた。
「俺もちーちゃんにほぐして貰いたいな」
仰向けに寝ている命に跨ってトキワは不敵な笑みを浮かべて顔を近づけて来た。
「りょーかい」
やはり上手い話には裏があったかと命は自嘲すると、両腕を広げて夫を受け入れた。
***
参観日当日、命は綺麗めのブラウスとスカートを着て、濃過ぎず薄過ぎずにするのが一番時間が掛かると嘆きながら念入りに化粧をした。一方でトキワはいつも通りのシンプルな服装なのに、顔とスタイルの良さで全てをカバーしていた。
「ちーちゃんも指輪して」
「そうだね、こういう機会じゃないと着けないしね」
夫婦で人前に出るのが嬉しいのか、トキワは宝石箱から指輪を取り出すと、跪いて命の左手の薬指に嵌めてから手の甲に口付けた。
「じゃあ行こうか」
戸締りを済ませて家を出ると、命はトキワと手を繋ぎ、クオンの待つ託児所へと歩き出した。
「まさかしないとは思うけれど…人前でイチャイチャしないでね?手も託児所が近づいたら離してよ」
「分かってるって、俺も一応分別のある大人ですから」
本当にそうだろうかと疑いの眼差しを向けつつも、信じるしか無いと諦めて命は歩みを進めた。
託児所には大体20人前後の子供達が利用している。今日はその保護者達が集結するので保育室は賑やかになっていた。
トキワが送迎を始めてから託児所に行かなくなっていたので、命は学生時代の同級生と久々に挨拶と夫の紹介をした。トキワは忠告通り大人しくしていたので命は腹の中で安堵する。それでも美し過ぎる風の神子の存在は異彩を放っていて、保護者達はトキワに注目していた。
クオンは両親が来てくれたのが嬉しいのか、先程からチラチラとこちらの様子を窺っていた。命は愛おしくて思わず笑顔で手を振れば満面の笑みを浮かべた。
「あ…」
不意にトキワが小さく声を上げたので命が怪訝な目で見ると、サッと視線を逸らされた。何があったのか気になりはしたが、今は子供達の様子を見守るのが優先なので私語は慎む事にして、これ以上追求する事はしなかった。
その後保護者も一緒に子供と手遊びをする時間になってクオンは父親の膝でご満悦の様子だった。一部の女児は自分の父親そっちのけでトキワに見惚れていたので、命は女児の父親に対して申し訳ない気持ちになりつつ、自分も幼稚園に通っていた時に熊みたいな父親よりも、若くて美形の父親に視線が向いていたと両親から語り草にされていたなと顧みた。
参観が終わり、保護者達は別室で今後の行事や子供達の健康についての注意事項の説明の後、簡単な保護者会があった。
隣に命がいるのにも関わらず、トキワは母親達に質問攻めと色仕掛けに遭いながらも、命に腰に手を回して円満をアピールしたが中々手強かった。
最終的には保護者会の会長を務める男性がその場を取り仕切ってくれたので、何とかその場をやり過ごせたのであった。
会長は神殿に対する信仰が強く、敬愛する風の神子代行を守らねばいという使命感に燃えていたようだという命の補足にトキワは愛想笑いで会長に感謝した。
保護者会も終わり、それぞれ我が子と共に帰宅となった。命は同級生と今度南や樹家族と一緒にリンゴ狩りに行こうと話しながら別れた。
「あの人知ってる?」
突然トキワが耳打ちできいて来たので、命はビクりと肩を震わせてから指された人物に注目した。
「ああ、マコトくんママね。名前は…椿さんだったかな。パパも今日来てるみたいだけど、名前は知らないな。それがどうかした?」
「えーと、帰ってから話す」
「そう、仲の良い家族だよ。よく両親揃ってマコトくんを迎えに来てるよ」
詳細を尋ねていないが、命が一家の説明しているのを聞きながら、トキワは数奇な運命を感じずにはいられなかった。
椿はもしトキワが命と出会わなかったら、お見合いして結婚していた女性だった。勿論魔王に見せられた悪夢の中での話ではあるが、マコトも父親の男性も同一人物だった。
まさか彼女達が実在して、しかもこんな所で出会うとは思わなかったが、悪夢で見た彼女達とは正反対に幸せそうだったので、仮初の夫としては嬉しく思えたし、やはり自分は命と結ばれて良かったと心から思えた。
「おとーさん、おかーさん、きょうはきてくれてありがとう」
両親の手を握ってクオンは感謝の言葉を口にした。それだけなのに命は泣きたくなるくらい嬉しくなってクオンを抱きしめた。
「こちらこそ、ありがとうクオン。今日はクオンの好きなハンバーグ作ってあげるね」
「やったー!」
休日は命が夕飯担当なので、参観日を頑張った我が子と、いつも家事を頑張ってくれている夫に今日は腕によりを掛けるつもりだった。
「俺からもありがとう、ちーちゃんとクオンが俺の奥さんと子供で本当に幸せだよ」
腕を広げて妻子ごと抱き締めると、トキワは心からの気持ちを言葉にして伝えた。
こんなにも幸せになれるなんて命と出会う前の自分が知ってもきっと信じないだろう。だけどもこれはそんな自分の未来で現実なのだ。
これからも幸せな未来を描いていく為にも一日一日を大事にして最愛の妻子を愛し続けたいと決意して、トキワは腕の中の温もりに目を細めた。




