255思い出作り8
長かった新婚旅行も今日を含めてあと3日、水上コテージのデッキで命は足先を海面の上で揺らしながら、夕日を眺めて旅の思い出を振り返っていた。もし写真に残せたら毎日眺めてしまいそうな位特別で愛しく、ちょっぴり情けない日々は、きっと一生忘れないだろう。
隣にいるトキワに視線を移すと、見つめられていたのか即座に目が合って、命は夕日のせいにしたいくらい顔を赤くして視線を逸らした。
結婚して、ましてや恋愛感情を持ってからも数えると随分と経つのに、人生で1番大好きな顔を持つ夫に今もなお胸を高鳴らせてしまうのだった。
吸い込まれそうなくらい繊細にカットされたルビーの様に輝く切れ長の桃花眼に見つめられたら、うっかり言うことを聞いてしまう。それで何度痛い目にあったやらと命は腹の中で自嘲した。
「ちーちゃん、こっち見て」
言われるままに命が振り向けば、トキワは唇で唇の形を確かめる様に口付けて、髪の毛一本一本を愛しむ様に指に絡ませ撫でて来た。そのまま何度もキスをして唇がピリピリしてきた頃には日が沈み、辺りは薄暗くなっていた。
「ねえ夕飯食べたら一緒にお風呂入ろう?水着着ていいから」
ハードルを下げたトキワのお願いに、命はやはり自分はこの目に弱いと痛感しながら頷くと、立ち上がり海水で濡れた足先をタオルで拭いてサンダルを履いた。
行きと同じレストランにて、マンゴーのカクテルを今回は1杯だけ飲んでから、命はトキワと南国料理を楽しんで水上コテージに戻った。
そして約束通り互いに水着を着て、仲良く円形のバスタブに肩を並べ、体を沈ませて夫婦で月を見上げれば、潮風で冷えた体が次第に温められて、肌が薄らと桃色に染まっていくのを感じた。
「なんで水着じゃないと一緒に入ってくれないの?お互い裸を知らない仲じゃないのに」
率直なトキワの疑問に、命は口を僅かに開けて目を伏せた。
「恥ずかしい…から…」
絞り出す様に羞恥心を口にした命に
トキワは呆気に取られたが、次第に肩を震わせてくつくつと笑い出した。
「ふん、どうせいつまで経っても慣れないヘタレですよーだ」
不貞腐れて口を尖らす姿にまた一つトキワは笑うと、命の体を引き寄せて膝に乗せると、後ろから抱きしめた。
「慣れても慣れてなくてもいいよ。どっちのちーちゃんも絶対一生可愛いから…ずっと、ずっと愛してる」
「…ありがとう…私も…その…愛してる…ます…」
声変わりする前から何度も何度も聞いているトキワの愛の言葉は、褪せること無く更に命の世界を色付けていった。それなのにいつも消え入りそうな声でしか応える事が出来ない自分が情けなかった。
「ちょっと頬が熱いね、のぼせる前に上がろうか」
頬擦りして感じた顔の熱さを心配したトキワは、命を横抱きすると風呂から上がり、バスローブを掛けてヒヤシンス素材の2人がけのソファに座らせてから、冷えたココナッツウォーターを差し出した。
火照った体に冷たい水分が沁み込むと、命は喉の奥から大きく息を吐いて、また一口と流し込んだ。
水分補給をして汗も引いてきたところで、命は昼間のショッピングで購入した、エキゾチックな花柄のゆったりとしたデザインの黄色いサマードレスに腕を通した。軽い素材が心地良くて、今後夏のネグリジェとして活躍しそうだった。
「うん、可愛い。やっぱり黄色も似合う」
同じ柄のハーフパンツを履いたトキワはソファに腰掛けてご満悦の様子で頷いた。このサマードレスを選んだのはトキワで、ならばと同柄のハーフパンツを探したのは命だった。
「トキワも似合ってるよ。港町で女の子をナンパしてそう!」
無論そんな事しないのはわかっているが、陽気なハーフパンツを履いたトキワは何処か軽薄な雰囲気があった。ソファから立ち上がり、揶揄う妻を捕まえようとトキワが近寄ってきたので、命は逃げる様に天蓋ベッドに入り侵入を拒む様にカーテンを手で押さえた。背後に回れば先回りして、そちらのカーテンを押さえたりして、何度も攻防を繰り返して声を上げて笑っていたのに、突如静寂に包まれて波の音しか聞こえなくなった。命はカーテンの隙間から顔を出して部屋の様子を窺う。
「捕まえた」
降り注ぐ声に命が顔を上げるも時既に遅く、トキワに捕われてしまった。
「ずるい、気配消したでしょう?」
「ちーちゃんを捕まえる為には手段を選ばないよ。だから絶対に俺から逃げないでね」
「トキワこそ、飽きたからって捨てないでよ」
結婚したからこそ手に入れた達成感から、ある日突然愛が冷めて捨てられる日が来てしまうのではないかと、命は不意に不安になる時があったので、それを口にした。
「まだ分からないの?俺がどれだけちーちゃんが欲しいと思っていたか…やっと手に入れたのに捨てるなんて出来ない。一生手放さないからね」
耳たぶの輪郭を唇でなぞる様に囁きながら、トキワがサマードレスの襟の隙間から無骨で大きな手を滑り込ませて来たので、命は言われたそばから少し逃げ出したい気持ちになりながら、ギュッと目を瞑って体を固くさせた。
「今夜こそは天国ベッドに邪魔されない様にしないとね」
その言葉が一体何を意味するのか、命が気付いた頃には黄色いサマードレスは抜け殻となり、明日船酔いに苦しむ未来の自分の姿を頭の中で同情した。




