258繋ぐ想い2
「じゃあ、旭をよろしくね」
「はい、楽しんできてくださいね。道中お気をつけて」
週末になりトキオと楓は旭を命に預けて温泉旅行へと旅立った。命は週末明けに休暇を取って、旭を2泊3日預かる事になっている。
このまま家に帰って旭と時間を過ごすのもいいと考えていたが、トキワが神殿に行っているし、旭も闇の神子であるサクヤに会いたがっているので、3日間日中は神殿で過ごす事になっていた。
「旭ちゃん、にーにとサクヤ様に会いに行こうね」
5月に3歳になったばかりの可愛い義妹を抱っこしてから、命は旭に軽量魔術を掛けてから加速魔術を掛けると寄り道する事なく神殿に向かい、受付で通行証を見せてサクヤのいる闇の神子の間に向かった。
「サクちゃん!」
机に向かい読み書きの勉強しているサクヤを見つけ、旭は命の手から離れると、一目散に走り出した。幼い恋を命は目を細めて微笑ましく見守った。
勉強をするサクヤの隣に座って、旭はお絵描きを始めた。命は向かい側に座って時折2人を愛でながら図書館で借りていた小説を読んだ。
昼食後に3人で積み木遊びをしていると、トキワと光の神子が姿を現した。トキワの表情は固かったが、命の姿を発見すると表情を綻ばせる。命が立ち上がりお辞儀をすると、サクヤも母親代わりの光の神子に笑顔を向けて、礼儀正しく頭を下げた。旭もそれに倣うとまたサクヤと遊び始める。
「相変わらず旭はサクヤにご執心だな。よしよし」
仲睦まじい旭とサクヤを見てトキワは頷くと、命の腰に手を回した。
「じゃあ旭とサクヤはばあちゃんに任せて、ちょっと風の神子のじいちゃんの顔でも見に行こうか」
「分かった。それでは…おばあちゃんよろしくお願いします」
トキワと結婚してから光の神子の事をなんと呼べばいいか命か悩んでいたら、彼女の方からおばあちゃんと呼んでくれと申し出があったのだが、未だにこの呼び方に慣れなかった。しかし光の神子は満足げに微笑み命とトキワに手を振り見送ったので、この呼ばれ方が気に入っているのは確かだった。
風の神子の間に入ると、レコードから音楽が流れていた。紫が言うにはこの曲は風の神子の亡き妻が愛した曲らしい。優しいピアノの音色に導かれて命とトキワがベッドサイドに用意されていた椅子に座ると、風の神子は右目だけ開けてトキワの姿を確認した。
「じいちゃん、今日はちーちゃんも連れて来たよ」
音楽をかき消すような声量でトキワが話しかけると、風の神子は顔をしかめたが、命が来たという事を知ると、両目を開けて震えながら手を差し出したので、命は手を取った。元々年老いて痩せていた手が最近は更に頼りなくなり、最早骨と皮だけになっていたので命は胸が苦しくなった。
「ちょっと何勝手に俺の可愛い奥さんの手を握ってるの?」
冗談で言ってるのかと思いきや、本気でトキワは嫌そうな顔で風の神子に苦言を呈していた。これには命や近くにいた紫も思わず苦笑して、風の神子も息を吐いて笑った。
「あ、今流れている曲、学校の授業で歌ったな…」
聞き覚えがある曲が流れて命は学生時代を懐かしんだ。
「えー覚えてないな。東と西じゃ授業内容違ったのかな」
「それはないでしょう?トキワが真面目に音楽の授業を受けてなかったからじゃないの?」
「多分それ。変声期で声出しづらいし、めんどくさくて歌うフリしてたら女子に怒られて泣かれた記憶がある」
「なるほどね、私も音楽の授業で歌わない男子に怒ったりしたな。それで険悪な雰囲気に耐えられなくて南が泣いちゃったんだよね」
いつの世も音楽の授業では同じ事件が起きているのだなと命はくすくすと笑った。
「ねえ、家に帰ったら俺にだけに歌を聴かせてよ。ちーちゃんが唄っているところって鼻歌くらいしか聞いたことないし」
「えー、嫌だよ。私歌下手だし、声も綺麗じゃないし」
「俺はちーちゃんの声大好きだよ。一生聞いていたい」
所構わず口説くトキワに命は目を逸らすと、風の神子が何かを伝えようとしていた。紫はレコードを止めて聞き取りやすいように環境を整えた。
「す…ま…ない…」
嗄れた声で風の神子が伝えて来たのは命とトキワに対する謝罪の言葉だった。自分が死ねばトキワが後を継いで風の神子代表となり、折角結ばれた命と離れ離れになる運命になる事が心残りで、1日でも長く若い夫婦が一緒にいられるように必死に生きいた。
「謝るくらいなら若返りの薬でも飲んであと100年は風の神子やってよ」
重い空気を誤魔化すようにトキワは冗談を口にしたが表情は晴れない。
「既に風の神子は若返りの薬を作るように水の神子に依頼済みですよ」
まさかトキワが言った絵空事を先に実行してるとは思わず、風の神子の間の空気は重苦しくなった。愛する妻を病で亡くした時、直ぐに後を追いたかったはずなのに、寿命が近づきもうすぐ天国で妻に会えるにもかかわらず、風の神子はトキワ達の事が心残りで必死に生にしがみついていた。
「トキワ、私は大丈夫だよ。ちょっと離れたくらいで気持ちまで離れない。それに会いたくなったら会えるんだから」
健気な命の言葉に、いつまでも風の神子を生に縛り付けて亡き妻との逢瀬を邪魔してはいけないという真意が隠れている事くらいトキワも気付いていた。それでも風の神子を継がないのは、命と離れたくない気持ちと、祖父同然の風の神子との別れが辛いからだった。
「そうだ。今度の会合で参加者全員を引っ捕まえて魔力測定をさせて、魔力が高い奴らを監禁して無理矢理神子にしよう。そしたら俺は代行のままでいられるし、じいちゃんも心置きなくあの世に行ける!」
「…自分がされて嫌な事は人にしちゃいけません」
名案だと言わんばかりにトキワは指を鳴らすが、命は首を振り、トキワの双肩に手を添えると、目線を合わせて子供を諭すように口を開いたので、風の神子は微かな鼻息で笑うのだった。




