249思い出作り2
「よかった間に合った…」
新婚旅行当日、命とトキワは朝寝坊をしてしまい、港町に到着したのは、乗る予定の旅客船の出航受付時間ギリギリだった。
「もう、だから早く寝ようって言ったのに!」
「ごめん、止められなくて…間に合ったから許して」
命はトキワを責めてからペンを動かし、書類に必要事項を記入して、窓口に予約票と共に提出すると、乱れた前髪を手櫛で整えた。
手続きを終えて無事に旅客船に乗り込むと、10分もしない内に船は港から離れて行った。一先ず命とトキワは割り当てられた客室に入った。室内は狭くベッドが2つ並んでいるだけだったが、寝泊りするには十分な広さだった。
「特等室が空いていればよかったんだけどね…」
港町で旅客船の予約をした際、トキワは新婚旅行だからと特等室希望したが、残念ながら半年以上予約が埋まっていたので、希望の日程の中で空いていた一等室のツインルームを予約する事になった。
「三等室で雑魚寝になるよりマシでしょう?窓から外の景色も見えるしここも中々いいと思うよ」
トランクを置いてベッドに腰掛けると、命は前向きな発言をする。今日の命の服装は新婚旅行らしく華やかに他所行きのえんじ色の小花柄の長袖ワンピースに、オフホワイトのカーディガンを羽織り、髪の毛は緩く三つ編みで一つに束ねていた。トキワは向かい側のベッドに腰掛けて、その姿を目で愛で口元を緩めた。
トキワは動きやすさを重視した黒のチノパンに、グレイのカットソーを着て、いつもの銀髪頭は命と同じ灰色になっていた。これはトキワが以前勇者エアハルトに結婚祝いを強請った際、毛髪の色を一時的に変える変装魔道具をプレゼントしてもらったので使ってみたものだった。
「うーん、なんか違和感が凄い」
トキワといえば銀髪のイメージが強いので、目の前の暗い髪色のトキワに命は目が慣れなかった。
「俺はちーちゃんとお揃いの髪の色で嬉しいけどね」
上機嫌なトキワを見ると、髪色が変わっても顔面がすこぶる良いのは変わりないので、これはこれでありだと命は思い始めた。
1時間ほどして乗務員がやってきて、乗船券の確認を済ませると、客室の鍵をくれた。これでとりあえずは自由に船内を動ける様になったので、命とトキワは甲板にて景色を楽しむ事にした。幸い天気に恵まれ、青い空と青い海が眩しい位に輝いていて、冷たい北風が焦りで火照っていた体を心地よくさせた。
「寒くない?」
「少し寒いかな」
手摺りにもたれて空に舞う鳥を見上げながら命が身震いをすると、トキワは温める様に背後から抱きしめてきた。
「こら、うちの家訓を忘れたの?」
人前でイチャつかないという約束は結婚しても続いている。結婚式で盛大に破られてから命は格別に厳しくなっていた。
「大丈夫だよ、ほら他の人を見て。みんなイチャイチャしてるから!」
トキワの言葉に命は疑いの眼差しで周囲を見渡せば、確かに複数のカップルが人目も憚らず抱き合ったりキスをしたりとイチャイチャしていた。
「うちはうち!よそはよそ!」
厳しい言葉をぶつけて、命はトキワの腕を振り解き甲板から船内へと歩き出した。
「つれないなあ…まあ、そこもまた可愛いんだけど」
三つ編みを揺らす命の後ろ姿をうっとりと見つめて、トキワは命と客室でたっぷりと甘い時間を過ごそうと口をニヤつかせながら彼女の後を追った。
しかしトキワの計画は思わぬ形で打ち砕かれた。
「気持ち悪い…」
出港から3時間、真っ青な顔で命は呻くと、枕に顔を埋めた。どうやら船酔いをしてしまったようだ。
「ちーちゃん大丈夫?」
「…船酔いは疲労と寝不足と二日酔いと疲労と寝不足と寝不足が原因だったりもします」
「…ごめんなさい」
自分が命に疲労と寝不足の原因をもたらした自覚があったので、トキワは深々と頭を下げて謝った。
「うう…私のトランクから青い花柄のポーチを取って。あとアイマスクも」
唸りながら指示をする命の言う通りにトキワはトランクを開けると、青い花柄のポーチと黒いアイマスクを取り出して差し出した。命はそれを受け取り、ポーチから紙に包まれた丸薬を取り出して口に放り込んで、手を当てて魔術で水を出し流し込んだ。これは桜が事前に処方してくれていた船酔いの薬だった。命は薬の苦さに顔を顰めて、もう一度水を飲んでからアイマスクを目に当てた。
「とりあえず寝て様子見るね」
「添い寝はしても…」
「駄目に決まってる…しばらく一人にして」
「分かった…」
折角の新婚旅行なのに早々に雰囲気が悪くなってしまった事にトキワは深く反省しつつ、命の具合が良くなったら船内を案内出来るように探索しておこうと気持ちを切り替えると、客室から出て行った。命はトキワに冷たくしてしまった自己嫌悪に陥りながらも、気持ち悪さに苦しみながら眠りにつくのだった。
***
命が眠りから覚めると、窓から夕焼けが差し込んでいた。随分と疲れが溜まっていたようだ。それでも薬と睡眠のお陰か、船酔いは解消されて頭はスッキリしていた。
横になったまま視線を隣のベッドに移すと、トキワが胡座で辞書を膝に乗せて古びた本を読んでいた。風の神子からの課題のようだ。よく船の中で本が読める物だと感心しながら、命はしばしトキワの真剣な横顔に見惚れてた。
本の内容がひと段落ついたのか、トキワはため息をついて眉間のシワを指で解して、命の方を見たので慌てて命は背を向けた。
「ちーちゃん、起きた?」
「う、うん…」
命が覚醒した事に気が付いたトキワはベッドから降りて顔を近くで見る為に命に跨った。
「体調はどう?」
「大丈夫…寝たらスッキリした」
「そっか、よかった」
安堵したトキワは回復した命の髪の毛を優しく撫でて破顔した。このまま命の体調が治らなければ最悪港町に引き返す覚悟もあったのだ。
「心配かけてごめんね」
弱々しく謝る命にトキワは首を振る。
「俺の方こそもっとちーちゃんを労るべきだった。反省してる…ところで喉渇いてない?リンゴジュース買ってるけど飲めそう?」
「飲む…」
トキワは命から離れると売店で買ったリンゴジュースを命に差し出した。命は上体を起こして受け取ると、少しずつ口に含んで喉を潤した。
「ふう、美味しい…ありがとうね」
程よい酸味と甘みが渇いた体に沁み渡り、命はため息と共に笑みが溢れ、これがリンゴ酒なら尚良いのにと欲も出た。
「お腹は空いてる?食べれそうかな?」
「そうだね、お昼ご飯食べ損ねたからすごく空いてる」
「じゃあレストランの予約してくるね。あと何か必要な物もあったら買って来るけど何かある?」
「特に思いつかない。あったら後で一緒に行こう」
「分かった、行って来るね」
「トキワ」
客室を出ようとするトキワを命は引き止めて、手招きをした。それに従いトキワが近寄ると、命は両手をトキワの頬に添えて短く彼の唇に口付けた。
「新婚旅行、楽しもうね」
「…うん」
思わぬ命からのキスにトキワは惚けながらも、至福に胸を躍らせて客室を出て、レストランがあるフロアへと軽い足取りで向かった。




