268繫ぐ想い12
お腹の子供は順調に育っていた。命は診療所前のベンチに腰掛けて、爽やかな五月の風に目を細めていた。桜が言うには既に臨月に入りいつ生まれてもおかしくない状態だから、産気づいた時の為に単独行動は避けて、神殿通いも誰かの同伴を義務付けられていた。
今日は秋桜診療所に水の神子三席が視察に来るらしい。三席はミナトの姪御にあたる人物で、年齢の割に博識な女性だった。
ここ半年、神子が神殿の外に出て視察をする機会が増えていた。本来神殿の敷地外に出ることができないはずの神子が何故出れるようになったのかは説明されていない。命はトキワも出てこれるのかと期待したが、代わりがいない神子は出られないとトキワに言われた時はガックリと肩を落とした。
最初は土の神子代表のアラタが昨年の猛暑で被害を受けた農作物の視察をする為に、神殿の外に出た事が始まりだ。視察により被害を受けた農家達への的確な援助が行われて、アラタは土の神子代表になって日が浅い若輩者だったが、瞬く間に評価されて村の人気者になった。
「あら、おいでになった」
神殿の白い馬車が診療所に近づいているのが見えたので、命は診療所に入り桜を呼んだ。すると診療所にいた患者達も神子を一目でも見たいと集まり、平伏していた。命はお腹がつっかえるので頭だけ下げた。
診療所の前に馬車が停まり、神官によりドアが開かれると水の神子が出てきた。一同注目した。
出てきたのは長い艶やかな銀髪が輝き、切れ長でシャープな目元が大人の色気を醸し出し、彫刻のようにはっきりとした鼻筋が美しい男神子のミナトだった。
「ふぁっ…神々しいっ!でもなんでミナト様!?」
ミナトの信者である桜は思わず取り乱して口走ると、神官が窘める様に咳払いをした。
「三席が体調不良の為、急遽代表が訪問となりました。皆さんはいつも通りに過ごして下さい」
いつも通りに過ごせと言われても、美の化身と言っても過言でもないミナトを前にして命と桜を始め、患者達も冷静ではいられなかった。
「あ、あの…ミナト様!よければお腹に触れて頂けませんか?」
「あっ、ずるいぞちー!赤ちゃんを使って抜け駆けか?浮気者!」
「うるさい!この子には美形になってもらいたいからお腹を美形に触ってもらってるの!」
兼ねてから命はお腹の子供が美形に育ってもらう為にと美形にお腹を触ってもらっていた。トキワは嫌がったが、本当ならトキワに毎日触って貰いたい所だと言って黙らせた。
「喜んで、お腹の子は私の姪孫でもありますからね」
ミナトは上品に笑うと、命の元に歩み寄り大きなお腹に優しく触れてくれた。憧れの神子にお腹を触れられて命は感激で目を潤ませた。その麗しい姿に桜と患者達も男女問わず夢中になった。
「元気なお子を産んでくださいね」
「ありがとうございます!頑張りま…うっ…」
優しい笑顔を浮かべるミナトに命は有頂天になったが、不意にお腹に強い張りを感じて、顔を歪めて膝をついた。
「大丈夫か!?」
慌てて駆け寄る桜に、命は苦笑いを浮かべ呻いた。
「多分生まれそう…ミナト様に拝みたくなったのかな…?これは絶対女の子だね…」
呑気な事を口にして命は脂汗を流した。桜は患者に急遽休診する事を伝えた。幸いみんな元気な患者だったので、馴染みの者には託児所で働く光を呼びに行って貰った。ミナト達にも視察の中止を申し出た。そして神官に手伝って貰い、命をお産が出来る広さの処置室へと運んだ。
「あと自警団に勤める私の姪、祈も呼んできてください」
「わかりました自警団に行けばいいのですね」
若い神官が快く引き受けると、急ぎ自警団へと向かった。
「私にも医学の心得があります。お手伝い致します」
動きやすいように髪を一つに束ねたミナトの申し出に、桜は少し考えて首を横に振った。
「とても光栄ですが大丈夫です。生まれるまでまだ時間が掛かりそうなのでミナト様は神殿に戻ってトキワくん…風の神子に妻が産気づいたと伝えてください」
「分かりました。ではその前に…」
ミナトは指を組んで祈りを捧げると、診療所内がキラキラと一瞬輝いた。
「安産祈願です。気休め位にはなるでしょう。それでは私は失礼します。良い知らせを待ってますよ」
「ありがとうございます」
水の神子からの祝福に桜は心強さを感じると、ミナトの背中を見送り口角を上げて作業を再開した。
「ミナト様に取り上げ…て貰いたかった…」
「それは確実に離婚問題になるからやめておけ」
「そうかも…」
「しかしミナト様と会話できる日が来るとは思わなかったなー。一生の思い出だわー」
桜は痛みが紛れるように、取り留めない会話を続けながら様子を見た。しばらくすると光が来て桜と交代で様子を見た。
「ねえ…お義父さんとお義母さんに…連絡してくれた?」
「あ、忘れてた。すまんすぐ知らせてもらう」
光が用意したサンドイッチをゆっくり食べながら命が尋ねると、桜は失念してた事を謝り、待合室にいた祈達にお願いすると、家を知っているレイトが知らせに行った。
「私も今思い出し…たんだけど、産気づいたら絶対教えて欲しいってお義母さんが言って…たんだよね」
「初孫だしすぐ駆け付けたい気持ちは同じ母親として分かるわ」
楓の考えに光は同感すると、穏やかに微笑み命の手をそっと握った。
「一番会いたい人に会えなくて辛いかもしれないけど、私達がそばにいるからね」
「お母さん、ありがとう…」
以前先代の闇の神子から受けた傷以上の痛みに苦しみながらも、命は母の頼もしさに励まされそして憧れると、全身汗まみれになりながら陣痛に耐えるのだった。




