286今までも、これからも15
長年に渡る師弟対決に決着がつくと、夕方だということもあり、神子達は礼拝の準備だからと、神官達と共にそそくさと去って行った。
「おめでとう、トキワ」
「ちーちゃん…ありがとう」
命の祝福にトキワは感激して抱き着こうとしたが、自分でも分かるくらい汗臭くベタベタだったので自重すると、ニコニコと笑みを浮かべるだけに留めておいた。
「祈、俺とトキワに水をかけてくれ」
「ラジャ!」
同じくレイトも不快感に耐え切れず、妻に対して水をかけるよう指示すると、祈は魔術で2人の頭から勢いよく水をかけた。
「うーん、これが本当の水も滴るいい男だわ」
「お姉ちゃんの意見に全くをもって同感だけど、風邪引くから早く乾かさないと」
それぞれタイプの違う美形の師弟に対する心配を口にしてから、命はカバンから使っていないタオルを取り出すと、トキワとレイトに差し出した。
「風の神子!何油売ってるんですか!礼拝の時間ですよー!」
トキワがレイトとタオルで体を拭き、風を纏わせて乾燥させていると、紫が走ってやって来た。トキワは今日は旭が実家に帰っている為、夕方の礼拝は自分が行うということを完全に失念していた。
「ごめん紫さん…じゃあ、師匠今日はありがとう。今度は完全に勝つから。あと家族サービスを邪魔してごめん」
「全くだよ、じゃあな」
短い言葉を交わしてから、トキワは満身創痍の体に鞭を打って、急ぎ風の神子の間へと走り去って行った。命もクオンを抱っこしてから、祈達と別れて後を追う事にした。
「ちーちゃん、ついでだからクオンも風呂に入れようか?」
とても礼拝をする出で立ちじゃないので、トキワは一旦身を清めるからと、後から来た命に申し出た。
「でも…疲れてない?」
「平気、何ならちーちゃんも一緒に入ろうよ。水着持ってるんでしょ?」
「辞退します。クオンよかったねーお父さんとお風呂だよー」
疲労困ぱいの中申し訳ないと思いつつも、いつものトキワだったので、命はクオンを差し出すと、2人の着替えを用意する事にした。
風呂から上がり礼拝を済ませたトキワが一息ついてソファで水分補給をしていると、紫が食事を持って来てくれたのでそのまま夕飯となった。
「お疲れ様」
腹が満たされ、うとうとしているトキワに、命は労いの声を掛けると隣に座った。
「クオンは?」
「寝ちゃった。今日は目一杯遊んだからね」
「一緒に遊びたかった…」
ガックリ肩を落とすトキワに命は慰めるように頭を撫でた。これから彼は何度も我が子の初めてを見逃すのだろうと思うと、胸が痛んだ。
「ちーちゃん、新しい水着見せてよ」
何故新しい水着を持っているのを知っているのか、命は首を傾げたが、レイトから聞いたのだろうと予想がついたので、黙ってカバンから水着を取り出すと、トキワに手渡した。
「へえ、ピンクの花柄のビキニか…可愛いな。着てよ」
「駄目、洗濯前で湿ってるから着にくいし」
「えー…じゃあ匂いだけで我慢する」
不満げに声を上げつつ、トキワが水着を顔に近づけて匂いを嗅ごうとしたので、命は慌ててひったくると、寝室に入り、しばらくしてビキニ姿を一瞬見せてからバスタオルを巻き、着替えを持って風呂場へ向かった。
川遊びで冷えた体を入浴で温めて、ネグリジェに着替えた命が寝室に戻ると、トキワがベビーベッドで眠るクオンを愛おしそうに眺めていた。その姿に多幸感を感じた命は、ベッドに腰掛けて髪を乾かしながら口元を緩めた。
「…今日師匠と手合わせしてる時、最後の方でちーちゃんが初めて応援してくれたよね?」
「聞こえてたんだ?ごめん、邪魔だったよね」
あの状況でよく聞こえたものだと思いながらも、妨害してしまった罪悪感から命が謝ると、トキワは首を振ってこちらに向き直った。
