263繋ぐ想い7
トキワが風の神子代表を継いで早2ヶ月、無事にお披露目を終えて、ホッと一息を吐く暇もなく精霊祭の準備に追われ、それもようやく終わりひと段落ついたところだった。
毎日朝夕の精霊礼拝をこなし、神子の会議に出席して空いた時間には神子としてのふるまいや作法を学んだり、図書館で資料を借りて神子の歴史などを調べていた。あとは神子に興味を持ってくれた妹の旭と風の精霊達と会話を楽しむ日もあった。
そして頭を使い過ぎて鬱憤が溜まると、訓練場で神官達に手合わせの相手になってもらい、ストレスを発散させた。他にも最近は風の神子の間の改修工事を神殿の大工と一緒に作業したりと、それなりに充実していた生活をしていた。
というよりも、愛する妻に会えない寂しさをわざと忙しくして詰め込む事で紛らわそうとしていたのだった。命が毎週休前日の夜に泊まりに来て、休み明けの朝にそのまま診療所に出勤するという週末婚スタイルはトキワの心の支えだった。
本当は毎日会いに来て欲しいが、それでは彼女の生活に支障が出るし、いっそ神殿で暮らしてここから診療所に通勤するのはどうかと提案したら、神殿には神子と神官と彼らの幼い家族としか住めないのが決まりだし、そもそも自分たちの家はどうするのだと咎められてしまった。
「あと1時間か…」
今日は休前日、夜には命がやってくる。妻とのひと時の逢瀬にトキワは胸を弾ませながら先代から引き継いだ奨学基金の書類に目を通してサインをしていた。
「風の神子、来月の会合についての資料の確認をお願いします」
追加の仕事を紫が持って来ても、トキワは笑顔で受け取り鼻唄混じりに資料を確認していた。
「早く来るといいですね」
「うん、早くちーちゃんに会いたい。それまでに期限が週末までの仕事は全部片付けないとね」
命が神殿に滞在する間は片時も離れたく無いし、朝夕の礼拝は仕方ないが、それ以外の仕事なんかしたくないとトキワは考えていた。先程の資料の確認で急ぎの仕事は無いと紫が言ったので、確認を終えたトキワは命を出迎えようと神殿の入り口へと向かった。
既に空は暗く、神殿が行う魔石とお札の販売や写真館にチャペルの利用や結婚式の相談、精霊像への参拝は終了していた為、入り口には門番の神官しかいなかった。
すっかり顔馴染みの神官とトキワは世間話をしながら妻を待っていたが、一向に姿を現さなかった。心配になり左耳のピアスに触れて命の所在を確認すると、方向的に秋桜診療所か実家にいるのは確かだった。しかしなかなか神殿に向かう様子は無かった。
もしや命が…若しくは光達に何かあったのか。トキワは不安を抑えきれず無駄だと分かっているのにも関わらず、門から外に出ようとしてみたが、透明な分厚い壁に阻まれてしまった。
思わず拳を見えない壁に叩きつけるが、手応えは無い。それなのに外に出る事が出来ないもどかしさに頭の血が沸騰してしまいそうだった。
一旦深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから、風の精霊達から情報を得ようとしたが、精霊達は相変わらず気まぐれで、命の実家の夕飯のメニューしか教えてくれなかった。痺れを切らしたトキワは紫を呼びつけて命を迎えに行くように頼んだ。紫は快く引き受けて、灯りを携えて西の集落へと向かった。その間も命の所在を確認し続けたが、1時間経ってもその場から動く事はなく、遂には紫が1人で帰って来た。
「ちーちゃんは?」
「奥さんは少し体調を崩されたようで今週末はご実家で休養されるそうです」
神殿に来ない理由が分かったのはいいが、命が体調を崩しているという悪い知らせは、トキワの表情を更に曇らせた。しかも来週の休前日まで会えないという事実に胸が締め付けられそうだった。
健やかな時も病める時も愛し合うと誓ったのに、どうして自分は傍にいてやれないんだと自責の念を強めながら、トキワは不安を誤魔化すように訓練場へ向かうと、深夜まで見えない敵に斬りかかるように声を上げながら両手剣を振り続けていた。
翌日、庭師に許可を貰い中庭のバラ園のバラを自ら手折り刺を取り除いてから花束を作って、紫に頼んで命に渡してもらった。すると戻ってきた紫から命が書いた手紙を受け取った。内容は花束ありがとう、会えなくてごめんと短く震えた筆跡で書かれていた為、妻に無理をさせてしまったと反省して、花束を送るのを止めて次の日、自分のことは構わないでいいからゆっくり休んで元気になって欲しいと手紙を書いて紫に託した。
「なんか小間使いみたいな真似をさせて悪いけどよろしくお願いします」
「いいえ、いいんですよ。なんかお二人の愛を取り持つキューピットみたいで楽しいですから」
精霊なのにキューピット…何だかおかしくて少し笑ってからトキワは紫を見送った。
そして休みが明けて次の週末を指折り数えて毎日を過ごす中で、トキワは違和感を感じた。命の位置情報は全く動かず、一度も家に帰っていない事に気がついたのだ。まさか病気か、トキワは不安で会議中なのに上の空になってしまい光の神子に注意されてしまった。
休憩時間になるとトキワは神殿の敷地内に聳え立つ塔にてっぺんまで飛んだ。そしてそこから更に上へと飛ぶ。しかし10m程の高さで空が見えるのに透明な天井にぶつかりこれ以上空に上がることが出来なかった。
「くそっ!」
もしかしたら空から移動すれば神殿から出られるかもしれない。そんな愚かな考えを持った自分がトキワは恨めしくなった。諦めて塔の上から西の集落の方向を眺めて秋桜診療所を探した。青い屋根の診療所と命の実家が並んでいて、少し離れた所に緑の屋根のレイト達の家が何となく見えた。そこから南東に少し視線を移せばトキワと命の青い屋根の家が見える。
「帰りたい…」
風に吹かれながらホームシックになったトキワは座り込み、遠い我が家を見つめると、小さく命の名前を呟いた。
その後仕事に追われながらも今週末こそは会えるはずだと胸を弾ませていたトキワの元に命が現れる事はなく、トキワは大きな絶望と不安でおかしくなりそうになった。




