280今までも、これからも9
急拵えでトキワが作成した書類を提出すると、光の神子は内容に理解を示し、週末明けの会議の議題に捻じ込んでくれた。ひと段落したので息子と両親と共に妹の元へ向かうと、旭はサクヤに勉強を教えてもらっていた。仲睦まじい幼い神子達にトキオは複雑な表情を浮かべていたので、楓が背中をポンと叩いて慰めていた。
夕方になるとトキオと楓は帰って行った。今後2人が気軽に泊まれるように、旭の部屋をもう少し広い場所に移すべきかもしれないとトキワは思案してから、昼寝から目が覚めたクオンのおしめを替えて、飲み物を与えていると、命が寝室からあくびを噛み殺しながら出てきた。
「あーよく寝た…ありがとうトキワ、久々にゆっくり出来たよ」
1人の時間が取れなくなって久しいので、いい気分転換になったと命は上機嫌で夫に感謝の気持ちを込めて
、抱きついて頬に口付けた。トキワは嬉しさに目を細めてから、お返しに妻の頬に口付けると、クオンも仲間に入れろと言わんばかりに声をあげたので、命はトキワと顔を見合わせると、クスクスと笑いながらクオンのぷっくりとした両頬にそれぞれ同時にキスをした。
「息抜きがしたくなったらいつでも言って。買い物も行ってないんでしょ?」
「そうだね、かれこれ港町に2年は行ってないなあ…服とかもお姉ちゃんやみーちゃんに適当に見繕って貰ってるんだよね」
祈と実のセンスだと、少し派手目で露出が多い物が多くて、命は下にインナーを着てやり過ごしていた。今日も胸元がざっくり開いたトップスなので、ハイネックのノースリーブを着て補っていた。美容室にもろくに行けず、髪の毛も伸ばしっぱなしで、野暮ったくなってるし、枝毛も気になっていた。
「いつも俺に会いに来てくれるのは嬉しいけど、ちーちゃんの予定も大事にして。クオンの事は任せてよ」
「ありがとう。でもトキワもちゃんと休めてる?仕事ばっかしてない?」
週末を家族で過ごす為にと、トキワが平日に仕事を詰め込んでいるのは、紫から聞いていたので命は心配で尋ねた。若くて体力があるからといって、働き過ぎたら体調を崩してしまうだろう。
「補佐が有能だからそこは大丈夫。仕事で煮詰まったら体を動かして発散してるし、夜に一人の時間は取れてるし、早目に寝てる。自分だけの身体じゃないから大事にしてるよ」
「そっか、よかった」
思ったよりも神殿で自制した生活をしているトキワに命は安堵しつつ、もしかしたら自分よりも健康的に暮らしているかもしれないと、心の中で自嘲した。
「そうだ!明日旭に証を預かって貰ってみんなで港町まで行こうか」
「村から離れて大丈夫なの?」
現役の風の神子が村の外を出る事が出来るのか。命は不安になるがトキワは特に気にした様子は無い。
「分からない。でもいずれ実験する予定だったし、ちょうどいいや。もしもの時は旭に代表やって貰えばいい話だし」
「旭ちゃんや契約している精霊にも負担が掛かるかもしれないよ?お出掛けは今度にしよう。明日は一緒にゆっくり過ごそう」
以前証についてトキワから説明を受けたが、契約の譲渡を繰り返すのは、身体的負担が大きいのではないかと命は推測した。いくら兄妹の魔力がずば抜けて高くても、人間には変わりないのだから何処かでガタが来てしまう可能性だってある。それに精霊だって頻繁に契約者が代わるのはしんどいだろうし、不信感を募れば神子といい関係を保てないかもしれない。
「俺は大丈夫だけど…そうだね、旭と精霊の負担について考えてなかった。よく相談して慎重に実行に移すよ」
命の意見を聞き入れると、トキワは構って欲しそうにしているクオンを抱き上げて高く掲げた。歓声を上げる我が子に微笑む夫の美しい横顔に、命は口元を緩めた。美男美女を愛でるのは趣味ではあるが、もう彼以上の美形に出会う事はないし出会う必要も無いと思えた。
「ちーちゃんもおいで」
物欲しそうな顔で命が見つめていると勘違いしたトキワは、ソファに座ってクオンを膝に乗せると、手招きした。命が素直にソファに座ると、甘えるように胸に寄り添ってくれたので、トキワは命の腰に手を回して満足げに微笑んだ。
しばらく寄り添い合っていたが、クオンが退屈そうだったので、命は今日トキオと楓がくれたパンダが旅をする絵本を読み聞かせた。クオンはパンダの絵本に興味津々で、命が2回、トキワが3回読んだ所で、旭が夕方の礼拝を終えて来た所で、光の神子から夕飯に誘われていたので、光の神子の間へ移動した。
食事中は差し障りないありふれた話題ばかりだったが、全員が食べ終えたのを確認した光の神子は、旭の幼稚園の件を口にした。
「旭はもう幼稚園に行かないの?」
「…いかない。ずっとサクちゃんとしんでんにすむ」
祖母の問いに旭は小さな声で拒絶した。彼女の心の傷は大人たちが想像している以上に深い様だった。
「じゃあ幼稚園のお友達が神殿に遊びに来たらどうする?」
「………」
意地の悪い光の神子の言葉に旭は俯いて、今にも泣き出しそうな顔になった。隣にいた命は慰めようと背中を撫でようとしたが、それよりも先にサクヤが旭の手を強く握った。
「僕があさちゃんを守るから大丈夫だよ」
普段物静かで自己主張をしないサクヤがハッキリとした口調で宣言したので、一同は驚きを隠せなかった。
「サクちゃん…」
頼もしいサクヤの発言に旭は幼いながらに恋する乙女の顔をしていたので、命は胸がキュンとときめいた。
「これでサクヤは完全に逃げられなくなったな」
一方でトキワは妹から自分と同じ臭いがしたので、面白そうに笑みを漏らすのだった。