「凄く嬉しかったし、力が湧いたよ。ありがとう…今まで応援してくれなかったのって、俺がちーちゃんに気を取られて油断するからだったんでしょ?」
「うん」
「だからさ、ちーちゃんが応援してくれたのは、俺が強くなった証拠なんだなって思えたんだ」
幼い頃からずっと強くなりたい一心でトキワはレイトの修行を受けて来た。それも全ては命を守るため。その命から声援を受けたのは強くなったと認められた気がして自信へと繋がった。
「トキワは強くなったよ。私も負けていられないな…」
人攫いと戦った時、己の鍛錬と経験が不足していた事を痛感してから、命はお昼休憩には体術や魔術の訓練を欠かさなくなった。寝る前にも体をほぐしたり鍛えたりして、体型の維持に努めている。
「あの時なんで旭達と一緒に逃げなかったの?」
「…人攫いの目的が銀髪の子供だったから、このまま逃したらクオンも狙われると思ったの」
「そっか、じゃあ仕方がないか。俺がちーちゃんだったら同じ行動をしてたし」
「でしょう?でもあのまま連れて行かれたら、魔石製造機と水鏡族製造機にされる予定だったから、トキワが来てくれて助かったよ。ありがとう」
都合の良い話かもしれないが、命は絶対トキワが助けてくれると信じていた。これまでも必ずピンチの時に助けてくれたのだから、今回も来てくれる。そう信じて戦っていた。こんな事を口にしたら負担になると思ったので、命は感謝の気持ちを込めてトキワの腕に抱き着くだけにした。
「ねえ、ちーちゃん」
「なーに?」
トキワが甘ったるい声で名前を呼んできたので、命も優しく返事をすると、両肩を掴まれて吸い込まれそうな赤い瞳にじっと顔を見つめて来たので、心臓がゴム毬の様に弾んだ。
「やっぱり別居婚は辛い…あと何年掛かるか分からないけど、旭に代表の座を明け渡して代行に戻るつもりだから。それまでクオンと待っててくれる?」
「でも旭ちゃんの意思はどうなの?」
「多分この調子なら大丈夫だよ。旭も神子を楽しんでるし、俺なんかよりずっと精霊達と仲良くしてるから…いい神子になれるよ」
「そっか、じゃあ…待ってるね」
自分たちの都合で義妹の一生を犠牲にする事に命は罪悪感があった。しかしここ2ヶ月間、旭の神殿での暮らしは彼女にとって大きな成長をもたらしたのは確かだったので、人生の選択肢としてありなのかもしれないと感じ始めていた。何より旭はサクヤという大切な存在を見つけていた。光の神子が勝手に決めた許婚ではあるが、いい関係を築いているようだった。
「あ、でもクオンと2人で待つのは寂しいから、もう1人欲しいな…」
妻の意図を察したトキワは命の右肩に顎を乗せると小さく息を吐いた。
「ちーちゃん、ずるい。そんなに可愛くおねだりされたら叶えたくなるじゃん」
「うん、そうして」
催促する様に含み笑いをして背中を撫でてくる命に、トキワは揺らぎそうになったが、自らを律して肩から離れると首を振った。
「これからクオンも走り回る様になって手が掛かる様になるし、これ以上お義母さん達に負担を掛けるわけにはいかないよ。それに診療所に復帰したばかりなのにもう休むの?」
正論を説くトキワに命は悔しそうに唸る。
「それはそうだけど…欲しい…」
出会った頃は見かけの割に色気が無い少女だったのに、今目の前にいる命は欲情を唆るには十分過ぎるくらいの艶があった。彼女をこんな女にしたのは紛れもなく自分だと思うと、トキワの支配欲は強く満たされ自然と口角が上がった。
「出来るだけ早く帰ってくるから…その時に…ね?」
それでも理性を保ち、目標が増えればそれだけやりがいがあると自身に言い聞かせた夫の提案に、命は少し不満だったが、約束だと小指を差し出した。それにトキワは同意して自身の小指を絡めて契約を交わすのだった。




